第22話 視聴歴と審美眼

「なるほど、そんなことがあったの。……それにしてもひどいわね。そのライカ、じゃあなくて神田理佳とかいう人? 自分から見どころがありそうだからって呼び出しておいて、絵のモチーフが好みじゃないからってけなすなんて。あんまりだわ」


 星原は同情するように巴ちゃんの頭を撫でて、ハンカチで涙を拭いてあげていた。


「そんなひどいこと言う人たちなんて気にする必要ないわ。もう関わり合いにならなければいいじゃない」

「だけど、そうもいかないんですよ。わたし、お姉ちゃんと同じ高校行くつもりですし。そうしたらまた顔合わせるかもしれないですし」


 一方、僕は巴ちゃんの事を傷つけたらまずいと腫れ物に触れるような気分で、質問を口にする。


「ところで、巴ちゃんが描いたイラストってどんなのかな? ちょっと見せてもらってもいい?」


 もしかすると巴ちゃんのイラストが実はお世辞にも良い出来とは言い難いもので、向こうの批判にも一理あるという可能性もないわけではないかもしれないと思ったのだ。


「へ? 月ノ下さんが? 私のイラストを?」

「ああ、駄目かな?」

「い、いやあ、だ、駄目じゃないですけど」


 巴ちゃんは「知り合いの男の人に見せるなんて考えてなかったんだけどな」ともごもご口の中で呟きながらカバンから紙を取り出してそのイラストをテーブルの上に置いて見せてくれた。


「こ、これは……!」


 そこに描かれていたのは、線の細い上半身裸の美少年を同じく上半身裸の青年が背中側から抱きしめて、首筋のあたりに口づけをしている絵だった。


「あらぁ。まあ。ほほう、これはなかなか」


 星原が目を輝かせながら、身を乗り出してイラストに見入っている。


 確かにモチーフはともかく技術は大したものだ。線が細くて顎がとがっていて、いかにも女性が好みそうな絵柄だが中学生でこれだけ描けるなら正直すごいと思う。


「あ、えと。その月ノ下さん。これはですね」

「いや、気にすることないよ。……男だって美少女同士が絡む漫画とか読んだりすることはあるし、女子がこういうものを好むことについてどうこう言うつもりはない」


 とはいえ意外性全開の趣味に若干戸惑ってはいるが。一方、隣の星原は感心したような表情でため息を漏らした。


「上手じゃない。巴ちゃん。これの何がいけなかったのかしら」

「キャラクターだと思う」と僕は眉をひそめて呟く。


「どういうこと?」

「僕も単行本もっているわけじゃないから大筋しか知らないんだけどさ。その主人公のアキラを抱きしめている方のマーカスっていうキャラは敵方のキャラなんだよ。それも噛ませ犬みたいな立ち位置の」

「そうなの?」

「うん。確か敵方の将軍で、ストーリーの序盤で英雄として異世界に召喚された主人公をなめてかかったあげく、見事に返り討ちに会って、その後も復讐心からちょくちょく主人公を狙って、その度にやられるような感じだったかな」

「ははあ、つまり因縁のある好敵手とか、常に支えてくれる仲間とか相棒とかそういう立ち位置ではないと。つまりキャラクターをカップリングさせて妄想する対象としてはマイナーカプと言うことなのね」


 そこで巴ちゃんが不服そうに口をとがらせる。


「いや、でもですね。敵方だからこそ、主人公を屈服させて認めてもらおうと何度も執着する独占欲的なものが愛に変わってもいいんじゃないかと」

「……そこでそんな持論を力説されても困るんだが」

「まあ、その神田と大塚とかいう人たちが、このイラストをけなした理由は分かったわ。つまり自分たちからすると、作品内のこのキャラ二人がくっつくのは不自然な感じがして気持ち悪いと思ったのかしら。そんなの人それぞれなんだから別に目くじら立てるようなことでもなさそうなのにね」


 星原は理解に苦しむとでもいいたげに肩をすくめて見せた。


「それじゃあ、もう一つのイラストも見せてくれるかな」

「はい」


 巴ちゃんはもう一枚の紙をカバンから出した。


 今度のイラストはパイロットスーツを着た少年と軍服を着た少女が背中合わせになって、手の指を絡めて座っている絵だ。


「おお、『クサナギ』だ、懐かしいな」

「月ノ下くん。知っているの?」

「何年か前に放送していたアニメだ。僕も結構好きだったよ」


 『未来戦艦クサナギ』は王道的展開のSFロボットアニメだ。舞台は近未来の地球で宇宙からの侵略者との戦闘に巻き込まれた主人公の少年が、たまたま乗り込んだロボットで敵を撃退し、そのままパイロットとしてスカウトされる。そして敵の主力部隊を殲滅する任務を負った戦艦に乗り込むことになり、クルーの美少女と恋愛関係になったり戦闘で活躍したりしながら成長していくという内容だ。


