第38話 対決(後編)

 星原の言葉に一瞬沈黙した柴崎は苛立ちながら「ば……バカバカしい!」と吐き捨てた。


「ほう? では実際に部員に聞いてみましょうか。あの魔女のロッカーの噂を誰から教えてもらったのか」


 柴崎は威嚇するように普段より大きい声をあげながら、薄ら笑いを浮かべつつ自己弁護をつづける。


「いいか。お前の言っていることは矛盾しているんだ。仮に。仮にだ。幡ヶ谷が盗撮の犯人でなかったとして、かつ犯人が誰か知っていたなら。なんでそれを言わなかった。部員たちに真犯人が誰かを言えば部活を辞める必要もなかっただろう?」

「ああ。そんなことですか。簡単ですよ」


 星原は心底呆れたとでもいうようにため息をついた。


「四年前、幡ヶ谷さんが犯人とされた理由の一つに『盗撮写真の中に彼女が写ったものが一枚もなかったから』というのがありました。確かに彼女だけが映っていないというのは不自然ですが、流出しなかっただけで実は彼女も盗撮されていたのだとしたら? いやむしろ、犯人の目当ては、犯人が最も取りたかった被写体は、他のどの部員でもなく『幡ヶ谷さん自身』だったのだとしたらどうでしょう」


 柴崎はぐ、とうめくような声をあげる。その表情は焦りと怒りで歪んでいた。


「そう。幡ヶ谷さんは犯人に弱みを握られていたことになる。だから彼女は犯人であるあなたをその時告発できなかった。こう考えると、写真を盗撮していながら『幡ヶ谷さんの写真だけ』流出させなかったことにも意味がある。つまりあなたは以前から、容姿端麗な幡ヶ谷さんに特別な感情を抱いていた。しかし生徒である彼女は一回り以上年が離れたあなたを恋愛の対象としては見なかった。そこであなたは代償行為として彼女の着替えている写真を盗撮した」


 星原の目はここでさらに強い怒りの色をにじませていた。


「しかしその後あなたは彼女を自分のものにする計画を思いつく。彼女を盗撮した際に写っていた他の部員たちの写真をネットに流出させて、彼女が疑われるように仕向けたんです。その後彼女とあなたがどんなやり取りをしたのかはわからない。『自分に従えば部員の疑いを解いてやる』とでもいったのかもしれませんね。でも彼女は結局あなたの意のままにならなかった。業を煮やしたあなたは自分のカメラを彼女のロッカーに仕込んで完全に犯人に仕立て上げたんです」

「な、な。お前」


 柴崎が反論しようともごもごと口を動かすが、それは形にはならないようだった。


「何にせよ、幡ヶ谷さんも犯人に盗撮されていたんですよ。だからこそ幡ヶ谷さんは何も言わずに去ったんです。犯人を告発したら報復として自分の写真もネット上に流されてしまうかもしれない。さりとて告発もせずに演劇部に居続けるためにあなたに身を任せるのも耐えられなかった。それならば自分が犯人扱いされて学校を去る羽目になったとしても写真をバラまかれないほうがましと考えたのですよ。自分があなたの前から姿を消せば、あなたの脅しも意味をなくす。仮にあなたの言いなりになって疑いが晴れても、部の雰囲気が元に戻る保証はない。もうこの学校で自分の望む形で演劇をつづけられないなら、辱めを受けてまでこの学校にいようとする必要はない。学校を去ってでも自分の尊厳を守りたかったんでしょうね」

「……うう」

「けれどもあなたは、犯人役として彼女が退場したことで『こうなればもう部員が盗撮を疑うことはなくなった』と開き直ったのか、その後も部室にカメラを仕掛け続けた」

「だ、黙れ」


 柴崎は震える声でぼそりと呟いた。


 それに構わず、星原は再度『魔女の九九』が描かれた紙片を取り出して柴崎に突きつけた。


「この文章の引用元、戯曲『ファウスト』において、世界で最も美しい瞬間を願った主人公が悪魔メフィストフェレスに騙されたときに何と口走ったかご存知ですか? 『時間よ、止まれ。汝は美しい!』……女の子の着替えを写真にとどめようとしたあなたにはとんだ皮肉ですね」



