第十六話 「酒が入ってるし、人肌恋しいなら……分かるだろ?」



 冒険者ギルドというのは、古代の魔王討伐団に端を発する。


 当時の魔王は吸血鬼ラセーラ、それは人から成った存在であった。


 人としての知能と知識、そして他者を支配する種族特性。


 人類が気付いた時には各国の上層部は軒並み支配下におかれ、それ故に討伐団は、離反した兵士や義勇軍、特に金銭で動く傭兵団がその中心となった組織だった。


 魔王討伐後、彼らは国の都合に左右されない、国境を越えた武力組織を結成。


 それが、冒険者ギルドである。


「という訳で、イレインちゃんと、ガルシア君達には、アベル君の部下になってもらう事が決定しました! わー、ぱちぱちぱち!」


「よろしくお願いします! アベル隊長!」


「アニキ! オレ頑張りますっ!」


「――――何故、こうなった?」


 アベルは現状に首を傾げた。


 ラッセル商会の一件から三日後、ヴィオラの執務室にリーシュアリア、イレイン、ガルシアと共に呼ばれる、それはいい。


 先日の狩り場一時使用不能の件と、ラッセル商会で首級を上げた手柄が相殺なのも、一応納得はしよう。


 人類史において、魔王が複数出現して『いない』時など無い。


 下手に名を上げ出世してしまうと、休む暇もない『最前線』勤務だ。


 辺境でゆっくり過ごすなら、今の地位が上限といった所。


「いや、いや? ちょっと待ってくださいヴィオラ支部長!? 何で俺に部下が出来るんですか!?」


 もしやこれは出世か、責任が増えるのか。


 リーシュアリア以外に抱え込むつもりのないアベルにとっては、嫌がらせに等しい行為である。


 そんなアベルの気持ちを、隣に座るリーシュアリアが理解出来ない筈が無い。


 彼女はアベルの手を取り、しっとりと撫でながらすり寄る。


 肉体的魅力で気を逸らしながら、説得する腹積もりなのだ。


「ギルドは支部の権限が強く、その人事は自由に出来る事は先刻承知でしょう?」


「ここは、わたしが団長を勤めていた傭兵団が前身ですからね、中央から何も言わせませんわ」


 各国の支部の権限が強いのは、ヴィオラの様なギルド成立前から生きている長命種が、支部の上に立っている事が多いからである。


「だから、これは支部としての判断なのよ旦那様。貴男の様な存在を、何時までも下に置いておける訳がないわ」


 人類は存亡の危機、という訳では無いが。


 高い戦力を遊ばせておく余裕も、それほどある訳ではない。


 自らの実力や風聞を自覚しているアベルとしては、ぐうの音も出ない理由だ。


(それでも、それでも。俺はノンビリ暮らしたい――――っ!)


