魔女のロッカーと欠落の美

第31話 魔女のロッカー

「ねえ、どうかな。この格好」 


 目の前の少女はピタリと足にフィットしたスラックスに、青を基調にした男性貴族服を身にまとっていた。右手を腰に当ててモデルのようなポーズをとって僕たちに尋ねる。


 僕と明彦は息をのむ。


「……恐ろしいほどに似合っているな。日野崎」

「ああ。流石にうちの学年で一番男前と噂されるだけのことはあるぜ」

「ふふん。そんなに褒められると照れちゃうなあ」


 そこは女の子として喜ぶところなのか。


 僕たちが今いるのは演劇部の部室である。


 部屋の中は劇に使うのであろう色とりどりの衣装がハンガーにかけられている。また人形劇でも公演していたのか、大きめのマリオネットや小道具が段ボールに整理されて床の上に並べられていた。十人余りの部員たちは着替え用のロッカーと壁に備え付けられた鏡の前でそれぞれ脚本の確認や衣装の準備をしている。 


 僕のクラスメイト、日野崎勇美は普段サッカー部に所属しているのだが、演劇部からその容姿を見込まれて文化祭までのピンチヒッターでかまわないから劇に参加してもらえないかと数日前に頼まれた。しかもその配役というのが『ロミオとジュリエット』のロミオ役ときたものだ。


 日野崎が「せっかくだから練習するところを見に来ない?」と僕と明彦に言うので野次馬気分で普段はまず入ることのない演劇部部室にやってきたのだった。


 彼女は女子にしては背が高く目鼻立ちがはっきりしていて、しかもスポーツをしているだけあってすらりとしてスタイルもいい。だからそういうのに選ばれるのもわからなくはない。わからなくはないけど……。


「でも日野崎もどうせやるのなら女役の方が良かったんじゃないか? 男の子っぽい扱いをされるのは嫌なんじゃないかと思っていたんだが」

「それはそれ。これはこれだよ。役者になってほしいと頼まれたら悪い気はしないもの」

「でもサッカー部の方もあるんだろ。同じ部の連中からは何か言われたりしなかった?」

「板橋たちのこと? あたしが演劇部にロミオ役を頼まれたって聞いたら涙を流しながら『ぜひ見たい! 写真撮らせて!』って諸手を挙げて背中を押してくれたね。大会も終わったところだったし」

「さいですか」


 うちのクラスの女子サッカー部員たちは熱心な日野崎の信奉者だったっけ。一時期嫌われていたのがウソのようだ。


「本当に無理を聞いてもらってごめんね。でも、日野崎さんがちょうどイメージにぴったりだったの。顔だちもはっきりしているし、スタイルもいいし」


 横から声をかけたのは二年A組の烏山美晴からすやまみはるという女子生徒だった。


 背が小さいがどことなくふくよかで、愛嬌のある雰囲気の少女だ。ものすごい美人というのでもないが案外こういうタイプの子が好きな男子はいるだろうな、と僕は内心思った。


 ちなみに日野崎を見そめて演劇部のピンチヒッターにスカウトしたのは彼女である。部長でもある烏山さんはジュリエット役で赤い色のドレスを優雅に着こなしていた。


「本当だね。美晴が惚れ込んだっていうのもわかる気がするよ」


 烏山さんの隣でうんうんとうなずいたのは、仙川弘美せんかわひろみという同じく二年A組の女子の演劇部員だ。女子にしては少し背が高く、顔だちも整っているが日野崎とはまた種類が違う。理知的な印象が強い雰囲気だ。大人になったらキャリアウーマンになりそうな気がする。