 彼女は冷笑しながら続ける。


「もっとも自分の中の悪魔に耳を貸して欲望に身を任せたあなたには、ファウスト博士のように天国の乙女の救いなんてありませんけどね」


 だが柴崎は落ち着きを取り戻そうとするかのように首を振って、星原の方を見やりながらニタリと笑う。


「何の証拠があるんだ?」

「は?」

「魔女のロッカーの噂を流したのが私だったとしても、たまたまその幡ヶ谷の残した文章に私の名前が偶然読めるように入っていたとしても、それで私が犯人ということにはならないじゃないか。何か物的な証拠があるのか?」

「ありませんでしたね。確かに」

「そうだろう」

「昨日までは」

「何?」


 星原はポケットから携帯電話を取り出してみせた。画面にはある写真が表示されている。それは演劇部室で人形からカメラを取り出して、中のメモリーカードを取り出そうとしている中年の男。柴崎の姿だった。


「昨日から演劇部は衣装を着てけいこをするようになったそうですね。それならば、盗撮した画像データを回収しに来るだろうと思っていたんです。そこで私の友人に演劇部の部活が終わった後こっそりカメラを仕掛けて、あなたが回収しに来るところを撮影してもらうよう頼んだんですよ」

「な、なぜ。そんなものを持っているならなぜ最初から出さなかった……」


 柴崎は目を大きく見開いて呆然自失になりながらそんな声を漏らした。


「あなたを直接問い詰めて、その罪を認めさせたかったからです。私はあなたが許せない。盗撮したことじゃありません。私が……、私が! いっとう頭にきているのは! 手前勝手な欲望を満たすために! 自分の夢をかなえようと努力している少女の気持ちを踏みにじったことよ! この下衆げすが!」


 あの物静かな星原がここまで声を荒げるとは思わなかった。普段の星原は基本的にマイペースで自分に興味のあること以外にはあまり関心を示さない節がある。僕らが何か身の回りのトラブルを解決しようとするときも、アドバイスしたり知恵を貸してくれることはあるが、実際に解決するために動くのは僕だった。


 だが今回に限り、星原は自分自身で直接問題に立ち向かおうとしている。最初はその理由がよくわからなかったが、今ならなんとなくわかる。小説家を目指していた星原は同じように目標に向かって頑張っていた幡ヶ谷という少女を自分と重ね合わせていたのだ。


 だがそんな彼女の決意も目の前の盗撮犯には癇に障る挑発でしかなかったようだ。


「うるさい。……うるさい、黙れ! その画像……よこせ! クソ餓鬼が!」


 柴崎は激高して星原につかみかかろうとした。乱暴にこぶしを握り締めて星原の顔面に手を伸ばそうとする。唐突な展開に星原も驚いたのか、動けないようだった。


 その瞬間、僕の全身の血液が沸騰した。演劇部室の衣装のハンガーラックの陰に僕は身をひそめて様子をうかがっていたのだった。小柄なのが幸いして、柴崎は僕の存在に気が付かなかったようである。


