第23話 グレシャムの法則

 次の日の放課後、僕と星原は勉強会で使用している図書室の隣の空き部屋にいた。


 星原はいつものようにソファーに座り、同じく僕も隣のソファーに腰かけて話を切り出す。


「それで例の件について、何かわかったのか?」

「そうね。まず漫研サークルの事なんだけど、やっぱり公式にはそういう部活はなかったわ。うちのクラスに美術部に入っている人が他にいたから聞いてみたんだけど、うちの学校の美術部って部員が少なくて八人ぐらいなんだって。活動日も週に二日とかそれぐらい。だから部員が部活のない日に適当な名目で鍵を借りて使用することは可能ではあるみたい」

「なるほど。他には?」

「神田と大塚という二人の生徒については一年C組に在籍しているようね。友達の後輩を紹介してもらって仕入れた情報だけど。どんな生徒なのかについても聞きたかったけどそこまで親しくはないからよく分からないという感じだったわ」

「ふうん。確かにその手の趣味のある人たちと言うのは、自分の得意分野では饒舌になるけど普段は物静かだったりするものな。僕も似たようなものだけど」

「それと、巴ちゃんのイラストが掲載されているイラスト共有サイトを見てみたの」

「ああ、ライカというハンドルネームの書きこみを確認したのか?」

「ええ。同じイラスト共有サイトにライカがイラストを投稿しているページがあって、さらにそこからライカが運営しているホームページのリンクも貼られていたわ。閲覧してみたら、漫画・イラストの同人サークルのホームページだった。サークル名は確か『ハウンド・スタイル』とかいう名前だったわね」

「そうか。相手が特定できたのなら、まあ一歩前進かな」


 僕の言葉に星原は顎に手を置いて悩まし気に考え込む仕草を見せる。


「だけど、問題はこれからどうするか、ね。月ノ下くんはどう? 何か思いついた?」

「方策と言うか、それ以前に」

「何?」

「巴ちゃんがサークルに入ろうとして冷たくあしらわれた経緯についてなんだけどさ、昨日はイラストのモチーフの趣味がマイナーだったとか、題材にしたアニメの評価に違いがあったとか、そういう表面的な原因にしか思い至らなかったが、そもそもの根本的な理由が存在しているんだ」

「根本的な理由?」

「この間、星原が『好きな漫画が、アニメになってファンが増えるのを嫌がっているクラスメイトがいる』って話をしただろ。あれについても実は今回の話と共通する原因があるんだ」

「何なの? それは?」


 星原がまじまじと僕を見た。


「『にわか』と『古参』の対立構造だよ」

「『にわか』? 『古参』?」


 僕は星原に頷いて見せた。




「そうだな。比較的わかりやすい例でいうと、十数年前に流行った格闘ゲームかな」


 星原は無言で僕の言葉に聞き入っていた。


「一昔前にとある格闘ゲームがブームになって、どこのゲームセンターでも筐体の前に行列ができるほどの人気になったそうだ。最初はゲームマニアだけがプレイしていたが、小中学生の間でも話題になって、それまでゲームセンターに行かなかった年齢層もその格闘ゲーム目当てにゲームセンターにやってくるようになった。しかし、元々ゲームセンターにいた古参のゲームマニアからすると、彼らの存在は愉快なものじゃなかった。今までは快適にプレイできていたのに、騒がしくなるしゲームの順番も回らなくなるし、良いことないからな」

「ふうん。それでその『古参』のゲームマニアたちは新しく入ってきた客たちに何かしたの?」

「たいていの格闘ゲームは対戦用の筐体があって、乱入できる。そのゲームも例外じゃなかった」

「じゃあ……」

「ああ。『にわか』のゲーマーがプレイしているのを見たら、対戦用の筐体から乱入して、経験とテクニックを駆使してボコボコに負かしたそうだ。そりゃもう、プレイするのが嫌になるくらいにな」

「それで? その後はどうなったの?」

「『にわか』ゲーマーのほとんどは、ゲームセンターに来なくなった。古参のゲームマニアが残る形になったんだが、その結果、新規の客がほとんど増えなくなって、そのゲームは緩やかに廃れていった」