 怠惰は正義、出来れば働かずに給料が欲しい。


「ふふっ、そんな拗ねた顔をしないの。イレインとガルシアは、ギルドナイトとしての部下だけじゃない。訓練教官としての部下でもあるんだから」


「ごめんなさいねアベル君、ラッセル商会の様な惨劇を防ぐ為にも、ギルドの意向優先で動ける人手は欲しいのよ。――――特に、貴男の部下として」


 ぐぬぬ、と唸るアベルに、対面に座っていたヴィオラは腰を上げ、彼の後ろに立ってその頭を抱きしめた。


 たゆんたゆん、ぼいん。


 紛う事なき色仕掛けである。


「――――なるほど、こういう手段も必要なんですねっ!」


「アニキ、マジ尊敬します。――――女殺しの噂はやっぱり…………」


「変な事覚えるなイレインっ! ガルシアも! その噂は忘れとけっ!」


 キラキラと目を輝かせるイレインと、戦慄と尊敬の念を深めるガルシア。


 この状況で、そんなもの欲しくない。


「残念だけれど、これは決定事項なのよ旦那様。そして――――」


「――――これは、わたしからの報酬で、二人が望んだ、こ・と」


「…………顎を撫でるな、耳元で囁くんじゃない」


 絶世の美女二人を侍らせる、どこぞの後宮王の様な状況はまんざらでも無いが、大人でないイレインとガルシアには、教育に悪いのではないだろうか。


 ともあれ、教え子が今回の報酬と引き替えに望んだ立場、そしてその意志を。


 先達冒険者として、訓練教官としては無碍に出来ない。


「――――……………………、わかった。降参だ」


 長い沈黙の後、これ以上は絶対背負い込まないし、出世しないと心に誓いながら、アベルは承諾した。


 顔を綻ばせる未成年二人に、してやったりなリーシュアリアと微笑むヴィオラ。


 これだけは、言っておかなければならない。


 アベルは精一杯威厳のある顔をして、厳かに告げた。


「ヴィオラ支部長。この後、部下が出来た祝いの席を設けようと思う。だから――――金出せ」


「リーシュアリアちゃんに預けておくわ」


「ふふっ、旦那様に持たせると余分な事に使ってしまいますものね」


 実質的な、カカア天下である。


 そんな三人のやりとりに、子供二人はくすくすと笑った。





 アベルの部下歓迎会は、盛況の内に終了した。


 付け加えて、ガルシアにこの街の優良な娼館への紹介状を、そっと渡すのも忘れてはいない。


 突入組で一緒になったドーソン、通称・色町の覇者からの情報により、ミリー似の子が在籍している事を知っての選定である。


(…………いや、寧ろ似てない子の方がよかったか?)


 ガルシアとはまだ短い付き合いであるが、彼の気持ちが何処に向いているかぐらい、アベルには解る。


「うむ…………、だが、黒髪は良い…………」


「もうっ、重いのだから。もう少ししっかり歩きなさいなっ」


 酒精に浸った思考の中、リーシュアリアの腰に手を回しながら家の扉を潜ったアベルは、水を持ってこようとする彼女の引き留めて、居間のソファーに座らせる。


 なお、酒に強い彼女は素面だ。


 アベルは彼女の膝に頭を乗せ、その感触を楽しみながら、その白い肌の顔に手を延ばす。


「なぁ、リーシュ」


「何です旦那様」


 リーシュアリアはされるがままに、自身はアベルの茶色の髪を優しく撫でる。


「そろそろ、観念して結婚しないか?」


「…………冗談も、たいがいにして」


「駄目か?」


「くどいわね」


 取り付く島も無い返答だが、その内面は揺れていた。


 ――――リーシュアリアは、アベルという男を許せない。


 彼という男は、かつて彼女の家族を殺した。


 リーシュアリアの妹であり、アベルの婚約者だった存在も。


 彼自身の双子の兄も。


 それだけではない、アベルはリーシュアリアの最大の願いを踏みにじる行為を続けている。


 奴隷という身分が嫌な訳ではない、――――それはアベルの所有物を意味するからだ。


 結婚という行為が嫌な訳ではない、――――彼女もアベルを愛しているからだ。


(貴男なんて、嫌いよ)


 この忌まわしい血を、忌まわしい肉を、汚れた魂の存続を許すアベルが憎い。


 リーシュアリアという存在は、この世にあってはならないのだ。


「貴男と結婚するくらいなら、死んだ方がマシね」


「強情な女だな、お前は。――――それだけは、赦さない」


 悲しそうな瞳の奥で激情を揺らす女に、アベルは微笑んだ。


「酷いヒト、私を愛していると言う癖に。一番望む事は叶えてくれないのだから」


 アベルは何も言わず、リーシュアリアの手にキスをした後、自分の親指を噛み、その血を舐めさせた。


 彼女もまた何も言わず、それを舐めると、深い熱の籠もったため息を漏らす。


 その赤き瞳は、いつもより爛々と輝いて――――。


「――――我が愛しの姫君よ、貴女の情けを今宵もくれないか?」


「嫌だと言っても聞いてくれない癖に、ああ、憎たらしい人ね、アベルは」


 そして今夜も二人は、関係が停滞し、本能だけが支配する時間を迎えた。


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