第二十話 「――相手に取って不足無し。と言いたいが初心者居るしなぁ」



 前夜の川の畔から、数時間余り南に離れた地点。


 その場所は、大きく開けた場所だった。


 鬱蒼とした緑の臭いは消え、草木は無く茶色の土のみが存在する空間。


 自然に出来たのではなく、誰かが意志を以て円形に焼き払った。


 誰もがそんな印象を受け、足を進める。

 

「――――妙な場所だな、こりゃ。おいっ! ケイン、此処がそうなんだなっ!」


「はい兄貴っ! 確かに此処です――――っ!」


 足を踏み入れるなり中心地点まで駆けだしたケインに、アベルは叫んだ。


(大型の魔獣、それとも魔法使いの仕業か?)


 しゃがみ込み土に触ると、踏み固められた様な堅さ。


 少なくとも、何かがここに居た証拠だ。


 よくよく目を凝らしてみると、長い毛の様なものが所々に落ちている。


(戦闘で切れたって訳じゃねぇな。ただの抜け毛。――――犬か猫の様な性質を持ってる?)


 ここは自分の縄張りだと、地面に体を擦り臭いを付けて主張した、とアベルは考えた。


 さっきから強烈に感じる臭い、この地の主が野生の獣だという考えを裏付けている気がした。


「リーシュアリア、どうだ?」


「野生の獣の臭いがするわね、けど魔獣ではない」


「ああ、どこかで嗅いだようなって思ってましたけど、何か洗ってない犬の臭いって感じがします」


 女性二人は臭いに顔をしかめ、ガルシアはと言うと、アベルの真似をして地面を触っている。


「…………うーん。オレにはさっぱりだ」


「帰ったら、斥候向けの講義を受けるか、奴隷のガキに教えてもらえ」


「はいっ! 精進しますアニキ!」


 ガルシアからアベルの好感度が上がる中、中央で何かを拾ったケインが戻って来た。


「やっぱりここで正しいみたいです、あの時仲間落とした等級票が見つかりました」


 中級を表す鉄の等級票には、アベルも知る冒険者のの名前が記されていた。


(…………ふむ、これで少なくともコイツの狂言って線は無くなったな)


 彼にそうする理由は見あたらないし、思考を誘導する様な魔法が使われていたならば、イレインが、何よりリーシュアリアがアベルに警告していた筈だ。


 そして何より、そこからはいっそう強い臭いが染み着いている。


(ケインに執着する何かは、確かに存在したと考えるべきだな)


 実在するなら、後は殴るなり話し合うなり出来る筈だ。


 その為にも、その正体を把握するのが先決だろう。


 アベルは皆を集めて、意見を求める。


「確か、女の声が聞こえた後。巨大な魔力圧に気絶して全員倒れたって話だったか?」


「そうです。残念ながら僕も皆も、その姿は見ていないのですが、大きな何かが降ってきた音を聞いた者もいました」


「――――それ、どっかで聞いた話と符号しますね」


 イレインが首を傾げる、彼女は調査依頼にあった、大型の魔獣らしき存在の事を言っているのだろう。


「この臭いの元が女神様…………ってのは考えすぎですかねアニキ?」


「現状では保留って所だな」


 ガルシアの言葉通りであれば、解決に一歩近づくが、先程アベルが発見した毛の色は赤。


 仮に、その巨大生物が人の姿を取ったとして、自分の毛色を変えるだろうか。


「少なくとも、何らかの組織が関わっている感じはしないわね」


「ああ、それは俺も同意見だ」


 プルガトリオは関わっていない、少なくともこの場所には痕跡が無い。


 リーシュアリアの考えは、アベルと一致する。


「――――ここに、ケインに関わる何かが居た。それ以上は解らないな」


「ではどうしましょうかアニキ、僕としては、せめて正体だけでも把握しておきたいのですが…………」


「そうだな――――っ!?」


 その瞬間、アベルは違和感を覚えた。


(地面が、揺れている?)


 同時に、リーシュアリアとイレインが警告を発する。


「大きいのが来るわアベルっ!」


「沢山の魔獣が凄い早さでこちらに向かってきますっ!」


「逃げますかアニキ!?」


「どっから来る!?」


「南西からです!」「余裕はあまりないわっ!」


 すぐさまアベルは決断した。


「全員、戻って木の陰に隠れろっ! 許可するまで魔法は使うな――――っ!」


 五人は踵を返し、再び森の中へ入っていった。





(――――ったく! 最近のディアーレンは物騒過ぎる、何が起こってるってんだよ)


 間一髪、身を隠すのに成功したアベル一行が見たモノは、多数対一匹の蹂躙劇だった。


 先頭で現れたのは、赤大猿の群や、三尾犬の上位種である三尾黒狼の群。


 そして鶏の魔獣である石化緑大鶏、これもまた群と呼ぶべき数が。


 おおよそ二百匹の、大小様々な魔獣が集まり。


(違う、集まったんじゃない。追い立てられたんだ)


