第21話 批評と誹謗
コーヒーチェーン店に入ると四人掛けのテーブルの向こう側に星原と巴ちゃんが並んで座っているのが見えた。
「巴ちゃん? 何かあったのか?」
「あ、月ノ下さんまで……。わざわざすみません。私のために」
巴ちゃんは泣きそうな表情をしていたものの、感情をこらえるように僕に頭を下げた。
「とりあえず話を聞かせてくれる? それだけでも気分が楽になるかもしれないわ」
星原が優しく言い聞かせる。
目を涙で少し腫らした少女は黙って頷くと重い口を開いて話し始めた。
巴ちゃんには、実はイラストを描く趣味があったのだという。特に中学に入ってからは専用のパソコンを買ってもらったので、イラストを共有するサイトに登録して自分のイラストを投稿するようになった。
そのうちインターネット上で好意的なコメントをしてくれる人が現れ、巴ちゃんはその人とメールなどを通じて連絡も取るようになる。その人物、ハンドルネームはライカというらしいが、やり取りをするうちに同じ市内に住んでいて、しかも姉と同じ高校に通っていることが判った。
イラストや趣味の漫画の話でいろいろ盛り上がるようになった頃、巴ちゃんはそのライカさんに「あなたの絵はなかなか見どころがあると思うから、私たちの高校の漫研サークルに遊びに来ないか」と誘われたのだという。そして「もしあなたもサークルに参加することを希望するのであれば、その時に新しいイラストを何枚か持ってきてほしい。サークル仲間にも見てもらうから」とも言われた。
巴ちゃんはその言葉に心を強く動かされた。今までインターネットに公開した自分のイラストにコメントをしてもらったことはあったが、現実に身の回りの誰かに見せたことはなく、一人で勝手に描いていただけだった。でももしかしたら自分の趣味を共有し語り合える仲間ができるのかもしれない、と。
巴ちゃんは一生懸命イラストを描いた。題材にしたのはライカさんに指定された、今流行っている漫画のキャラクターを使った二次創作イラストと自分が好きだった数年前のアニメ作品のイラストだった。そして描きあがったイラストを持って、うちの高校を訪れたのだった。
* * *
「正直、そういうネットで知り合った人間と実際に会うのは感心しないな。特に巴ちゃんは女の子なんだし、実際に会ってみたら危険な人物が現れてどんなことを要求するのかも分からないよ?」
「いや、月ノ下さん。私も一応それ位の危機管理意識はありますよ? ただライカさんもイラストを描いていて作風やコメントから女性らしい雰囲気でしたし、待ち合わせ場所はお姉ちゃんの学校と言うことなので、少なくとも高校生なのは間違いないだろうと。いざ実際に行ってみたら中年のおっさんに襲われるなんて事態はあるまいと思ったのです」
それで危機管理意識があるといえるのかどうかは微妙なところだが、これ以上は話の脱線になるような気がするので、僕はとりあえず話の続きを促した。
* * *
巴ちゃんは学校見学と言う名目で校内に入ると、自分とは違う制服を着ている周りの人間たちの目を気にしながら、美術室に向かった。
「失礼します」と言って足を踏み入れるとそこには三人の少女が待っていた。
一人目は前髪をヘアバンドで上げておでこを出している切れ長の目をした少女。
二人目は小柄で、音楽を聞くのが好きなのか、ヘッドホンを首から下げている少女。
三人目は生まれつきなのか、癖のある巻き毛の髪を背中のあたりまで伸ばした少女。
ヘアバンドの少女とヘッドホンの少女は向かい合わせに座ってイラスト雑誌をめくっていた。奥に座っている巻き毛の少女は黙々と筆を動かしていた。
ヘアバンドの少女は巴ちゃんを一瞥すると苛立たしげに立ち上がった。
「あなたがヴァルキリーさん?」
「あ、はい」
「ちょっと遅いんじゃない? 約束は十五分前だったはずでしょう?」
「まあまあ、リカ。そんなにきつく言わなくてもいいじゃん。きっと初めて来たところだから迷っちゃったんだよ」
向かいに座っていたヘッドホンの少女がとりなした。
* * *
「ヴァルキリーって?」
僕は思わず尋ねると、巴ちゃんは若干恥ずかしそうに答えた。