「ただ、設定が昔の有名アニメに似ているだとか、サブヒロインがちょっと前に流行った別のアニメのキャラにそっくりだとか、叩く人は一部にはいたよ。僕は元ネタになっているアニメも知っていたけど、せいぜいオマージュとかパロディのレベルだと思ったんだけどな」

「そう。これもまたわからないわ。巴ちゃんが批判されないといけないほどの事なのかしら?」

「いや、こればっかりはどうしようもないのかな」

「何?」


 僕はため息をついて説明する。


「アニメとか漫画が好きな人たちが同じ作品を見ても、全く別の評価を下すことがあるんだ。しかしこれは好み以前に観てきた作品の数や種類が原因になることがある。つまり、いろんな作品を観てきた人間の場合だと『ああ、この作品前に観た奴と傾向が似ているな、二番煎じっぽい』『あの名作に比べれば、陳腐すぎる』と言う風に他の作品と比べたりして評価が辛くなる。だけど、ごく最近アニメが好きになった人にとっては目新しいから同じものを見ても『すごい! 面白い、画期的だ!』と評価したりするんだよ」


 星原は顎に手をあてて考え込むような表情で答えた。


「それは……わからないでもないわね。私も同じクラスの子で重病にかかったヒロインが死ぬような陳腐な恋愛ドラマみて『感動しちゃった』とか言っているのをみると、『それと同じような話が昔から小説で腐るほどあるんだけど』と突っ込みたくなったもの。結局本人にとって作品と出会うタイミングが評価を左右するってのはあるかもね。すでに同じことをさんざんやっている内容だとしても、そういう作品を初めて見る本人からすれば、それが良い作品に思えるし昔の名作なんて機会が無ければ見ようと思わないもの」

「鳥の雛の『刷り込み』みたいなものかもな。感受性が豊かな一番アニメを楽しめる時期に作品を観てしまうと、それがものすごく名作として心に残っちゃうんだよ。たとえ後からそれが実はありふれた作品だったと知ってもさ。実際アニメとか漫画なんて一年間の間でも数十、数百作品も発表されるんだ。本当は何年も前の作品で今観ても感動できる作品が埋もれているんだが放送されたり復刻されたりしなきゃ目に触れる機会なんてないものな」


 巴ちゃんがここで口をはさむ。


「じゃあ、昔の作品を知らないってだけで駄目だったってことなんですか? たくさん作品を見てなければ自分の好きな作品を語る資格もないっていうんですか?」

「そうは言わないよ。ただ、いろんな作品を観ている人間からすれば陳腐に見える作品もあるというだけの話だ。でもだからって、その趣味に入ったばかりの人間に自分の評価を押し付けて人格まで傷つける発言をするのは明らかに間違っている。……ところで、巴ちゃん?」

「はい?」

「このこと日野崎は、お姉さんは知っているのか? イラストを描いていて漫研サークルに参加するために今日うちの高校に来ることにしたってこと」

「……いいえ」

「どうして?」

「確かにお姉ちゃんはいつだって私を助けてくれますよ。でも何かあるたびにお姉ちゃんに解決してもらっていたら、私は人間として駄目になる気がしたんです。サークルに参加しようと思ったのも、姉のいないところで人間関係を作ることもできるんだって、ちゃんとやっていけるんだって私は自分に証明したかったんです」

「そうだったのか。偉いなあ」

「決して、こういう趣味があることを知られたくなかったからではないですよ」


 そっちが本音か。


「まあ、結果的には正解だったかもしれないな。もし日野崎が、巴ちゃんが一生懸命描いた絵を馬鹿にしたあげく泣かせた奴がいる、なんてこと知ったら傷害事件起こして退学になりかねん。いや、美術室に火をつけるかな。それとも殺人か? 三人とも富士の樹海の養分コースということもありえるな」

「それは、幾らなんでも大げさなんじゃ……」


 星原は日野崎が妹の為なら修羅と化すこともあるのを覚えていないのかな。巴ちゃんと初めて会ったとき、ナンパしようとしているものと誤解されて僕と明彦は危うく半殺しにされかけたんだが。


「あるかもしれませんねえ、それは」


 巴ちゃんが心配そうな顔になるのを見て、星原は「そうなの?」ときょとんとした顔になった。そんな彼女をよそに僕は言葉を続ける。


「それに、現状で放置したら問題になったりしないかな。悪い方向に想像したくはないけど、そのサークルの神田と大塚とかってやつ、巴ちゃんのイラストのホームページに中傷コメント書きこんだりして荒らしたりしてくるなんてことがなきゃいいんだが」

「そうでなくとも、私、来年からお姉ちゃんたちと同じ高校に入るつもりなのに、あんな人たちと顔合わせて嫌な思いするのかと思うと、勉強のモチベーションさがっちゃいますよ。それに万が一トラブルが起こってそれが、お姉ちゃんの耳に入ったりしたら……」

