第7話 反逆の双眸 4話

 遂に明かされた逃亡者の正体……その少女の外見上で最も特徴的かつ強調される部分は、紫紺色の頭髪と凶悪と獰猛を色濃く表した瞳――『奸邪の魔眼』と呼称される瞳孔が縦に割れた双眸であった。

 その眼光を反映させたかのような――彼女の纏う殺気は、今この時も周囲の兵士らを近寄らせない圧迫感を与えていた。

 またしばらく睡眠を取っていなかったのか、その逃亡者――〝紫紺の少女〟の目元は窪み、濃いクマまで浮かべているのが見て取れる。しかしながらそんな疲弊し切った状態でも尚、前髪の隙間から覗く眼からは屈せぬ反抗の意思が伝わってきていた。

 とはいえ、その危険人物の慮外なる容姿に皆は驚きを隠し切れなかった……。


 ――女……しかも、まだ子供……?


 そうクロスが内心にて疑問の声を漏らすと――、自分の記憶の中に何かしらの引っ掛かりを覚える。

「――だが、アイツは……、」

「――御存知なのですか?」

 独り呟きを漏らすクロスに対し、遅れて横に並び立つレインから問いの声が掛かる。

「いや……知りはしない、な」

「――? そう、ですか……」

 そんな彼の曖昧な反応に対し、彼女も多少の疑念を覚えるが……とはいえ、逃亡者を眼前にして余計なことに思考を割く余裕は無い。再度、目標の少女へと意識を集中させる。

 頭髪を短く切り揃えられた紫紺の少女。おそらく年齢はレインよりも若いだろう。

 そのように相手の風体から性別や年頃などの情報が知れると、年少である彼女の『奸邪の魔眼』が、実年齢と不釣り合いなのがより顕著となって感じられた。

 猜疑心や敵対心などの黒い感情に染まる少女のその立ち姿を見、『心の繋ぎ手』であるレインは顔を曇らせた。

 しかしそのような感傷も瞬時に切り替え、彼女は毅然とした態度を以て少女の前へと歩み進んだ。

 そんな彼女の行動に対し、少女を包囲した兵士らも大人しく引き下がる。

「あっ……貴女は、レイン様――」

「――ちッ、『心の繋ぎ手』か……」

 この都市の首長である彼女へと、従順な姿勢を見せる自衛警備隊の兵士たち。

 一方で〈元素研究所〉に所属する武装駐兵らは、彼女の想定外の登場に対して不都合そうな反応を見せた。


「私は――、〈心都〉の統治機関に属するレイン・ウォーフェアキャンセラーと申します」


 先ずは自らが名乗り、錯乱する場の空気を一旦落ち着かせると――、都市全体の治安を懸念する公人の立場として発言を続ける。

「これから貴女を――、傷害行為の現行犯として逮捕します。どうか抵抗せず投降してください」

 そう真摯な言葉を以て相手を配慮すると共に、改めて抗争終結の機会を与えるレイン。

 だがしかし、紫紺の少女は更にその猜疑心を深め、従順となる態度は見せなかった。

 そんな少女の頑なな反応を見受けたクロスは――静かに息を吐き捨て、人知れず胸中で参戦の覚悟をする。

 すると次の瞬間――皆の動きが止まった状況を狙い、少女がその『奸邪の魔眼』を大きく見開き、暴力的な凄みを放散させた。


「――くぅぅ……ッ!?」


 直後、窒息するほどの強暴な圧力が一帯を支配し、周囲の兵士らの身体が石化したように硬直――身動きが取れぬ恐慌状態に陥ってしまう。

 そのまま耐え難い重圧の時間が経過すると――気絶する者が続出。辛うじて意識を保った者も酷く畏怖し、敵前でありながらも片膝を地に突く姿を晒す。

 彼我の圧倒的な力量差を知覚させられ、皆の戦意が挫かれる。屈強な兵士であれ生半可な実力者では、この紫紺の少女には太刀打ちできないのだろう。

 そんな渦中において、心身共に平常を保ち動ける者はレインと――、

「――クロス、動けますか?」

「ああ……、驚きはしたがな」

 その強暴に抗うだけの精神力を持ち、当初から相手を警戒していたクロスであった。

 そして二人は互いに一瞥し合い、無言の意思疎通を図ると――皆の先頭に立ち少女と対面していたレインが後方へと駆け出し、その位置を入れ替えるようにしてクロスが前進したのであった。

 一方では、まだ行動可能な者が残る現状に――気を引き締めた少女が得物を構え直す。

 また戦闘時において決して敵方の隙を見逃さない少女は、此方に無防備な背を向けるレインへと狙いを定め、手元に持つ斧槍を掲げて突進を開始した。

 だが次の瞬間――そのレインへの奇襲を阻むようにして、クロスが少女の正面へと躍り出る。

 と同時に、己の得物を持つ相手に倣い――彼も【元素能力】を急速発動。全身に橙色のオーラを纏うと、自身の足元で黒色の影が蠢く。

 生じた影の中身は砂鉄。地面に敷かれた石畳の隙間からその素材を吸い上げ、任意の武器を生成――そうして完成したのが、彼の主要武器である〝砂鉄の黒刀〟であった。

 造形したばかりの得物を握り、迎撃の構えを取る彼――。

 対して突如介入してきた男へ、その注意を移す少女――。

 そして突進の勢いのままに――、互いの刀身同士が衝突。そのまま相手を押し込もうと力を籠めた少女であったが……彼は受け太刀の状態を保ち、その威力に押し負けることはなかった。