「いや、あの私のハンドルネームなんです。巴御前っていう有名な女武者が実在したじゃないですか。だから戦う女性の連想でそういうハンドルネームにしたんです」
「あ、なるほど」
* * *
ヘッドホンの少女は続けて言う。
「大体、あんた日ごろから待ち合わせの時三十分も早く来たりしてんじゃん。あんたの時間感覚が厳しすぎるんだよ」
「私の勝手でしょう。黙っててよ。ニッパー」
ヘアバンドの少女にそう言われたヘッドホンの少女は眉を片方跳ね上げて鼻白む。
「その名前をリアルで呼ばないでよね」
ヘアバンドの少女はその言葉を無視するように、巴ちゃんに向き直った。
「会うのは初めてになるわね。私は
どうやらこの人がライカさんのようだ。
続けて、奥に座っていた巻き毛の少女が声をかける。
「
「あ、日野崎巴です。よろしくお願いします」
神田が「それじゃあ、早速イラストを見せてくれる?」と巴ちゃんに尋ね、巴ちゃんは「はい」とイラストをカバンから取り出した。しかし神田は巴ちゃんのイラストを見るなり、「何これ」とあきれた声を上げた。
「お、おかしいですか?」
「いくらなんでもこのカップリングはないでしょう」
「ああ、ほんとだ。マーカス×アキラで描いてる。ないわー、これはないわ」
ヘッドホンの少女、大塚も巴ちゃんのイラストを覗き込んで「何もわかってないな、こいつ」とでも言いたげな見下す視線を巴ちゃんに向けた。
「確かに、『ブレイバーズ・レジェンド』のキャラで描くようにお願いしたけどさ。これは作品の読み込みが足りないんじゃない? 原作読んでる?」
「よ、読んでます」
「だったらさあ、普通、カズト×アキラとかルイ×アキラとかで描くんじゃない?」
「は、はあ、すみません」
* * *
「ちょっと気になってるんだけど、カップリングって何? あまり聞き慣れないフレーズなんだが」
僕の疑問に巴ちゃんはちょっと困った顔をして、言葉を返した。
「ここでは、イラストのモチーフの一種だと考えてください。つまり作品のキャラクター同士を絡ませて描くことです」
「ああ、なるほど。『ブレイバーズ・レジェンド』ってこの前アニメにもなったあの漫画の事?」
「はい、そうです」
『ブレイバーズ・レジェンド』とはある月刊漫画誌に連載中の異世界召喚もののファンタジー作品だ。突如、現代日本で幼馴染だった二人の少年が剣と魔法の中世ファンタジー世界に召喚されて、対立するそれぞれの陣営に属して戦うというストーリーで、線の細い絵で描かれた美少年キャラが女性に人気を博している。
「月ノ下くん。さっきから話の腰を折ってばかりよ?」
「ああ、悪い。……話を続けてくれ。巴ちゃん」
* * *
「はあ、もういいわ。じゃあ、もう一つ好きなイラストを描くようにお願いしたよね。そっちを見せて」
「は、はい」
巴ちゃんは神田にもう一枚のイラストを見せた。しかし神田と大塚はそれを見るなり吹き出した。
「なにこれ。これってアレ? 『未来戦艦クサナギ』とかいう奴? ずいぶん微妙なのもってきたねえ!」
「あちゃあ、こんなの題材にするかね、普通」
巴ちゃんはそこで、萎縮しながらも言い返す。
「な、何がいけないんですか? オリジナルでも二次創作でもいいから好きなものを描いてきてって言われたから、私……」
「確かにそうだけど、この作品選ぶのはセンス疑うわ」
「このアニメ、パクリの集大成じゃん。まあにわかにはわかんないか」
そう言って二人はケタケタと馬鹿にするように嘲笑った。
巴ちゃんは悔しくて泣きそうになるのを必死にこらえた。そこにずっと黙っていた荻久保と名乗った巻き毛の少女が、巴ちゃんに近づいて囁くような声で言った。
「ごめんなさいね。残念だけど、あなたはここに来るべきではなかったみたい」
サークルに参加する資格がないということなのだろうか、と巴ちゃんは思った。
「分かりました。お粗末なものをお見せしたようで、どうも失礼しました」
巴ちゃんは懸命に感情を押し殺して美術室の部屋を出ると、一刻も早くその場から離れたい衝動に駆られてひたすら校門までずっと走り続けたのだった。
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