「ああ、よくないな。だとすると今のうちに何らかの形で解決したいもんだが」

「つまり、巴ちゃんとその人たちが顔を合わせるようなことがあってもトラブルにならないようにすればいいわけね」


 星原が腕を組んで改まった表情になる。


「はあ」

「わかったわ。巴ちゃんもさっきよりは落ち着いたでしょうし、今日の所は帰りなさい。私たちが必ずなんとかしてあげるから」


 私たちって、僕も入っているんだ? 無論、僕も何とかしてあげたいのは同じ気持ちではあるが。


「そうだな。とりあえず僕もいろいろ考えてみるよ」

「あ、ありがとうございます」

 巴ちゃんは頭を下げた。


 僕たちはもう少し話していくからと巴ちゃんを先に帰した後で、僕と星原は二人で顔を見合わせる。


「とりあえず気になっていることが二つあるのだけれど」

「ああ、僕もだ」

「うちの学校、漫研サークルなんて」

「……なかったよな。少なくとも存在自体聞いたことがない」


 星原はうーんとうなりながら考え込む。


「と言うことは、少し前まで私たちが文芸部をしていたように、その人たちも美術室を勝手に使って、漫研サークルとして活動しているということなのかしら」

「そう考えるべきだろうな。じゃああれかな? 勝手に美術室を使っている人たちがいるって、先生達に告げ口したら活動の邪魔は出来るかな?」

「でも、それは……私たちだって同じようなことしているわけだし、その子たちだって別に犯罪行為をしているわけじゃないんだし、そういうやり方は気が引けるわ」


 確かにそうだ。それに、このタイミングで彼女たちに嫌がらせのようなことをしたら、かえって巴ちゃんが攻撃の対象になってしまうかもしれない。あくまでも巴ちゃんとその子たちとのトラブルが起こらないように円満な結果に持っていくのが目的なのだ。


「そうだな。それじゃあ、そのことは置いておくとしてもう一つ気になるのが……」

「巴ちゃんの話の中に出てきた三人目の女の子、荻久保優香ね」

「ああ」


 何故、彼女の事が気になるのかと言うと。


「やっぱりうちのクラスの、あの荻久保なのかな。同姓同名の奴がいるとは思えないし」

「そうでしょうね。外見の特徴も巴ちゃんの話と一致するし、確か荻久保さん美術部だと聞いたことあるもの」


 巴ちゃんの話の中に登場した三人の人物のうち、神田理佳と大塚真理については全く聞き覚えがなかった。少なくとも同じ学年ではないと思う。三年生が大学受験を控えた時期にサークルをやっているとは思えないので、彼女たちはおそらく一年生なのではないかと思われた。しかし最後の一人、荻久保優香については、僕も星原も知っている人物だったのだ。


 荻久保優香は、うちのクラスの文化系女子の中心的な存在で、大人しそうに見えて芯が強い、そんな感じの女子だ。淡い巻き毛を背中のあたりまで伸ばしていて派手なルックスの美人と言うよりは可愛らしい、話しかけやすい雰囲気の外見だ。


 星原によると、周りの誰かがその場にいない人の悪口を言い始めて、嫌な雰囲気になったりすると敏感にそれを察知して「え、でも私にもそういう所少しあるから、あまり責められないな」とか「ああ、ところでその子が言っていたんだけど、おススメのケーキ屋さんがあって」と話題を変えるなどして、率先して和を保つようなところがあるのだとか。


 そういう心遣いが出来るところが、周りに人が集まる由縁なのだろう。


「私の知っている限りでは、荻久保さんは悪い人じゃないと思うんだけど」

「巴ちゃんの話の中では、結局、排他的に巴ちゃんを追い出したようにも聞こえたけどね。でも雰囲気の悪いサークルに巻き込むまいとしたようにも考えられる、かな?」

「何にせよ、情報収集をする必要があるわ」


 星原の目には決意の色が見て取れた。


「私、とりあえずその漫研サークルについて、学校での扱いとインターネット上の活動について調べてみようと思うの。私も聞いていて『もらい怒り』しちゃったし」


 そんな言葉初めて聞いた。もらい泣きなら聞いたことあるが。


「学校での扱いは分かるが、インターネットって?」

「ほら、巴ちゃんによるとライカこと神田と言う人は、巴ちゃんと同じようにイラスト描いていたりしたんでしょう。漫研サークルについてもホームページ作ってイラストを公開したりとか、何かやっているんじゃないかと思うの」

「ああ、なるほど。じゃあ、僕も、何か解決の方策がないか考えてみるよ」

「そうね、お願い」


 ふと、時計を見るとずいぶん遅い時間になっている。星原と僕はそこで話を終わりにして喫茶店を後にしたのだった。

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