カセットテープと余桃之罪

第26話 ビデオテープ

 二〇〇〇年代初めくらいまで、パソコンなどの記録媒体の規格として、「フロッピーディスク」というものがあった。八センチくらいの正方形の形をしていたそれは、その後MOディスクやDVD、メモリースティックなどに取って代わられ、いまでは文書ソフトの上書き保存などのアイコンに名残がある程度だ。


 記録媒体の規格と言うのはこれに限らず数十年で移り変わっていくもので、例えばホームビデオや映画のソフトもせっかく集めても、見られなくなってしまうなんてこともあるのだろう。




「それで、そんなものどこで見つけてきたんだ?」


 僕は目の前の少女が手に持っている平べったい四角い箱のようなものを観察した。横側にはテープを回転させるための穴が二つ開いていて、長辺のほうには黒いカバーとその下に黒い磁気テープが中から見えていた。


「この間掃除をしていたら、うちのお父さんの部屋にあったのを見つけたの。タイトルとかも書いていないから何が入っているかはわからないけれどね」


 僕は星原といつものように図書室の隣の空き室で放課後の勉強会をしていたところだった。しかし勉強が一段落したところで、彼女がおもむろにかばんから「それ」を取り出したのだ。


「ふうん。これがビデオテープというものか」

「こんなのも一緒に見つけたの」


 星原はさらに、もう一つあるものを取り出した。それはビデオテープと同じような形をしていたが、さらに小さく手のひらサイズだ。


「これはカセットテープってやつか。へええ……しかし何でこんなもの持ってきたんだ?」

「いや、ほら。捨ててもいいのかもしれないけれど、でも中身がなんなのかわからないとなると何だか気になってしまってね。それにうちに昔あったビデオデッキはもう処分してしまったし」

「ああ、なるほど。それでここに持ってきたわけか」


 僕は部屋の隅にある埃をかぶった箱に目をやった。箱にはビデオレコーダーの文字が見て取れる。


 僕と星原がいつも勉強会に使っている空き部屋は半分倉庫として使われている。そのため部屋の隅にはあまり使われてない学校の備品なども転がっていた。しかしもう十年以上は使っていないだろうに、よくもまあ捨てられずに保管されていたものだ。


 ビデオレコーダーの隣にはTVも保管されているので接続すればビデオテープを再生することは出来るだろう。


「勉強の気分転換になるかと思ったの。たぶん昔のTV番組か映画でも入っているのだと思うけれど、なんてことないTV番組やCMだって何十年も前のものだと雰囲気が今と違って面白いかもしれないでしょう?」


「でも、カセットテープの方はどうするんだ?」

「そっちは大丈夫」


 星原は微笑んで、かばんから何かを出して机の上に置いた。


「これって、もしかして」

「ええ、テープレコーダーよ。こっちの方は捨ててなかったの」


 へえ、これがそうなのか。


 僕はカセットテープよりも一回り大きい、スイッチがいくつか付いている黒い箱のようなそれを手に取ってまじまじと見た。スピーカーも内蔵されているらしい。


「私のじゃなくてお父さんのだから、大事に扱ってね」

「あ、ああ」と僕は頷いた。

「それじゃあ、まあビデオの方から見てみるか」


 僕は部屋の隅のビデオレコーダーとTVの箱を開けて取り出してみた。


「そうね。接続とか大丈夫? できそう?」

「大丈夫。映像と音声出力のコードもちゃんとあるみたいだ。取扱説明書も残っている。そんなに難しくはなさそうだ」


 僕はTVを近くにあった段ボールの上に置いて、取扱説明書を参考に裏側の入力端子をビデオデッキとコードでつないだ。それからコンセントを差し込んでスイッチを入れてみる。


