第30話 カセットテープと余桃之罪
動物園で日曜日を過ごしてから数日が過ぎた放課後。
僕らはいつものように勉強会に使っている図書室の隣の空き室に集っていた。
僕ら。……今日は僕と星原に加えてもう一人いる。
眼鏡をかけたポニーテールの少女、虹村が星原の隣に腰かけている。彼女は申し訳なさそうにうなだれていた。
勉強会をしている僕らを訪ねてきた虹村は「他の人がいるところだとお互い話しづらいと思うからここに来たのだけれど、この前の事を謝りたいの」と話を切り出したのだった。
「そのう、この間は変な誤解しちゃってごめんなさい」
「良いのよ。私も変な冗談言ってしまったのがいけなかったんだから」
本当は星原の冗談のせいというよりは、僕と星原の会話を盗み聞いてしまったのが原因と思われるが、わざわざそれを口に出して雰囲気を悪くすることもあるまい。
「ところで、それは何なの?」
虹村は机の上にあるテープレコーダーに目を留めた。
「これなんだけどさ、先週、星原が家でカセットテープを見つけてな。中身が気になるから聞いてみようっていう事でもってきたんだけど、僕がレコーダーを落として壊してしまったんだよ。あの時はペットボトルのお茶もこぼしたし、ちょっとした粗相だったな」
「お茶をこぼして、テープレコーダーを壊しそうに?……そ、そう。そういうことだったんだ」
虹村は安堵とも何ともつかないため息をついた。
「いや、それなんだけど結局壊れていなかったの」
「え?」
僕は星原の言葉に驚いて、問いただす。
「だってこの前は確かに動かなかったし……」
「いや、それが私もうっかりしていたんだけど。入れた電池が切れていたみたいだったの」
「切れていた?」
「うん。家にあった電池を使おうと思って入れたんだけど。廃棄物回収に出そうと置いてあったやつだったみたい」
「なあんだ」
聞いてみれば拍子抜けするような話だ。
「それじゃあ、早速聞いてみる?」
「そうだな。まあおおかた音楽CDのダビングか、ラジオ番組の録音じゃないかと思うが」
「盛り下がるようなこと言わないでよ。……それじゃあ、再生するわ」
星原はカセットテープをセットして再生のスイッチを押した。
しばらくザーッと波のようなノイズがかすかに聞こえたが、やがて何やら肉声が再生され始めた。
『どうもー! みなさんこんにちは! DJさくやちゃんの何でもステーションの時間だよお!』
それは舌足らずな感じの女の子の声だった。……DJさくや?
星原なのか、この声。
『それじゃあ、さいしょは、音楽コーナー! 東京都のさくやちゃんのリクエストで『君のとなりに咲いていたい』それじゃあいきまあす』
自分で自分にリクエスト?
『いつもーすなおにい、なっれなくてえ♪』
音楽をかけるんじゃなくて自分で歌うんだ。
まさか、星原の自作の歌か?
そこで、星原がテープレコーダーを止めた。
僕と虹村が黙って星原を見ていると、星原は顔を真っ赤にしてうつむいたままふらふらと立ち上がり、ソファーの下に頭を突っ込んでジタバタと隠れようとしていた。
「落ち着けよ、星原。そういや僕も小さいころ家にあったラジカセを使って、適当な声をふきこんだりしたことあったし、気にするなって」
「う、うん。まあラジオ番組を作ろうとはしなかったけどね」
「……………………二人とも、今あったこと忘れてくれる?」
ソファーの下から星原はぼそりと呟いた。
「忘れるから。な? 虹村も忘れるよな?」
「う、うん」
星原はソファーの下からはい出すと、今度はソファーの陰からそっと顔だけを出して、こちらをうかがう。
「誰にも言わない?」
「言わない、言わない」
星原が大失敗をしでかした幼稚園児みたいに悲しい瞳で、今にも泣きだしそうに懇願するので僕も虹村も頷くばかりである。
「だから。星原さん、こっちに来て」
「うん」
星原は若干暗い顔にはなっていたものの、いつもの定位置であるソファーに座った。
「はあ……。やっぱり記録メディアの変遷って必要なのかもね」
「そ、そうか?」
「だって、本人も忘れたい黒歴史が自動的に葬られるじゃない」
ああ、そういう問題な。
「まあ大人びて見える星原にも、こういうはっちゃけた時期があったわけだ」
星原はむっとした顔で僕を見る。僕はぎくりとしてその場をごまかそうと虹村に話を振ろうとした。すると、虹村はテープレコーダーからカセットテープを取り出してじっと凝視している。
「どうかしたのか?」
虹村はカセットテープをひっくり返したり指でつついたりして、観察しているようだ。
「星原さん。これって星原さんの家にあったということだけれど、星原さん自身が持っていたものなの?」
