第24話 美術室にて
数日後の放課後、巴ちゃんはうちの学校の美術室を再び訪れていた。
「だ、大丈夫ですかね」
「大丈夫。僕もついているし」
僕の言葉に、巴ちゃんは意を決して美術室の扉を開けた。
「失礼します」
部屋の中では三人の少女が筆を握ってイラストを描いていた。彼女たちは唐突に現れた僕らを怪訝そうに見返す。
「あれ? あなた、また来たの? 幾らなんでもいきなり押しかけるのは非常識なんじゃない? しかも、あなたよその学校の生徒でしょう」
ヘアバンドをした少女が、ずんずんと詰め寄って不機嫌さを隠そうともせずに言いつのった。実際に顔を見るのは初めてだが、彼女が神田理佳だろう。
「いえ、実はですね。私の彼氏がこの学校の二年生でして、漫画にも興味があるので『うちの学校に漫研サークルがあるなら是非見学させてほしい』というので、今日連れてきたのです」
扉の陰にいた僕は、手を振りながら「どうも」と挨拶した。僕の姿を視認した神田はてきめんに動揺した。
「か、彼氏? 男の人!?」
「う、うちの生徒!?」
ヘッドホンをした少女、大塚真理もガタリと椅子から立ち上がって焦った表情で僕を見た。
しかし、方便とはいえ、巴ちゃんの彼氏役をやる羽目になるとは。正直、日野崎のやつに知られたらと思うとあまり生きた心地がしない。でもここまで来たら乗りかかった船だ。
僕は平静を装って彼女たちに快活に話しかける。
「漫画とかも描いているんですよね! 参考に見せてもらっても良いですか?」
「い、いや、そんな、私たち、いきなり部外者に見せろと言われても困ります!」
「う、うん! そうだよ!」
神田と大塚の二人は、僕の言葉に激しい抵抗の色を見せた。
「え? でも、人に見せるために描いているんでしょう? 自分が一生懸命描いた作品に自信が持てないとか? 別に僕自身、絵心がある方じゃないし、どんな絵でも馬鹿にしたりするつもりはないよ?」
僕は「何でそんなに嫌がるのか分からない」というムードを作り、部室の奥に入っていこうとする。二人は力ずくで追い出す気にはなれないのか、後ずさった。
「人に見せるために描いている、か。そのとおりだね」
奥にいた巻き毛の少女が、僕の言葉に応えるように立ち上がるとノートを引っ張り出してきた。荻久保優香だ。同じクラスなので当然顔見知りだが、僕も彼女も互いにそんなそぶりは見せようとしない。
「その子たちが描いている作品ならここにあるよ」
荻久保は無表情で二冊のノートを僕に差し出した。
「ちょ、ちょっと! 先輩!?」
「いくらなんでも、私たちが描いたものを勝手に!」
二人が不満の声を上げて僕にノートを渡すまいと割って入ろうとするが、そこに巴ちゃんが皮肉を込めて刺すような言葉を投げかける。
「この間は私のイラストを批評してくださったじゃないですか? 創作物と言うのは見られてなんぼでしょう? この人はどんな絵でも馬鹿にしたりはしないと、謙虚に接しているのにそれでも見せる勇気がないんですか? それとも人の創作物は平気で叩くけど、自分が叩かれるのは嫌だから勘弁してください、ということですか?」
巴ちゃんの舌鋒に二人は返す言葉を探そうとするが、ここで見せなかったら巴ちゃんの言葉を認めるも同然だという事実に思い至ったようで、「ぐ」とうめくような声を漏らしながらうつむいた。
僕は荻久保からノートを受け取ってページをめくった。
「それじゃあ拝見するよ。『あんな奴よりも俺のほうがお前の事をよほど理解しているのにどうしてわからないんだ』『くっ、お前なんかに屈するものか』『いつまで、そんな顔でいられるかな? お前の体におれの情熱を注ぎこんでやるよ』」
僕がノートに書かれた男性キャラの台詞を読み上げ始めると、神田は「ひっ」と声を上げて「もう、やめて、お願いだから!」と耳をふさいで悲鳴をあげた。
僕はそれには構わず、もう一冊のノートを開いた。
「どれどれ。『無茶ばかりして。折角俺が作った剣もぼろぼろじゃないか。お前のことを心配しているオレの身にもなれよ』『へえ、心配してくれているのかい。それって友達として、ってことか? それとも……』『あっ、おい、そんな強引に』『こっちの剣も手入れしてくれないか』……ほほう」
「あ、あああああ。ち、違うの! それは、その。友情からくるスキンシップを別視点で解釈したみたいなもので!」
大塚も胸をかきむしってのたうち回らんばかりに動揺している。
「いや、でも絵はすごいし大したものじゃないか。まあ、僕は男だからこういうのはあまり趣味じゃないけれど。……ところで、君たち一年C組だよね。小宮くんとか中神さんと同じクラスかな?」
僕がたまたま知っている下級生の名を挙げるとさらに二人は動揺する。
「えっ。あ、あの二人と知り合い?」
「あの二人と話すんですか?」
どうやら彼女たちはもし自分たちのクラスの人間に知られてしまったらどうしようか、と想像を膨らませて危惧している様子だ。
「いや、別に今のところ君たちの趣味を誰かに吹聴するつもりはないよ。ところで、この間は巴ちゃんのイラストを一方的に批判したということなんだけどさ」
二人はビクッとして、頭を深々と下げた。
「あの事だったら、撤回します!」
「だから、どうか、この事は……」
「あ、うん。ただし、巴ちゃんにもちゃんと謝ってくれ。この先巴ちゃんを見かけることがあっても、険悪な態度はとらないこと。いいね?」
二人は「はい」と再度怯えながら頭を下げた。
「それじゃあ、このノートは君たちのなんだよね。返すよ……巴ちゃんも良いね?」
「は、はあ」
僕がそのノートを差し出すと、二人はひったくるように受け取った。そして、巴ちゃんに「すみませんでした」と頭を一度だけ下げてから、逃げるように美術室から出て行ってしまった。
部屋には僕と巴ちゃんと荻久保だけが残った。
「……こんなところかな」と荻久保がすました顔で呟く。
「荻久保はあれで良かったのか? 僕としては協力してくれるのはありがたかったけど」
「うん。私としても、もう潮時だと思っていたの。このサークルを続けるのはね」
潮時とはどういう意味なのだろう。
僕が尋ねようとしたとき、ガラッと音がして扉を開けて誰かが入ってきた。
「一応、外で様子をうかがっていたんだけど。とりあえず上手く行ったみたいね」
艶やかな黒髪の少女、星原だった。
「……でもあの雰囲気だと、あの二人もうこのサークルに戻ってこないんじゃないかしら」
「何だか、ちょっと悪いことをした気分だな。見方を変えれば、僕らも彼女たちと同じように価値観が違うからという理由で相手を排除した点では変わらないしなあ」
「そこは気に病んでも仕方がないわ。先に敵対的に対応したのは向こうなんだから」
ここで星原は、荻久保の方を見やる。
「荻久保さん。今回はありがとう」
「いいえ。礼には及ばないよ。まあヴァルキリーさんが日野崎さんの妹だって聞いた時は少し驚いたけど」
荻久保は髪をかきあげながら、ふっと笑った。
「僕からも礼を言うよ。『ライカ』さん」
「え? 荻久保さんが『ライカ』さん?」
巴ちゃんは目を丸くした。
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