「いよっ! もてるねえ」と明彦が茶々を入れる。


「日野崎さんが連れてくるって言っていたお友達って君たちなの? 日野崎さんに特定の親しい男の子がいるなんてちょっと意外」

「うん。まあ、何回か世話になったことがあるんだ。こうみえて頼りになるところもあるんだよ?」

「へえ」


 日野崎の言葉に烏山さんはまじまじと僕らを見た。


「何でも言ってきてくれ。金と勉強と健康問題以外なら力になるぜ」


 明彦が親指を立てながら言う。


 それだと世の中の悩みの半分は除外されてしまうけど。でも人に頼られることに慣れていない僕としては、そんな風に評価されるとなんかかしこまってしまうな。


 とその時、後方でガラっと扉が開く音が響いて威圧的な声が割り込んできた。


「誰だ、お前たちは?」


 髪を整髪剤でぴっちりと固め、落ちくぼんだ目をした中年男性が僕らの方をにらみつけている。 


「見慣れないな。これから通しげいこを始めるんだ。部外者は邪魔だからさっさと出ていってくれ」


 たしか英語を担当している柴崎しばさきとかいう先生だ。もっとも僕ら二年の授業を担当しているわけではないので、あまり面識はない。どうやら演劇部の顧問だったらしい。


「いえ。俺たち、今回助っ人で加わった日野崎の友達で……」

「部外者には変わりないだろう」


 弁解しようとした明彦の言葉を柴崎先生はさらにぴしゃりとはねのける。


「それにこの部屋は女子専用の更衣室でもあるんだ。わかっていて入り込もうとしたんじゃあないのか?」

「へ?」

「そうなの?」


 烏山さんの方を僕らはそろって振り返ると、彼女はばつの悪そうな顔で「ああ。ええ、まあ」ともごもごと呟いた。部屋の中にいたほかの男子部員もなんとなく気まずい顔になっている気がする。


「え。でも部室ここしかないじゃないか。男子部員はどこで着替えているんだ?」


 うちの学校には部室棟というものはなく、たいていの部活動は空いている普通教室か実習棟の特別教室を使用して行われている。演劇部の場合は催し物をする際に使われるホールとその横の控室を部室として使用しているのだ。だが控室のほかは大道具倉庫があるくらいで他に使えそうなスペースはない。


「男子は別にみられても構わないだろうっていう柴崎先生の指示で、大道具倉庫とか廊下とかで……」

「そうなんだ」

「ふん。うちの部は女子が多いからな。あわよくば着替えを覗きたくて入り込んだとしか思えんな」


 柴崎先生が非難がましい目で僕らを見る。


「いやいや! 違いますって! 知らなかっただけですから。それじゃあすぐ出ていきますので」


 変な濡れ衣を着せられてはかなわない。僕はあわてて弁解して明彦を急き立てた。


「行こう。明彦」

「おう。じゃあな、日野崎。リハーサルとかするようになったら見学に来るわ」


 明彦がパタパタと日野崎に手を振って控室の出口に向かう。僕も後に続いた。


「うん。またね。……ああ、そういえば美晴。私の着替えってどこにしまえばいいのかな。その辺のロッカー使っていいの?」

「うん。名札が入っていないロッカーは基本的に空いているから」


 日野崎と烏山さんのやり取りを背に僕らは部屋を出ようとした。


「じゃあ、ここでいいよね」

「え。そこは開かないんじゃない? 鍵がかかっていると思ったけど」

「いやでも。この鍵、普通に外れるよ」

「ちょっと待って」


 日野崎を何やら止めようとした烏山さんの声とロッカーの扉があけられる音がした後、急に喧騒に満ちていた控室内が不自然なほど静かになった。


 何だ? 


 僕と明彦はいぶかしんで振り返る。


「何……。これ?」


 呆然とした日野崎の声。部屋の空気が凍りついたかのようだった。


 日野崎が開けたロッカーはまるで開かずの扉を封印するお札のように、無数の紙片が中に貼りつけられていたのだ。しかもその全てにおどろおどろしく筆で殴り書きしたような文字が書きつけられていた。


「……そこは……触れてはならない魔女のロッカーなの」


 青ざめた顔で烏山さんがぽつりと声を漏らした。

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