第十四話 「運が良いのか悪いのか……でも、生きてるなら設けもんってもんさ」
治癒魔法は魔法の一種である。
発動の原理は同じだが、治癒する側の適正と、施し先の患者の状態を考慮しなければならない、難しい分野である。
光神教はその情報技術を交換する治癒使い達の集まりが全身であり、時を経て神格化された彼らの教えを下に、巨大な宗教となった。
各地に神殿が出来、治癒を使える神官が配属され。
今では、その治療風景を目にする事も珍しくなく。
しかし。
ギルドに到着し、医務室に案内されたイレインが見た光景は、ある種、異様な光景だった。
「――――ミリーっ! …………よかった、よかったよぅ…………」
ベッドに寝かせられたミリーは、傷一つ無く、静かに胸が上下し。
椅子に座り傍らで治癒魔法を使っているのは、リーシュアリアによく似た少女。
そこまではいい。
イレインは、安堵と共に強い驚きを得た。
(――――え、何これ? え、ええっ!?)
あれだけの重傷、意識が戻らないのは当然である。
血の気の失せた白い顔から、赤みがかった頬。
(嘘、王都の大司教でも無い限り、助からない傷だったのに…………!?)
勿論の事、助かった事は喜んでいる。
だが、――――これは何なのだろう。
(これっ、魔法じゃないっ!? こんな変な図形の魔術…………文字なのこれ? 魔力の流れが変だし――――)
恐らく、そこらの治癒使いでも、偉大なる祖父ですら理解できない魔術だった。
(魔法を使って光を放ち――――光なの? それで、立体的な魔術の回路、それも相当複雑な)
発想は解る、効果の結果も。
だが、その課程や魔術の意味がまったく理解できない。
(――――凄い)
そう感嘆すると同時に、イレインの中で罪悪感が渦巻いた。
(最低だわたし、ミリーがこんな目にあったって言うのに、知らない魔術になんて喜んで…………っ!)
自分はこんなにも、薄情な人物だったであろうか。
彼女が死にかけたのは、イレインを庇った所為であるのに。
様々な悔しさと情けなさ、そしてミリーへの安堵感。
胸の緩んだ部分に、きゅうきゅうと締め付けられる痛みに、ぽつりと涙が落ちた。
「あんまし気にするな、つっても意味は無いな。アイ様、この御方の魔術は特別製だ。俺には解らねぇが、魔術が解る者は、皆、お前と同じ状況で、同じ様に見惚れていたよ」
「教官…………」
「覚えておけ。この魔術の光には、人の心も癒し解す効果がある。それが側にいるだけの者にも、だ」
アベルは言わなかった。
アイの治癒は、――――魔法では無い。
神の巫女を自称する彼女の、彼女にしか赦されない奇跡、そういう類のモノだ。
だがそんな事実、イレインにとって何の慰めになるだろうか。
「ミリーはもう大丈夫だ。――――それで、どうする?」
端的にアベルは聞いた。
緊急討伐依頼、それが発令される事は既に話してあるし。
今のアベルはそれに参加すべく、『冒険者』として本気の装備に着替えてある。
「駆け出しのお前に無理に着いてこいとは言わない、俺の言葉を聞いてくれるなら、そのままミリーの側に居ろ」
「…………わたしは」
瞳に迷いの色を浮かべるイレインに、アベルはその頭を優しく撫でた。
「悔いの無いように、決断しろよ」
そしてアイに対して一礼すると、医務室の外の廊下に。
そこには、何かを決心した様なガルシアが立っていた。
「――――お願いがあります、アニキ」
「いいだろう。場所を移す、着いてこい」
彼が何を言い出すのか、アベルには想像するに容易い。
だが、その表情に浮かんでいるのは、所謂『男の覚悟』の部類。
その心意気を買って、屋上へと向かったのだった。
□
屋上から空を見上げれば、午前中まで晴れていた空は曇天、この分だと夕方には雨になるだろう。
(それ迄に、決着が付いていればいいんだがな)
アベルは手すりにもたれて、煙草に火を付ける。
「で、お願いって何だ?」
「アニキ…………。お願いしますっ! どうか、どうかオレを貴男の側で戦わせてくださいっ!」