 魔獣にも感情はあると言われている、その証拠に、今彼らに浮かぶのは――――恐怖。


 三階建ての家と同じくらいの規模である、赤毛の狼が一声吠える度に、『赤き闇』そう感じ、表現するしかない魔法の様なものが天から槍となって降り注ぎ。


 前足で踏みしめれば、今度は地面から。


 口を大きくあけ火を吐き出したと思えば、それは燃えるのではなく、地面ごと溶かす熔解の炎。


 しかもそれは消えず、その場を中心に円形へと広がり、飛べない魔獣を一掃していく。


 逃げ場など無く、そこは正しく鏖殺の間。


(一つ間違えれば、コイツ等抱えてあそこで死闘か…………)


 アベルとリーシュアリア、否、アベルだけでも容易に勝ちは拾える。


 元最前線で戦っていた冒険者の、装備と実力は伊達では無い。


(よく見ておけよ、イレイン、ガルシア、ケイン)


 アベルは驚き恐怖する教え子達に、心の中で呼びかけた。


 ラッセル商会の一件が、仮に理不尽な悪意とするならば。


 この蹂躙劇は、――――理不尽な暴威。


 冒険者として生きるのであれば、引き際は知っておかなければならない。


 冒険者として大成したいのであれば、この圧倒的な存在に勝利を得なければならない。


 彼らの成長を願う一方、アベルの戦士としての観察眼は、ある事を見逃さなかった。


(――――共食い、いや、血を吸ってる?)


 巨大な赤狼の蹂躙を運良く逃れた一部の魔獣が、その死体や、同じく生き残ったモノに牙を立て、喉を動かしている。


 通常、魔王になる為の共食いは、肉まで行く。


 それが血液だけ、そして他の種族にまでとなると、アベルの知識に無い。


(血を吸う魔獣の話は本当だったか。…………あー、面倒な事になってきた)


 知識には無いが、経験がアベルに告げていた。


 このディアーレンの地に、魔王が出現したかもしれない、と。


 恐らくは、吸血行為によって仲間を増やす魔王がいて、それらと既存の魔獣が勢力争いを始めているのだろう。


(しかし、断言は出来ない)


 リーシュアリアは、世界でも希な特殊な存在だ。


 彼女が新たな魔王の出現を感知出来ない筈が無く、その手の事をアベルに告げない理由は無い。


 念のために視線を送ると、彼女は戸惑った様に首を横に振る。


(まず魔王ありきで、魔獣が発生する。ならこれは既存の魔王がどっかから来た?)


 彼女が生まれる前から居た魔王ならば、可能性があるが、それならそれで、発見した報告がありそうなものなのだが――――。


(――――考える暇も、調査する暇も与えてくれないってか。さて、どうするかね)


 アベルとリーシュアリアは立ち上がり、ケインは顔をひきつらせて、イレインとガルシアは訳も分からず他に倣う。


「逃げる準備をしておけ、――――言うまでもないが魔法は惜しむなよイレイン」


 こくこくと必死に頷くイレイン達、無理もない。


 蹂躙劇が終わったと思えば、今度はかの狼の殺気は此方に向けられているのだから。


 アベルは眼帯をリーシュアリアに預け、赤毛の巨狼へと歩き出す。



「よぉ、お前がケインの女神様かい?」



「女神? いったい何の事だ。それより――――っ!?」



 赤毛の巨狼は何を言おうとしたのか。


 その大きな瞳に嬉しさと戸惑いと、怒り。


 だがアベルは有無を言わさず突進、同時に魔眼を解放して――――。



「――――だぁらっしゃあああああああああああああっ!」



 瞬間、誰の目にもアベルの姿は捉える事が出来なかった。


 解るのは、崩れ落ちる様に倒れた狼の姿と、目の前に戻ってきたアベルの左手が血塗れだった事。


 リーシュアリアですら、彼が周囲の生命の意識を停止させ、その隙に鼻っ柱を殴って脳震盪を起こした所を知り得なかった。


 もっとも、彼女も一度味わった事があるので、だいたいの検討は着いていたが。


 ともあれ。


「ええっ!? うえええええっ!? あ、アニキ!?」


「――――はっ!? 今何が起こったんですか兄貴!?」


「一発食らわせてやった、奴は気絶しているが、長くは持たん。今すぐ逃げるぞっ!」


「は、あ、えっ!? て、手当――――」


「旦那様の手当は後で出来ますわイレイン、行きますよ!」


 そして彼らは逃げ出し、二日という驚異の速度で街へと無事帰還したのだった。


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