「その事について、『古参』の人たちは何とも思わなかったのかしら」

「彼らからすれば、自分が楽しめればいいわけだからな。『自分たちはあくまでゲームをプレイしているだけで、文句があるなら経験を積んで自分たちより上手くなればいいだろう』という理屈だ」

「なるほど。つまり『古参』の人たちが『にわか』の人たちを受け入れずに排他的に対応するのが、問題と言うことなのね」


 星原はよくわかったと言いたげに頷いたが、僕はその言葉に首を振る。


「いいや。そうとも言い切れない」

「ええ? どういうこと?」

「その結論は片方の立場から一面的に見たものだ。今の話はあえて極端な例として挙げたんだ。……こんな話もある。あるオンラインゲームの話だ。そのゲームではたいていの場合そうであるように、プレイヤーが設定されたクエストを攻略するとアイテムとかの報酬が取れるようになっていた」

「……」

「そこでは基本的にパーティーで協力し合ってクリアした場合には、手に入ったゲーム通貨やアイテムは山分けするのがルールになっていた。しかしそこに、自分の事しか考えない新規ゲーマーが参加するようになった。彼は『自分がアイテムを取るべきだ』とか主張しだして、非難すると怒り出して誹謗中傷を始める。やがてパーティーの雰囲気も悪くなって、ゲームをやめる者も出てきた、という話さ。最近じゃ小中学生もオンラインゲームを始めるようになって、相手の立場を考えるほど精神的に成熟していないプレイヤーもいるからこんなこともあるらしい。……この場合はどうだ? 『古参』と『にわか』どっちが悪い?」


 星原は僕の言葉に考え込みながら、答えようとする。


「その話を聞くと、新しく入ってきた人たちが、つまり『にわか』の人たちがもともと存在した慣習を壊したのが悪いみたいだけど。……結局どういうことなの?」

「つまりだな。実は『古参』と『にわか』のどちらかが絶対的に悪い、と言う話ではないんだ。ただ同じ分野に参加しているにもかかわらず楽しみ方が、価値観が違っている。その価値観を一方的に押し付けあった結果、数が多かったり立場が強い方が弱い方を追い出して『加害者』にまわり、そうでない方は『被害者』にまわる。ただ、それだけのことだ。もっと言えば自分が楽しむことを優先して他のプレイヤーを害する行為もルールの範囲内であれば遊びとして間違っているとも言えない。当然加害者側は顰蹙を買うだろうし、雰囲気は殺伐としてくるからそのジャンルの衰退を早めるけどな」


 星原は合点がいったというような顔をして口を開く。


「なるほど、似たような話を聞いたような気がするわ。確か、コンテンツが腐敗していく理論だったかしら」

「へえ、どんな?」

「第一段階で『あまり大きくない会社があって、そこに業界に興味がある人が集まって優れた商品を作る』」

「ほう」

「第二段階では『その評判を聞いて、さらに、やる気と情熱にあふれた人が集まって、さらにすごい商品ができる』」

「ああ、ブームの黎明期から成長期にはある話だな」

「ええ。そして第三段階では『会社がどんどん大きくなって大手になって、あの業界といったらこの会社、という風に一般人も知るようになる』」


 あ、その先、何となくわかった。


「第四段階で『業界に興味なんてないのに安定志向の人たちが、大きい会社で安定しているという理由で志望してくる。しまいにはコンサルタントだの儲けたいだけの人間が口出しをするようになって、本当にその業務に興味のある社員はやる気をなくして去っていく』。そして、最後は過去にすがって、ブランドという看板だけで生きていこうとする駄目な会社の出来上がりと言うわけよ」

「なるほど、新規参入した『にわか』がコンテンツを衰退させる典型例というわけか」

「ええ。逆に『古参』が新規参入する『にわか』を拒んだために、コンテンツが停滞する例もあるでしょうけどね。さっき月ノ下くんは、『古参』と『にわか』のどちらかが絶対的に悪いということではないみたいに言ったけど。要はお互いに相手を排除しようとした結果、ジャンルが衰退していくんでしょう? だったらそれ自体は悪いことだと思うわ」

