第5話 反逆の双眸 2話


 日没の頃。煉瓦造りの家々から窓灯りが漏れ始める時間帯。

 街中で買い物を終えたクロスが、品物入りの手提げ袋を持ち帰路につく。

 すると彼が行く手に――、ふと見知った人影があることに気づいた。

 近づくにつれて段々と明瞭となる姿形。それから目に捉えたその人物が明確に視認できると、気にかけて声掛けを行う。


「こんな所に一人で……何かあったのか? レイン」

「こんばんは、クロス。今朝ぶりの再会ですね――」


〈心都〉の代表者たる『心の繋ぎ手』レイン・ウォーフェアキャンセラー。

 一人で佇立する彼女の姿を見、その状況に疑問を抱いたクロスは続いて問い掛ける。

「……、あの口煩い専属の護衛騎士は付いていないのか?」

「現在は私一人です。既に公務は終え、帰宅中でしたので」

 そうか……、と納得した彼は、要人であるはずのレインへと気安い態度を続ける。

 本来この都市の最高位である『心の繋ぎ手』に対しては、その姿勢を正し敬意を払う必要があるのだが――それも彼女本人の意向により、友人として対等の関係を許されていたのであった。とはいえ彼の方も個人の付き合いと、公共の場における貴人への礼節は弁えているつもりである。

 続いて彼が、彼女が眺めるその目線の先へと注意を向けると――道端に設置された公用の掲示板が視界に入った。

 そして其処に貼り付けられた二つの書面に目を通すと……、思わず声を漏らしてしまう。


「――、これは……ッ」


 先ず一枚目の書面には――、

〝〈巡風の君国〉東側の丘陵地にて【巨大竜巻】が発生。現在、その勢力を拡大しつつ北上中、当該地域と予想進路上に近づかぬよう留意ください〟

 ――と記されていた。


 その物々しい内容を読み取ったクロスが険しい顔になると、場に不穏な空気が漂う。

「【巨大竜巻】、か……。大規模【星災】の可能性は――?」

「どうでしょう……、現時点での判別は困難だと思われます」

「そうか――、ただ気掛かりではあるな」

 はい――、と神妙な面持ちで頷いたレインは、更に真剣となった声質で告げる。

「このまま北上を続ければ……、いずれ〈業火の帝国〉の首都へと到達し、甚大な被害をもたらす危険性が出てきます」

「〈業火の帝国〉……、あの精強な軍隊を有する大国と言えど、油断できない事態だな」

「既に帝国側も【竜巻】の進路には注意し、到達時の対応策についても協議しているとのことです。――無事、危機回避してくれればよいのですが……」

 クロスとレインは共に懸念を抱くと、その凶兆なる一報を憂慮するのであった。


 次いで二枚目の書面については――、この都市内にある機関の一つ〈元素研究所〉からの伝達である。

〝当方管轄下の研究施設から被験者が逃亡――不審者を目撃した場合は、即刻〈元素研究所〉まで通報を求める〟

――という主旨となっていた。


「――? 此方の書面については、具体的な詳細が全く書かれていないな……」

「読み取れる内容としては……現在、都市内部にて逃亡者が潜伏している――、ということだけですね」

「被験者による脱走事件といったところか……とはいえ、これでは詳しい経緯が分からないし、相手の容姿も知れない。逃亡中のため凶暴化している可能性もあるだろう」

「――私も、この事柄については把握していません。〈心都〉の統治機関にも情報は届いていませんし、当然掲示物の申請も受けておらず、許可も出してはいない」

「……ならば、研究所側が独断で動いているということになるな……」

 何かしらの不穏な思惑が感じられる挙動。逃亡者の早期捕縛を目的に広く情報を欲するが、決して大事にはせず内々で処理しようとする――そんな薄暗い相手側の意図が感じられた。

自然とクロスは顎に手を当て、この事件の背景を推察するようにして沈思を始める……。

 すると彼の手袋の隙間から覗けた――その手首に巻かれた包帯へとレインの目が行く。

「――クロス、その手は負傷をされたのですか?」

「ん? ああ、ちょっとな……」

診せてください――と言い、レインが彼の手を取ると、彼女のその手から淡い桜色の光が発する。

 優しく温かな燐光。それにより手首の患部が包まれると、彼の負傷が瞬く間に全快してしまう。

 無論それは偶然の奇跡などでは無く――、彼女特有の【心命】属性による治癒能力が発揮された結果であった。

「これで、もう大丈夫です」

「ありがとう、助かったよ」

 柔和に微笑んだ彼女がそう述べると、彼も素直に礼を返した。

 するとようやく、二人の間に和らいだ空気が流れ始める――。

 しかしその時――、


「うわああああああぁぁぁァァァ!!」


 市街地の大通りの方角から、大きな叫び声が聞こえてくる。

その不吉を含んだ大声に、クロスとレインの両者は即座に反応すると警戒を強めた。

 何かしらの騒乱の気配。先に話していた掲示板の内容からも、二人の脳内に悪い予感が頭をもたげる……。

 次いで間を置かず――、


「増援だぁ! 増援の兵を呼べぇぇ――ッ!!」


 今度は明確に助力を求める声が聞こえてくる。

 またその台詞から発声者が男性の兵士であり、鬼気迫る焦燥と緊張の状態にあることが伝わってきた。

 すると条件反射の如くレインが、その声が発せられた方角へと向き直り、駆け出すための体勢を取る。

 それから急ぎ救助に向かうべくその足を踏み出すが――一度思い止まり、無言のまま振り返ると、クロスへと乞うような眼差しを向ける。

 その彼女の瞳には、彼の協力を求める思いが込められていたが……とはいえ、此方から同行を強いるわけにもいかず、彼の任意による判断を待つ――そんな様子が見て取れる所作であった。

 一方の彼はというと、自身の間の悪さに頭を抱えるような仕草を見せていた。

 本来、一般人である彼には危険が伴う現場へと同行するような協力義務は無い。とはいえ道義的に困窮する者を見捨てるわけにもいかないのだろう。

 また、立場上事態対処に向かわねばならないレインからの求め――此方を信頼しての慎ましい願いを無下にしたくはない思いもある……。

 おもむろに彼が肺に溜まった空気を吐き出すと、手荷物を邪魔にならない道端に置く。


「――分かった、行こう」

「ありがとうございます」


 言下、クロスの協力を得て意気が揚がったレインは勢いよく地を蹴り、二人は騒乱の現場へと急行するのであった。

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