内々ではあるが、アベルが突入の先頭に立つ事は決まっている。
勿論の事、所属する冒険者にとっても当然の認識であり、ガルシアはそういった話を耳にしたのだろう。
(さて、どうしたモノかな)
集団の指揮を取る、という点ではガルシアに才が見える。
魔法薬の作成についてもだ。
だが冒険者としては、中位にも届かない実績と実力だ。
(足手まといが一人や二人居ても、俺は問題は無いが…………)
あの魔獣は、普通の魔獣とは違う。
人から直に変化している分、知能も戦闘力も高いだろう。
商会の中に何匹いるかは、まだ判明していないが。
しかし先陣を切る高位冒険者とアベルなら、問題なく勝てる相手。
「そう言うってんなら、お前の命の危険や、他の奴の足手まといになる可能性は解ってるんだろうな」
「戦う力が足りないのも、邪魔になってしまう事も、解っていますっ! …………それでも、それでもオレはっ!」
拳を強く握りしめ、歯を食いしばるその姿に、アベルは静かに言い放つ。
「何の為に望む。怒りか、それとも恨みか。贖罪ってなら止めておけ。それはお前が死ぬだけだ」
ガルシアは暫く黙り込んだ後、悔しそうに顔をゆがめた。
「…………もう、嫌なんです。届かないから、敵わないからって、嵐を黙ってやり過ごすのは。それじゃあ、今までと同じなんだっ!」
彼という人物は今、成長しようとしている。
目を反らして来た自身の弱さに、立ち向かおうとしている。
(若い、――――ああ、若いなコイツは)
アベルにも、同じ様な時が。
多くの冒険者にとっての通過儀礼が、彼に訪れているのだ。
今ここで断ってしまえば、彼はこれ以後も普通に冒険者として生活出来るだろう。
だが、そこに魂の輝きというべき、それは無い。
越えられぬ後悔に押しつぶされ、いずれは腐っていくだけだ。
「――――お前は何一つ倒せないだろう、何一つ得られないかもしれない。自分の命さえもだ。それでも?」
「お願いします、アニキ」
ガルシアは深く頭を下げた。
アベルは紫煙を吐き出し、結論を述べる。
「…………はぁ。俺からも話しておくが、突入組全員の了解を得られなければ、この場は引け」
「はい、お願いしますっ!」
天を仰ぎ、若いなぁ、とアベルは感慨に耽る。
十中八九、ガルシアの参戦は承諾されるだろうと予想していた。
冒険者にとっては残念な事だが、仲間が重傷を負うのも、命を喪うのも日常。
それ故、仲間へ捧げる戦い、敵討ち等には多大な理解がある。
ましてや少年が一皮向けるという場面、拒否する奴は一度も敗北した経験の無い『傲慢』な奴だけだ。
煙草を消し、そろそろ下に戻ろうかとアベルが思案した時、横から声をかける者が。
「相変わらず甘いわね、旦那様。ついでと言っては何だけど、こちらのお嬢さんの話も聞いてくださらない?」
「――――リーシュアリア、イレイン」
もう一度、あの若さに溢れた話をしなければならないのか。
三十代という、大きな目でみればアベルもまた若い世代の一人。
だが冒険者としては、酸いも甘いも知り尽くした熟練だ。
(やれやれ、戦いの前に疲れたくないんだが…………)
これも、若者を導く訓練教官としての大切な役目である。
「わかった、聞こう。――――ガルシア、お前は装備を整えて下に居ろ。リーシュアリア、ヴィオラ支部長に話通しとけよ」
「承りましたわ旦那様。さ、イレイン。旦那様に貴女の想いをしっかり伝えなさい」
「では、下で待ってますアニキっ!」
二人が階下を降りていく足音を聞きながら、アベルはもう一本、煙草を取り出して吸い始める。
痛み止めとはいえ、精神の疲れにもきっと効くと自分に言い聞かせながら。
「単刀直入に聞く、覚悟はいいか――――」
それから緊急討伐依頼がギルドから発令され、突入組の一員としてアベルが先頭に立つ時。
後ろの続く者の中に、少年と少女の姿があった事は、言うまでもない事だった。
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