「いや、うちのお父さんの部屋にあったものよ。どうかした?」
「うん。一つ気になることがあるの」
「気になること?」
「星原さん。今、これを再生するときそのままスイッチを押していたよね。巻き戻したりしないで」
「巻き戻す?」
ああ、そうか。カセットテープが途中で止まっているようなときは磁気テープを巻き戻して再生するが、そういえばさっきはそのまま再生ボタンを押していた。
「でもそれがどうかしたの?」
「私も、小さいころ使ったきりだからうろ覚えだけれど、カセットテープってA面とB面があるでしょう。A面を再生した後、裏返してB面を再生する。でも見た限りだとさっきはB面を最初の方から再生したみたいなの」
虹村はカセットテープの表示を指さしながら説明した。
「それは、つまりどういうことなんだ?」
「つまり、これってA面の途中まで別の何かが録音されていて、それを聞き終わった後で巻き戻さないまま保管しちゃったんじゃないかと思うの。それでB面を最初の方から再生する状態になっていたんじゃないかと」
「そういえば、確かに星原が子供の時に遊びに使っていたカセットテープを星原自身じゃなくお父さんが持っているというのはちょっと不自然かもな。もしかして、他の事にも使われていたのかな」
虹村の説明に僕は相槌を打つ。一方で星原は首をかしげた。
「別の何かが録音されているって何が?」
「それは聞いてみないと」
「……またこれを聞くの?」
彼女は眉をしかめて、若干消極的な反応を見せた。
「どんなものが入っていたって、別に他言したりしないよ。虹村もそうだろう?」
「もちろん」
星原はため息をついて「わかったわ」と呟いた。そしてテープレコーダーのカセットテープを裏返してから入れなおすと、今度は巻き戻しスイッチを入れて止まるまで待った。
これでカセットテープはA面から再生されるはずだ。
「それじゃあ、いくわ」
星原は再生を押した。
『お父さん。お誕生日おめでとう。いつも私たちのためにお仕事おつかれさま。今日はありがとうの気持ちをこめて、誕生日のお祝いをします』
星原の声だった。さっきの声よりほんの少し大人びている気がする。その後で『ハッピーバースデートゥユー』の歌が聞こえてきた。
「ああ、思い出した」と星原が唐突に口を開いた。
「どうした?」
「昔お父さんの誕生日に、私、お祝いのメッセージをカセットテープに吹き込んでプレゼントしたのよ」
「ふーん。でも、これ九十分はあるよ。ちょっとメッセージを吹き込むには長すぎないか」
「その後、時間が余ったから誕生祝いをするときの様子をそのまま録音したんだと思うわ」
虹村が眼鏡を押し上げながら、星原に尋ねた。
「つまり、こういう事? 小さいころの星原さんはカセットテープに自分の声をふきこんだりしていて遊んでいた。ある時、お父さんの誕生日のお祝いをするときに日ごろの感謝の気持ちをメッセージにして吹き込むことにした。その時に部屋にあったカセットテープを自分が遊びに使っていたことを忘れて、途中までメッセージを吹き込んでお父さんに渡してしまったと」
「そうみたいね」
「じゃあお父さん、小さいころの星原さんがお祝いしてくれたのが嬉しくてそのカセットテープを大事にとっておいたのよ。こんなに昔のものを捨てずにいるなんて……きっとお父さん、星原さんの事大切に思っているんだわ」
「……そういう事になるのかしら」
星原は自分が小さいころ父親のために歌ったハッピーバースデーの歌をしばらく聞いてからテープレコーダーを止めた。
「微笑ましい話じゃない。ねえ? 月ノ下くん」と虹村が僕を見た。
「ああ、そうだな」
ただ、その理屈で行くとあの例の女の人の裸が映っていたビデオテープも同じくらい大切に思っていることになってしまうが、そこは言わないでおこう。
「やれやれ、今回ばかりは自分が恥ずかしいわ」
「そんなに気に病むなよ。子供のころの失敗とか今にして思えば痛々しいごっこ遊びとか誰だってあるさ」
「いや、その事自体を恥じているのではないの。私は日ごろ、軽薄で頭が悪そうな感じのTVとかで紹介される『今時の若者』というやつを見下していたところがあったの。だからそういうタイプの人間には絶対にならないと決めていた。そういう人たちは年取ってから自分の若いころを振り返って恥ずかしいと思うに決まっているってね」
「まあ、昔流行に流されて竹の子族だの、ヤマンバギャルだのやっていた人たちが当時の写真とかを見て、今思うと何であんなことしていたんだろうって告白するのは聞いたことあるな」
「うん。でも私も程度の差はあれ、分別のない時期はあったのに自分の事を棚上げしていたんだなあって思って」