「星原に触るな!」


 僕は考えるよりも前に柴崎に向かって叫びながら弾丸のような勢いで体当たりしていた。


「な。お、お前はこの間部活に来ていた……」

「指一本でも触れてみろ! 地獄を見せるぞ! この野郎」


 だが悲しいかな僕の体躯でできたことは、自分よりも一回り大きい柴崎の体を一瞬押しとどめるところまでだった。


「調子に乗るなよ! 餓鬼が!」


 柴崎はあっさりと僕を引きはがし、そのまま壁に叩きつけた。


 一瞬息が止まり背中に鈍い痛みが走る。目の前の暴漢を止めなくてはいけないのに、ふらついて立ち上がれなかった。くそう、と僕は自分の非力を内心嘆く。


 その瞬間、ドアが開いて援軍が駆けつけた。


「よく言った! 恰好いいじゃない! 月ノ下!」


 さながら突風のように部屋に飛び込んできたのは日野崎だった。


「なっ?」


 驚く柴崎に向かって、躊躇なく日野崎は回し蹴りを腹に叩き込む。


「ぐえっ!」


 カエルのような声をあげた柴崎は腹をおさえて座り込む。


「部員のみんなを不安にさせたばかりか盗撮とはね。あんたみたいな奴は絶対許さない!」

「俺もいるぜ」と明彦が後から部屋に入ってきた。


 一応、柴崎が血迷って星原に危害を加える可能性も危惧していたので、僕だけでなく日野崎と明彦にもドアの前で待機してもらっていたのだ。


「実は俺も最初からこいつのことは胡散臭いと思っていたんだ。見学に来ただけの俺たちをいきなり覗き魔扱いしたからな。あれは自分がやりたいから他人もそうに違いないと考えて発言した自分の欲望の裏返しだと思っていた。……そのくせ日野崎の衣装が汚された時には、その場にいた部外者の俺たちを疑おうともせず、さっさと場をまとめようとしたからな。何か見られたくないものがあってロッカーを使わせない方向に結論を出したかったんじゃないかと疑っていたんだよ」


 おお。若干私怨も入っているが割とまともな推理だ。


「あたしもこいつが犯人なんじゃないかと思っていたよ。だってこいつの目つき、気持ち悪くて生理的に無理だもん」


 それは推理じゃないぞ。日野崎。


「貴様ら。……こんなことをしてただで済むと思うな」


 柴崎が怒りと憎悪がこもった目で僕らをねめつける。


「いや。ただで済まないのはあんたの方だろ」


 明彦がボソッとつぶやくが、聞こえないかのように柴崎はゆらりと立ち上がった。


「全員、退学にしてやる。教師である私を犯人扱いして呼び出した挙句に暴力を振るった。お前らみたいな子供と大人の証言、どちらが信じられると思っている?」


 柴崎はこれまで英語教師として信頼のある演劇部顧問としてふるまってきた。おそらく品行方正に振る舞い、周りを欺くことに自信があるのだろう。そして世の中は二つの見方がある時、最初に先入観を植え付けた方が信じられる傾向がある。


 もし柴崎が自分の嘘にまみれた言い分を先に教師たちに触れ回ったら、星原の持っている柴崎の写真も意図的に作られた偽物として扱われるだろう。


 ……もっとも僕はそれをさせるつもりはなかったが。


「柴崎先生。あなたには悪いが、私は生徒たちを信じる」


 部屋に入ってきたのは、髪を撫でつけて眼鏡をかけた厳格な雰囲気の壮年の男性。四谷先生だった。


「な、なぜ。主任がここに」

「生徒に今日、どうしてもこの間演劇部で起こった事件のことで相談があるから来てほしいと頼まれてね。つい先ほどから話を部室の前で聞かせてもらったわけだ」


 明彦が笑顔で僕に親指を立てて見せた。念のため明彦には柴崎が部屋に入った後で四谷先生を呼んできてもらう役目を頼んでいたのだ。一応僕からも四谷先生に「もしかしたら四年前に起こった幡ヶ谷さんの事件に関係しているかもしれないんです」と事前に話はしてあった。


