第6話 反逆の双眸 3話

 レインは白衣の裾を翻し、まるで水を得た魚の如く先行すると――短時間で現場への到着に至る。その驚異的な移動速度は、後続のクロスをやや置き去りにするほどであった。

 その俊足の要因としては、彼女が駆使した【鏡水】属性の【元素能力】にこそ肝要があり、靴底と地面の間に水泡を発生させ、それを弾くことで推進力を得て跳躍、建物の屋根伝いを疾駆するという芸当を可能にしていたのだ。

 ともあれ短時間で目的地へと着いた二人であったが――そこは既に、物々しい空気に支配された危機的状況にあった。


 一足遅れて現場へと到着したクロスは、いち早く負傷者を治療しているレインを横目に――現状把握のため周囲に目線を配って思考する。

 市街の大通りにて、数人の武装した男性兵士が地面に倒れ伏している姿が視認でき、その者たちの装備が二種類あることにも注意が向く。


 ――倒れているのは〈心都〉の自衛警備隊の兵士と……、それとは別に〈元素研究所〉に所属する武装駐兵か……?


 外資合同機構〈元素研究所〉に専属する武装駐兵。当該施設の専任警備を務める彼等は本来、この場にいるはずのない者たちだ。

 騒動の通報を受け、都市の保安を目的とした公的組織――自衛警備隊の兵士が緊急出動していることは理解できるが、やはり管轄外である武装駐兵がこの場に出向いていることには疑念を抱いてしまう。

 先の掲示物の内容も踏まえると、彼等に何かしらの使命や目的意識があることは間違いないだろう。

 続いてクロスは、倒れ呻き声を上げる武装駐兵の一人へと近寄り、事情を聞こうと試みる。

「大丈夫か? 意識はまだあるな――どうしてお前たちが此処にいる?」

「うぅ……、――頼む、あの逃亡者を……何としても捕らえてくれ……」

 疲弊し負傷した状態であるからなのか――、相手は念頭にある事柄しか口に出せない様子であった。


 ――逃亡者……。やはり、先程見た書面の人物を探していたのか……。


 そうクロスが胸中で呟き、これ以上の聴取を諦めようとした時、薄暗い通りの先に――まだ他の兵士たちが何者かを取り囲む人影の群集に気づく。

 此度聞こえてきた叫び声や救援の声――その危機的事態を招いた元凶、逃亡騒動を起こした張本人がおそらく其処に存在している……。

 クロスは一度――介抱中のレインへ目配せすると、先へと進むことを選択する。

 頷く彼女の眼差しから警戒を求められると、彼も気を引き締め直した。

 それから地を蹴って彼が群集へと接近すると――、進行方向から吹き飛ばされた兵士らとすれ違うという異様な事象が起きる。

 そのことから逃亡者と兵士らの間には明確な力量差があり、また数で有利ながらも未だ捕縛できていない事実からも――、騒動の中心人物は圧倒的な戦闘能力を有していることが推察できるのであった……。

 そして――、

 逃亡者との接触の瞬間。その単独犯を数多の兵士が包囲する――殺伐とした空気に支配された戦場へと至る。

 最も注意すべき逃亡者のその外見は、全身を外套――と言うよりも、おそらく投棄物であろう布切れで覆い隠した姿であることが視認できた。

 その手に固く握り締めるのは、身の丈ほどの斧槍。自身が扱う【元素】により物質化されたそれは――黒と紫とが混在した色合いをし、鋭い刃身は光沢を放っている。その長物の武器を巧みに操り、一切の外敵を近づけさせない格好が窺えた。

 厳めしい兵士らに取り囲まれながらも――強い反抗心を見せる逃亡者。

 その外套の隙間からは肌に張り付いた検診衣と素足が覗け、まだ施設から逃走して間もない事や、捕縛され連行される事を拒む意思が分かった。

 見目と状況上、この人物こそが――〈元素研究所〉が血眼で探し回っている対象で間違いはないのだろう。

 とはいえ、その想定外の相手の背格好を見受けてクロスは訝しく目を細める。

 ――それにしても……、随分と小柄な体つきだな。

 ――とてもじゃないが、これまでに見てきた数多の兵士たちを返り討ちにした人物には見えない。

 ――だとしたら基本的な身体能力の他に、秘めた特殊能力を備えている可能性が高いだろう。

 現在に至るまで多くの兵士を打倒しているその事実から――それなりの屈強な大男を予想していた彼であったが、その外見だけでは知れない隠された戦闘能力が相手にはあると警戒を強めるのであった。


 街中が夕闇に染まり街路灯が点く時間帯。未だ帰路につく人々の往来がある。

 今回の騒動の現場においても、何事かと周囲の通行人が興味本位で集まり始めるが――、

「皆さん、この場は非常に危険です! 直ぐに此処から離れてください――ッ」

「あれは……『心の繋ぎ手』様か。――皆、早く自分の家へと避難するんだ!」

 そうレインによる注意喚起の声が響くと――流石は〈心都〉の代表者と言ったところか、都市の住民は従順に指示を聞き入れるのであった。これで余計な民間人の被害者を増やさずに済むだろう。

 それから大方の負傷者への応急手当を終えたレインは、一足先に騒動の渦中へと向かったクロスの後を追って駆け出すのであった。


 逃亡者の全身から立ち昇る――禍々しい紫色に染まった【元素】のオーラ。その強大なる妖気は自身を包囲する敵対者に対し、強烈な牽制となっていた。

 またその奇異なる力の行使を受けてクロスが、人知れず思案する姿を見せる。

 ――紫色の……、【元素】……?

 ――初めて見るが、相手は【特異元素能力者】ということか……。

怖気立つような毒々しい瘴気にあてられ、戦慄し狼狽する兵士ら。

続いて逃亡者は追い打ちを掛けるようにして脅迫の言葉を発する。

「――まだ追ってこようとするなら……、次は殺すわよ――ッ」

 放たれる威圧と殺意が込められた警告。次いで更なる威嚇のため、逃亡者がオーラを大放出すると共に得物を振りかざすと――その余波によって頭部を覆っていた外套のフードが背後へと落ちる……。


 露見するその顔貌――何と目先にいたのは、まだ年若い少女であったのだ。


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