第36話 欠落の美

 僕らが大学に幡ヶ谷礼香の話を聞きに行ったその翌日の昼休み。


 僕はいつものように教室で明彦と雑談でもしようと思ったのだが、明彦が日野崎の席に近づいて行くのが目に入った。どうやらアヤさんから聞いた話を彼女に報告するつもりらしい。


 それにしてもここのところ僕らは何か調べては日野崎に報告、の繰り返しだな。まるで探偵と依頼人みたいだ。


「あのさ、日野崎。昨日俺たち演劇部のOBの人に会って、四年前に何が起こったのか聞いてきたんだけどな」

「ストップ」


 日野崎は口止めをするように人差し指を明彦の口もとにあてた。明彦がきょとんとした顔になる。


「当てようか。演劇部で昔起きたことっていうのは盗撮事件だったんでしょう。そしてその時、犯人とされたのが幡ヶ谷礼香だった。違う?」

「へ?」


 明彦が間の抜けた声をあげた。


「そのとおりだけど。なぜそれを?」


 僕も驚いて思わず立ち上がって、日野崎のところに詰め寄った。わざわざ大学まで行って演劇部OBを探してようやく聞けた話をなぜ日野崎が知っているのか。


 僕の問いに答えるように日野崎はごそごそとカバンから一通の封筒を取り出した。


「例のロッカー。使うのは柴崎先生から禁止されていたんだけど。どうしても気になって中を調べてみたんだ。そうしたら一番奥に貼られていた紙の裏側に『上を調べろ』って書いてあって。ロッカーの天板の内側にこの封筒が貼り付けられていたわけ」

「なんなんだ、それ?」

「反省文だよ」


 日野崎は四百字詰めの原稿用紙に書かれたその文章を僕らに見せた。反省文というタイトルのその文面は盗撮を行い同級生に迷惑をかけたことを謝罪する内容のもので「二年A組 幡ヶ谷 礼香」という名前が文頭のところに書かれていた。


「これを読む限りでは、盗撮事件の犯人扱いされて彼女は部活を追われたみたいだね。実際のところ本当に犯人が彼女だったのかどうかははっきりしないけどさ」


 日野崎は腕組みをしながら眉をしかめていた。


「だけど、なんでわざわざこんな手の込んだことをしたんだろう。反省文なら学校に出しておくものなのに、わざわざコピーしてこんなところに隠しておくなんてさ。流石に訳が分からないよ」


 日野崎の疑問はもっともだ。ロッカーに四桁数字の錠前をかけて、中には紙切れを一面に貼り付けて、さらにその中に手がかりを仕込んでまで隠しておきたかったものが、学校に提出した反省文である。


「本当だな。ここまでくると、この幡ヶ谷とかいう人はただの変わり者なんじゃないかって気がしてきた」


 明彦の言葉に僕も心中で同意するばかりだった。




「ふうん。それで私との勉強会を休んでまで得られた情報が結局、日野崎さんがすでに知っていた、と。それはちょっとした徒労だったわね」


 その日の放課後。図書室横の空き部屋で僕は数日ぶりに星原との勉強会に参加できた。


 開口一番「最近忙しいみたいだけど、私と一緒にいるよりも優先するような調べ物があったの?」とすねたような口調で責められたので、僕はここ一週間職員室で聞いた話や演劇部で起こった出来事を含めて星原に説明する羽目になったわけである。


「そうなんだよ。でも変な話だよな。その幡ヶ谷さんは結局、何だってロッカーの中に反省文なんて必死に隠していたんだろう」

「それ、見せてもらえることできる?」

「一応、日野崎に参考に写真は撮らせてもらったけど……」


 僕は携帯電話のカメラで撮影した文面を星原に見せた。


 星原は興味深そうに僕の携帯電話をのぞき込むと、縦二十マス横二十マスの縦書き原稿に書かれた文面を読み上げる。



 *  *  *



  反省文   二年A組 幡ヶ谷 礼香


  私は学校で皆に世話になっていながら、本

 当にとてつもない迷惑をかけてしまいました。

 劇の主役を自分がしたかったがために、同じ

 部の仲間たちの着替えをカメラで盗撮して、

 写真をバラまき皆の気もちを傷つけてしまっ

 たのです。どんなに謝っても許されることで

 はありません。形の上で頭を下げるより、態

 度で反省し、人としての筋を通します。指導

 してくれた先生方には申し訳ありませんが、

 こうなれば部活を辞めるよりほかありません。

 あさましい自分の心根を深く反省しています。

 今では自分の行いがどんなにみっともなくて、

 友人や家族にも顔向けできない程のひどい罪を

 犯してしまったのかはっきり理解しました。


 *  *  *


 星原は読み上げた後で腑に落ちないという顔になった。


「確かにこんな文章、わざわざ隠すほどのものとは思えないわね」

「そうなんだ。あの魔女の九九にしたって意味不明だったしなあ」

「でも、あの紙切れをカムフラージュにしていたと考えると、もしかすると見つかることを想定したうえでパッと見にはわかりにくい何かを隠したのかも」

「何かって何を?」

「そこまでは」


 彼女は降参とでもいうように両手をあげて見せた。


「だよなあ」


 流石に星原にそこまでは期待できまい。むしろ、あの何かの呪いのように思えたあの「魔女の九九」がファウストの引用だと知っていただけでも普通にすごいところだと思う。


 ああ、魔女の九九といえば。


「ところで、星原がこの間教えてくれた『魔女の九九』を使った魔方陣の書き方なんだけどさ」

「ん? あれがどうかした?」

「あれよく見たら不完全だったんだが」


 僕は授業のノートを取り出すと、この間星原がやってくれたように左上から1から9までの数字が書かれた縦三マス横三マスの正方形を書き換えてみせる。


 一番上の段には「10」「2」「3」。


 真ん中の段には「0」「7」「8」。


 一番下の段には「5」「6」「4」。


「僕もうっかりしていたけど、魔方陣というのは縦と横だけじゃあなくて『対角線上』に足しても同じ数字にならないといけないんだろ? でもこれじゃあ右上から左下は十五になるけど、左上から右下は二十一になって成立していないじゃないか」


 星原は僕の指摘にぺろっと舌を出した。


「あら? ばれちゃった?」

「わかってやっていたのかよ?」

「ま、ネタばらししてしまうと、この魔女の九九が魔方陣の書き方という解釈はあるファウスト研究家が後世になって考えたものなの」

「じゃあ、もしかして無理やりのこじつけかもしれないってことか?」

「かもね。でも意味深いと思わない? 魔女の呪文に従って作った魔方陣に一か所偽りが混じっているだなんて」

「でも、これは一から十までの数字を使って調和のとれた世界を表現したとかいってなかったっけ?」

「私はね。『完璧なもの』より『誤りが含んでいるもの』の方が正しく世界を表現していると思うの」


 星原は微笑してそう答えた。


「例えばカメラが発明されたとき、現実の映像を正確に表現するという意味での画家は価値を失った。でもそれで画家という職業がこの世から消えたわけじゃあない。むしろ写真と違って正確ではない風景を表現することで、そこに味わいを見出すようにになった。目に見えない本当の『美』というものを追求するようになったわ」

「つまり、人間が描いたものは写真と違って不正確な描写しかできないからこそ、想像して創造する余地があるということか」

 

 確かにリアルさ、正確さでは写真に絵画はかなわないが、だからこそ現実をそのまま描かずに自由に解釈できるという絵画の価値が再認識されたのかもしれない。


「ええ。不正確で不完全だからこそ、現実に存在するものよりも自分の中にある美しさの概念を表現できるということ。ミロのヴィーナスが両手が欠けているからこそ、想像の余地が生まれて人々の興味を引き付けたのと同じね。日本でも古田織部という陶芸の大家が左右対称の花生けを、味わいを持たせるためにあえて欠けさせたという逸話があるの。建築物も完璧に建材を組み合わせたものより、あえて遊びがあるものの方が柳のように揺れることで衝撃を吸収して壊れにくくなるらしいわ。『欠落の美』とでもいうのかしらね」

「ま、人間に関しても同じことは言えるかもしれないな。完璧な人間よりも欠点がある人間の方が魅力的だったり。きっちり服を着こなしているより少し着崩している女の子の方が色っぽかったり」

「あら? 月ノ下くん。私にそういう格好してほしいの?」


 星原はブラウスの前ボタンを外すまねをしながらからかうように笑う。


 しまった。口に出ていたか。


「いや、今の話はともかく! 心理学とかでもそういう考えはあるかもしれないな。嘘をつくときも、一から十まで嘘をつくより、真実の中にほんの少し嘘をついたほうがわかりづらいとか」

「ま、それはあるわね。そこで魔女の九九の話に戻ってくるわけ。真実の中に誤りという、相反する要素が含まれていることこそが世界の本質だと思うの」

「ほう。そういえば、古代中国にも陰陽太極図というのがあったな」


 中国を舞台にした漫画などではよく出てくるのだが、風水や道教で使われる白と黒の勾玉を組み合わせたマークで白い勾玉の中に黒い点が、黒い勾玉には白い点が描かれているのだ。


「ああ。万物は対照的な二つの性質に分けられる。でも互いに相反する要素が含まれていて、流転し続けるという思想ね」


 太陽の光が照らす昼間も影はできるし、暗闇が支配する夜も月と星は光る。

 同じように質実剛健な男性が女性的な繊細さを見せることもあるし、たおやかな女性が男らしい強さを隠し持っていることもある。


 明るくふるまっている人間が実は寂しがりやであったり、冷たくて厳格な人間が優しい一面を見せることもある。


「確かに人間と世界の真理を表しているという意味では似ているかもね。九割の建前と一割の真実で社会は成り立っている、なんてね」


 星原はそう言って肩をすくめてみせたが、ふと「もしかして……」と眉をしかめた。


「どうかしたのか?」

「月ノ下くん。さっきの反省文、もう一回見せて」

「これがどうかしたのか?」


 僕は星原に再度携帯電話の画像を開いてみせた。


 星原は食い入るように画面を凝視していたが、すぐに僕に携帯電話を返した。ただその数秒間で彼女の眼付きは変わっていた。ギラギラと鋭い何かがその瞳に宿っている。


「月ノ下くん。確認するけれど、もう演劇部の舞台稽古は実際に衣装を着て演じるところまで来ているの?」

「いや。えっと確か今日からだと思う」

「そう。じゃあお願いがあるの」

「な、何だ」


 有無を言わせない迫力が声にこもっていた。


「今すぐ、演劇部室に行って日野崎さんに伝えてほしいことがあるの」

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