 その最初の一合を以て相手のクロスが、他の兵士らと同じ弱者ではないことを察知した少女は――一度、後退して体勢を立て直す。

 依然として緊張した空気の中、両者が互いに相手の挙動を注意深く窺う時間が流れる。


「……―――ッ」


 睨み合い対峙するクロスと紫紺の少女。その一方ではレインが、昏倒する兵士らの中から重傷者を選別し、先と同じくして【元素能力】による応急治療を始めていた。

 先程は無謀にも二手に分かれた彼と彼女であったが……その実、互いに連携を取り合い〝敵を引き受ける役〟と〝負傷者を治療する役〟に分かれ、各々がその役割を果たしていたのである。

 処置をせず手遅れになる負傷者がいるかもしれない現状――医師であるレインは治療を優先すべき立場にあり、また彼女の性格上においても他者の窮状を看過できないのだ。


 両者共に武器を構えて相手を観察する――クロスと紫紺の少女。

 このまま膠着状態がしばらく続くと思われたが……これ以上の増援を嫌ってか、先に初動を起こしたのは少女の方であった。

 空中に外套を置き去りにするほどの神速の接近を見せると、そのままの勢いを以て鋭い袈裟斬りを彼へと放つ。

 対して彼はその速く重い一撃を見極めると――巧みに黒刀で捌いて見せる。すると少女が身体を器用に回転させ、間断なく次の追撃を叩き込んでくるのであった。

 己の武器である長物の遠心力を利用し、広範囲を薙ぎ払う斬撃――石突きからの刺突を繰り出すなど、隙の無い多様な連撃を仕掛けてくる。

 そんな暴威を纏った凶刃に対し、彼も果敢に応戦。即座に反応しての太刀捌き、或いは紙一重の回避を以て――強者である相手と渡り合うのであった。

 激しく拮抗する攻防。互いに卓越した身体能力を持つ者同士の――一進一退の戦闘が繰り広げられる。

 絶え間ない武器衝突により弾ける火花――甲高い金属の擦過音が辺りに響き渡る。

 依然、息を呑むような接戦が続くが……とはいえ、クロスは辺りの負傷者や治療中のため無防備でいるレインから――敵対者である少女の注意を引きつけ、一騎打ちの戦闘に専念させることに成功しているのであった。


 戦闘開始から数分が経過すると、少女側の攻勢に明らかな変化が生じ始める……。

 要因としては、目に見えて分かる――その少女の疲弊であった。

 長引くクロスとの戦闘中――得物を振るう少女のその表情にも焦燥が窺え始め、全身に汗を滲ませながら闘う姿には、もはや一切の余裕が消え失せている。

 そして更にその動きが鈍重なものになると――、彼女は堪らず後退してしまう。

 しかし相手から一旦距離を置いたことはよいものの……遂には臨戦態勢を維持することすら叶わず、手に持つ斧槍の石突きを地面に突き刺すと――柄の部分に自身を預けるような体勢となってしまった。

 至る心身の限界点。直後、得物の物質化が解け【元素】へと還元――空気中に霧散。すると身体の支えが無くなった彼女が崩れるようにして地に両手と両膝を突いてしまう。

 その様子から、少女が【武装化】を保持する力さえも消耗し尽くしたことが分かる。

 唐突に訪れた激闘の幕切れに、クロスは困惑しつつも無事の決着に安堵した……。

 無論であるが、彼女を討ち取ることが目的ではないので――ここで追撃の止めを加えるような真似はしない。

 しかしながら……よくよく思い返せば、当初から紫紺の少女は薄汚れて疲労困憊の状態にあった。

 憶測になるが不眠不休の逃走劇からの――己を追跡する兵士らに続きクロスとの連戦。また女子供の体力であることからして、この敵前の場面にて力尽きたとしても必然の成り行きと言えるのだろう。

 因みに【元素能力】の行使には、『心力』が消費される。故に術者に内在するその精神力が尽きた時、【元素】の自在操作が不可能となり、一切の能力が使用不可となる。

『心力』が枯渇する要因としては長時間における能力の連続使用であり、また術者の身体的疲弊や心因的過負荷によって意識の集中力を欠いた場合も、能力が発動できなくなるのであった。

 そして……。

 憔悴を隠し切れない身体を引き摺る少女の元へ――クロスが歩み寄ると、倒れながらも彼女は此方を睨み見上げ、屈せぬ反抗の意思を見せるのであった。


「……アタシに触れたら、殺す――から……ッ」


 虚勢の威嚇。肩で息をする少女はそれでも気を張り、拘束されることを頑なに拒否する姿勢を示す。

 とはいえ、ずっと猛威を振るっていた逃亡者の無力化には成功。今後の始末は公人であるレインに任せるとして――、これで自分の役目は終えたと言っていいだろう。

 ようやく緊張が解けて溜息を吐くクロス――しかし彼は依然として、その力を喪失した少女に対しても、握る黒刀を手放すことはしなかった……。

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