「へえ。じゃあ、具体的には星原はどうすれば良いと思う?」


 星原を責めるのでもなく、単純に疑問に思ったので僕は尋ねた。


 彼女はさも当然のような顔で答えてみせる。


「『にわか』の人たちは自分がその分野ではまだ知識が浅いことを自覚して、不文律やタブーがあるならそれを知ろうとして、雰囲気を壊さないように努力すればいいじゃない。『古参』の人たちはジャンルが衰退しないように、初心者の人がいるようならその分野の楽しみ方を教え導いてあげればいいと思うの」


 星原の言葉を聞いて僕は「ううむ」と首をひねった。


「何? 私、間違ったこと言ったかしら?」

「いいや。言っていることは正しいんだが、理想論だ。星原が今言った話は双方にある程度のモラルがあることが前提になっている」

「そう?」

「ああ。確かにその場に善良で相手の立場を配慮できる人間だけが集まっている場合には何の問題もない。しかし、どちらか一方が自分の立場や利益だけを追求した場合、状況は変わってくる。例えば『にわか』がまっとうで善良な人間だったとしよう。そいつが自分の知識不足を自覚したうえで、雰囲気を壊さないように努力したとしても、だ。『古参』の側がそいつを鬱陶しく思って、排他的に対応したらどうなる?」

「……元々、その分野にいて知識も経験もある立場が強い方は『古参』なんだから、嫌な思いさせられて『にわか』の方は追い出されちゃうかもしれないわね。巴ちゃんみたいに」


 星原は眉をしかめながら答えた。


「そうだ。じゃあ、逆に『古参』の方が親切な人間で『にわか』に対して、まだその分野に詳しくないことを理解したうえでノウハウを教えてあげて、導いてあげたとしよう。『にわか』がそれに対してノウハウを吸収した後、わがもの顔な態度で自分の事しか考えずに好き勝手な行動をとったらどうなるかな」

「『古参』の人たちは嫌な思いさせられて、そのコミュニティから離れていくかもね。……もしかしたら、そういう自分の事しか考えない人もいつか人間的に成長するのかもしれないけれど、それまでの間、周りの人はひたすら苦労することになるもの」

「そういう事だよ。結局、どちらの立場に立っても善良な人間と自分の事しか考えない人間が出会った場合、善良な人間が一方的に嫌な思いをするようにできている。もちろんどこのコミュニティでも善良な人間はある程度いるだろう。だが、たとえ十人中九人の人間がまともでも一人の人間が自分の事しか考えない行動をとると『ああ、こういうことやっても良いんだ』という雰囲気が醸成される。一度そういう理不尽がまかり通れば、真似をする奴も増える。たとえその場にまともな人間が残っていても、善意の行動をとった方が損をするとなれば、そのコミュニティから離れて行くか、次第に自分の事しか考えなくなっていき集団のモラルは低下していくんだ」

「そういえば昔、外食店経営している親戚のおじさんが『一人の素行の悪い客は普通のお客さん五人を遠ざける』とか言っていたわ」


 星原は「やりきれない」と言いたげに肩をすくめた。


「まさに『悪貨は良貨を駆逐する』というわけね」

「何だいそれ? ことわざか何か?」

「『グレシャムの法則』という経済用語よ。額面が同じだけど、質が高くて綺麗な貨幣と質の悪い汚い貨幣が同時に存在しているとき、人は質の高い貨幣を手元に取っておくようになって、質の悪い貨幣を売買に使用するようになる。すると質の悪い貨幣が主に流通するようになる。転じて、悪い行いや程度の低い文化が席巻してしまう状況を指して使ったりするわね」


 なるほど、集団のモラルが低下して、自分と価値観が違う人間は攻撃して当たり前と言う雰囲気が蔓延している状況を形容する例えということか。


「言い得て妙な引用ではあるな。……何にせよ人は『古参』の立場に立つこともあるし、場面が変われば『にわか』の立場に立つこともある。その時にどういう態度で周囲に接するかということがその後の空気や雰囲気、その集団の民度を決めてしまうってことだよ」

「なるほどね。言いたいことは解ったけれど、話が本筋からそれまくっているわ。それで? 今回の場合はどうすれば良いの? 肝心の解決策は?」


 星原が眉をしかめて僕を横目で見た。


「それなんだよな。これが会社とか体育会系の部活とかの話なら、まだ共通の目標をもって協力したり共同作業をしたりするから連帯感が芽生えることもある。だけど、趣味を共有するだけで目標も役割分担としての上下関係もないような集団だと、当事者たちはその場の雰囲気に流されて収拾がつかなくなる。だから、普通は管理者的な存在が介入するんだ。例えば、格闘ゲームの例ならゲームセンターの運営者が初心者専用の筐体を作ったり、ランク制を導入して同じレベル同士の対戦しかできないようにするとか。とにかく両者の利害が対立しないように棲み分けさせるのが良いんだけど、今回の場合もう接触して雰囲気が悪くなった後だからな」

「他には方法はないの?」

「あとは管理者以外の、『にわか』や『古参』とは別の第三者が介入することくらいかな。わざと共通の敵を演じたり、あるいは仲良くするように仲介したりね。ただ、これも内部の人間の協力が不可欠になる。せめて荻久保が協力してくれればいいんだが。普通に考えたら自分の所属しているサークルの人間を敵に回して僕らに協力してくれるとは思えない」

「内部の人間、ね。……ねえ、ちょっと思いついたことがあるの」


 星原は、ふと探し物を見つけたような微笑を浮かべた。


「? 何だ?」

「ちょっと、これを見てくれる?」


 星原は携帯電話をいじって、インターネットにアクセスしていた。開いていたのはイラスト共有サイトのホームページのようだ。


「このページが巴ちゃんのイラストが掲載されているページなんだけど……ほら、ここ」


 星原が指差していたのはコメント欄だった。ライカというハンドルネームのコメントがいくつか書かれている。


『あなたのイラスト、キャラクター同士の雰囲気が伝わってきて良いと思います』

『こういう構図も良いですね。絵もすごく綺麗です』


「……すごく友好的だな。巴ちゃんから聞いた神田のとげとげしい雰囲気とはあまりイメージが一致しない」

「ええ。……いや実際、インターネットやメールのやり取りでは態度の大きい人が、実際に会ってみたら口下手で小心者っぽい人だったなんて話聞いたことあるし。その逆パターンもあるのかなって私も思ったんだけどね。じゃあ、次にこっちを見て」


 星原は携帯をいじって別のホームページを表示した。


『漫画・イラストサークル ハウンド・スタイル』というタイトルが映し出される。


「ここに執筆者のペンネーム兼ハンドルネームが書いてあるんだけど、どう思う?」


 そこには三人のハンドルネームがイラストレーターとして紹介されていた。『ライカ』『ニッパー』『ハチ』と書かれている。


「えっと、ああ、そういえば、巴ちゃんの話の中で神田が大塚真理のことをニッパーとか呼んでいたな」

「それもそうだけど。この名前、共通点があるんだけどわからない?」

「共通点?」


 そう言われると……。なんとなく引っかかるような気もする。ハウンド・スタイルというサークル名。それにこのハンドルネーム。


 だが、具体的に何なのかというと、のど元まで出てきそうで出てこない。


「察するに、このハンドルネームはそれぞれが適当に名乗っているんじゃなくて、何かを象徴しているっていうことか?」

「ええ。巴ちゃんの話によると、『神田理佳』は『時間感覚が厳しくて、待ち合わせの時、先に来て待っているような子』。『大塚真理』は『ヘッドホンをしている音楽が好きそうな子』。『荻久保優香』は、まあ私たちは元々知っているけど『長い巻き毛の女の子』と言うことだったでしょう」


 星原は「つまりね」と前置きして一つの推論を語った。


「……間違いないのか、それ」

「たぶんね」


 星原は自信ありげに言ってのける。


「だけど、それが事実だとしても、具体的な解決策になるのかな」

「なるわ。私には無理でも、このトラブルは男の子である月ノ下くんになら解決できると思う」

「へ?」


 星原の言葉の意味が解らず、ぼくは気の抜けた声が出た。

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