「柴崎先生。彼らが言ったことは本当ですか」

「ひっ」


 四谷先生は学年主任であるし、柴崎より立場は上だ。上役にすごまれては流石に余裕を装うことはできなかったらしい。汗をだらだらと流しながら言い訳を始めた。


「いや、これはつまり。彼らが誤解をしていて」

「しかし、あなたが人形に仕込んだカメラから画像を回収しているところがこの通り写っているようですが」

「う……」

「答えてください。あなたが、あなたが四年前に幡ヶ谷に……幡ヶ谷礼香はたがやあやかに罪を着せて部活と学校から追い出したんですか」


 柴崎は観念したのだろう。無言で頷いた。


 四谷先生はそれを見て悔恨の情をかみしめる表情になった。


「そうか。……私が、私があの時、気が付いていれば。力になってあげていれば」


 四谷先生は柴崎の腕をグイッとつかんで引き起こした。柴崎がヒッとおびえた声をあげる


「私はあの子を守ってやれなかった。ならせめてこれからできることをさせてもらう。……柴崎先生。今度の職員会議であなたの処分を決めさせてもらいます。それまでは自宅で待機していてください。いいですね」


 そう言って手を放すと、突きとばすかのように柴崎を部室の外へ押しやった。柴崎は何も答えず死んだような無表情で部室を後にした。


 四谷先生は僕らの方を見やると、やれやれと苦笑いをした。


「本来なら、教師に暴力を振るうなんてのはもってのほかなんだがな。今回ばかりはもしお前たちがやっていなかったら私が手を出していたかもしれないからな。……何も見なかったことにしておくから、今日は早く帰れ。いいな」

「はい」

「……どうも」

「はーい」

「あざーす」


 僕らはそれぞれ挨拶をして部室を後にする。


 ホールから校舎に続く廊下に出たところで僕らは互いに顔を見合わせて、一息つくと笑った。


「どうにか上手く行ったな」

「ええ。正直人形からカメラを取り出す写真にしても、ぱっと見には人形をいじっている場面にしか見えなかったしね。内心この場でしらを切りとおされて、証拠を隠滅されたらどうしようかと思っていたわ」


 星原も安堵したように顔をほころばせた。


「……しかし星原があんなに声を荒げて激怒するとはね。なんだか意外な一面を見た気分だよ」

「そりゃあお前だろ」と明彦が言った。


 うんうん、と横で日野崎も頷く。


「『地獄を見せるぞ! この野郎!』ねえ。キレるときはキレるんだねえ。あんたも」


 ああ。そういえば、さっきは柴崎が星原に乱暴しようとしたのを見てつい僕も我を忘れていた。


「そういや、星原が何でこの一件に絡んでいるんだ? ロッカーの件とか謎を解いてくれたのは星原なんだろうけどさ。真守に頼まれたってことか?」


 明彦が唐突に尋ねる。そういや、明彦に星原との関係を説明したことはなかったんだよなあ。明彦は気の置けない友人だと思っているし別に隠すつもりはないが。なんと説明したものか。判断に迷った僕は当たり障りのない言葉を並べてしまう。


「え。ああ。そうなんだ。星原は色んなことに詳しくって、こういう時に頼りになるんだ」

「へえ。いつの間に話すように」


 日野崎がそこで明彦をこつんと小突いた。


「そんくらいにしときなよ。野暮だよ。雲仙」

「え。でもそれって、つまり」


 日野崎はそれ以上明彦に言わせず腕をぎゅっとつかむと引きずるように、教室の方へ歩き始める。


「今日はあんたはあたしと帰りなよ。ほら嬉しいだろ。こんな美人と一緒に帰れるなんて。喜びなさいよ」

「自分で言うか? そりゃまあ、日野崎は美人だけどさあ。俺が今気になったのは」

「いいから、ほら」


 そういって日野崎は僕らにウインクを一つして、明彦を連れて去っていった。


 残されたのは僕と星原の二人だけだ。


「……とりあえず、カバン取りに行きましょうか。月ノ下くんも教室に置きっぱなしなんでしょ」

「ああ」


 星原は今の一連の流れに特に思うところはなかったのだろうか。彼女の気持ちを推し量ろうにもさっきからなぜか目を合わせようともしないので、何を思っているのか僕には皆目見当がつかなかった。

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