「これで大丈夫だと思う」

「それじゃあ、再生してみましょうか」


 星原はビデオテープをビデオデッキの中に差し込んで再生スイッチを入れた。僕と星原はソファーに並んで座ってTVを視聴する。


「何が入っているのかな」


 TV画面には一瞬ノイズが走った後、映像が映し出された。


 映し出されているのはどこか屋内の部屋で女の人が映され、質問か何かされているような感じだ。


「ドキュメンタリーかな」

「でも、それにしてはなんか変ね? 回数とか人数とかって何の質問かしら?」


 カメラが切り替わり、一人の男が女の人と一緒に映り『それじゃあ、始めようか』と女の人に囁いている。


 これは、もしかして……。


 そして、その数分後。


『あああん。すごい! いいわ! いい!』


 女の人が男に服を脱がされた後、あられもない姿でものすごい声を上げていた。


 星原は無言でビデオを止めた。


「……………」


 僕は何を言えばわからずただ星原の様子を伺うと、彼女はうつむいて静かに唇をかみしめていた。


 気まずい沈黙が下りる。


 やがて星原はものすごくドスのきいた声でぼそりと呟く。


「私、もうお父さんとは一生口きかないことにする」

「お、落ち着け、星原。きっとあれだ。星原のお父さんも若いころ色々あったというか、仕方がなかったんじゃないかと思うんだよ」

「? じゃあ、月ノ下くんもこういうの見ていたりするわけ?」

「…………………………そんなことは、ないぞ」


 ビデオなんて見ないぞ。ただインターネットでいろいろ見るだけで。


「そう」


 僕は空気の重さに耐えかねて話題を変えた。


「……そ、そうだ。今度はこのテープレコーダーの方を聞いてみないか?」

「…………ええ、そうしましょう」


 僕はテープレコーダーの差込口にカセットテープを入れようとする……が、コツがあるのだろうか、なかなか入らない。


「あれ、おかしいな」

「あっ。だめよ、そんな無理に入れようとしたら。壊れちゃうかも」

「そ、そうか?」

「私がやるから貸して」


 が、その時、僕は手が滑ってテープレコーダーを落としてしまった。


「あっ」


 しかも、悪いことにテープレコーダーは一度テーブルの上にバウンドして、そこにあったお茶が入ったペットボトルを倒してから床に落ちてしまう。


「やんっ」


 お茶は派手に飛び散って、星原のブラウスにもかかってしまっていた。


「もう……汚れちゃったじゃない」

「す、すまない! ちょっと待ってくれ。今ティッシュ出すから」

「ああ、いいわよ。ペットボトルのふたを開けっぱなしにしていた私も悪かったし」


 星原は「はあ、服の中にも少しかかっちゃった」と呟きながら、リボンタイを外すとブラウスを第二ボタンまで外して、お茶で濡れてしまったところを拭いていた。拭く為にブラウスをはだけているので、小柄なりに健康的な彼女の肢体を包む下着が一瞬ちらりと見えた。僕は何とはなしに目が離せなくてつい凝視してしまう。


 しかし星原はそんな僕にはまるで頓着していない。大胆かつ無防備に拭く作業に邁進している。


「ねえ」と星原が唐突に僕に声をかけた。

「えっ! 何?」


 見ていたのがばれたのかと僕は一瞬焦る。


「いや、今何か外で物音がしなかった?」

「物音? いや何も聞こえなかったけど」

「そう? ちょっと見てくる」


 星原はつかつかと部屋の入り口まで歩いて扉を開けると、廊下に出て周囲を見回した。


「誰もいないわね。気のせいだったみたい」

「そうか」

「ところで、テープレコーダーはどうなの? 使えそう?」

「あ……」


 僕はテープレコーダーを拾って、カセットを入れて再生してみる……が、動かない。

「あちゃあ……。駄目だ。動かない」


 落としたせいなのか、お茶がかかってしまったのが悪かったのか、スイッチを入れてもうんともすんともしなかった。


「ごめんな。星原。これ、お父さんのなんだろ?」

「いいわよ。あんな人のことなんて気にしなくても……と思ったけれど、そうね。月ノ下くんが折角お詫びしたいと言っているんだから、何かの形で受け取ってもいいかしら」


 星原は意地悪そうににやりと笑う。


「あ、それはもしかして……また?」

「うん。駅前の喫茶店で新しいケーキがメニューに出たらしいの」


 財布の中身、足りるだろうか。僕は心の中でため息をついた。

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