そこで黙って聞いていた虹村が口をはさんだ。
「みんなそんなものだと思うわ。逆に言えば誰しも進歩しているってことじゃない。子供のころの事なんだし重く考え過ぎよ」
「……」
星原は無言でうつむく。虹村はそんな星原を
「……ねえ、星原さん。余桃之罪って言う言葉を知っている?」
「ええと。……中国の故事成語だった気がするけれど、どんな話だったかしら」
虹村は軽く目を閉じて暗唱でもするかのように話を始めた。
むかしむかし中国のある国で、とある美少年が王様につかえていました。ある時、その美少年の母親が病気になったという知らせがありました。
そこで、その少年は王様の馬車を勝手に使って母のもとに駆け付けてしまいます。王様の馬を勝手に使うのは本来は許されない重罪です。しかし王様は後からその話を聞いて『なんて優しい親孝行な少年なんだ』と褒め称えてお咎めなしにしました。
またある時、美少年は王様と果樹園で遊んでいました。美少年が桃を一つとって食べてみると、とてもおいしかったので余った残りを王様に分け与えました。王様は『美味しい桃を私に分けてくれるなんてなんて優しいんだ』と美少年を褒め称えました。
「それからどうなったんだ?」と僕は先を促す。
それから何年もの時が過ぎてかつての美少年も年を取り、容色も衰えてしまいました。あるとき彼が些細な罪を犯した時に王様は『そういえば昔、こいつは私の馬を勝手に使ったし、食いかけの桃を食わせたんだった。許しがたい!』と重い刑罰を下しましたとさ。
「……ひでえ話だ」
若く美しい時は許されていたのに、年を取って醜くなってから、若いころの話を蒸し返されて重罪に処されたというわけか。
「ああ、そうそう。そんな話だったわ。愛憎の変化の激しさを表現する言葉だったわね」
星原がぽんと手を叩きながら相槌を打った。
「でも、これってつまり逆に言えば、人間若いころは多少の無茶は許されるってことだと思うの」
「それはまた、大胆な新解釈だな……まあ、確かに若いうちは周りも好意的に評価するから許されていたという話のようだけど」
「もちろん、人に迷惑をかけるのはいけないことだけれど、そうでない範囲でならたまには馬鹿げたことしてみるのも悪いことではないと思うわ。今は古代中国の時代じゃあるまいし、犯罪でなければ誰かが刑罰を下すわけじゃないんだから」
「……そうね。ありがとう虹村さん」
虹村の言葉に星原は黙って頷いた。
「まあ、星原だって小さいころごっこ遊びをすることもあったし、虹村も僕らのことを早とちりして勘違いしていたし、人間若いうちは誰だって恥ずかしい失敗や経験はするってことだな」
僕がついぽろっと言った言葉に星原と虹村がぴくりと反応する。
「そういう月ノ下くんはどうなのかしら?」
「そうね。せっかくの機会なんだし、是非聞きたいわ」
星原と虹村がそろって僕に目を向ける。
……しまった、と僕は自分の言葉を後悔した。
自慢じゃあないが、僕ときたら現在進行形でトラウマを量産し続けているので、小学校までさかのぼるとあまり思い出したくない過去が両の手の指で足りないくらいある。
「……ああ、そうだ。今日は親に買い物頼まれていたんだった。そろそろ帰るよ」
僕が席を立とうとすると、二人の声が追いすがるように僕の耳に届く。
「まあ、そう言わずに。私、月ノ下くんともう少し一緒に居たいなあ」
「女の子二人に引きとめられているのに行っちゃうの?」
そっと振り向くと、二人してしなを作って媚びた声を出している。どこでそんな仕草を覚えたんだよ。
そういう媚態をこういう状況でされても嬉しくない。
大体、何が悲しくて自分の暗い過去を同級生の女子にわざわざ披露しないといけないのだ。
「いや、そういうのはあれだろう。さっきの故事にあったとおり、外見がよくて見目麗しいから、失敗も愛嬌になるわけだろう。星原や虹村みたいに愛らしい美少女でもない僕が、そんな失敗談を披露したって微妙な空気になるだけだから」
「まあ、美少女だなんて、月ノ下くんは正直者ねえ」と星原が悪戯っぽく言葉を返す。
「じゃあ、ついでにもう少し正直になってもらおうかしら。聞かせてよ。月ノ下くんはどんな失敗をしたのかな」
虹村が含み笑いをしながらそんな言葉を投げかける。
背後から二人が近づいてくる気配がしたので、僕は急いで部屋を飛び出した。
「こら、待ちなさい!」
「廊下を走るのは校則違反よ!」
何とでも言え。今、僕が守るべきなのは校則よりも男としての沽券である。
僕はそのまま昇降口まで逃げ切り、どうにかその場をやり過ごしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます