第20話 コンテンツの流行とマイナー思考

 とある火曜日の放課後、僕はいつものように星原と図書室の隣の空き部屋で勉強会をしていた。


「十六世紀に宗教改革を行ってプロテスタントの基礎を作ったドイツの神学者は?」

「ルター」

「じゃあ、同じくプロテスタントに影響を与え富の蓄財を認めたフランスの神学者は?」

「カルヴァン」

「正解よ」


 星原の問題に答えたところで、ぼくはため息交じりにぼやく。


「それにしても、どうしてこう宗教と言うのは宗派が分かれて複雑になっていくのかね。プロテスタントにしてもバプテストとかピューリタンだとかいろいろあるわけだろう? 仏教とイスラムとキリスト教だけでも違うのに、その上さらに内輪で考えが分かれていくって変なもんだよなあ」

「さあねえ。こればっかりは何とも。始祖になったキリストやブッダの教えを素直に引き継げばいいんだけど、結局同じ言葉でも時代や人によって解釈が違ってくるんだもの。……ああ、信者の対立と言えば」


 彼女は思い出したようにつぶやいた。


「隣のクラスの女の子で漫画が好きな子がいるんだけどね。この間、その子と話していたら、好きな漫画がアニメになるのになんだか嬉しくないとか否定的な雰囲気だったの。理由を聞いたら他の子がアニメをきっかけにファンを気取って作品を語るのが面白くないからなんですって。普通に考えたら、同好の士が増えるのは嬉しいことだと思うのだけれど、なぜなのかしら」


 僕も漫画は結構好きな方だし、面白い漫画を見つけた時には明彦に貸して「布教」したりしている。だから何となくその子の気持ちは察しがついた。


「僕が思うに、とりあえず理由は二つ考えられるかな。一つは、自分の影響と関係ないところで作品が広まるのが面白くないということ」

「え? どういうこと?」

「つまりさ。星原は映画でも小説でもいいけど、友達から『この作品面白いよ』って、人に薦められたことってあるか?」

「まあ、何回かあるけど」

「その後、実際に買ったり観たりするか?」


 星原はうーんとうなりながら頭を掻いた。


「正直、その人が貸してくれるのならともかく、わざわざ本屋さんとかで探して買おうとは思わないわね。まあ、よほど親しくなりたい人と話題作りのためにするというのならあるかもしれないけど」

「それなんだよ」

「え?」

「自分が一生懸命薦めても広まらなかったのに、アニメをきっかけに『あの作品面白いよな』ってファン気取りで語る人間が出てくると『なんだよ、今さら! あれだけ薦めても今まで見ようとしなかったくせに』って思うわけだよ」

「ははあ。つまり作品への愛情を語っていたけど、その過程で自分の他人への影響力のなさを思い知らされてしまった。つまり作品愛が自己愛にすり替わって、それが怒りの原因になっているというわけね」


 ふむふむと彼女は小さく頷いた。


「それで、もう一つは?」

「もう一つ考えられるのは、マイナー志向ってやつだな」

「マイナー志向?」

「つまりだな、ある趣味があって、好んでそれを集めていたり嗜好している人がいたとする。まあ、この場合は漫画を例にとるが、そういう人はもう有名な少年漫画誌に連載されているヒット作品なんて知っているのが前提なんだ。もちろん自分の好みの有名作品の単行本を買うこともあるが、改めてそういう作品を語ることはあまりないし、そういう作品が好きであることをあえてアピールしたりはしない。逆にあまり人に知られていない作品について語りたがるんだ」

「よくわからないんだけど」


 僕の説明に合点がいかない様子で彼女は首をかしげる。


「じゃあファッションに例えた方が良いか? 例えば、星原がブティックであるデザインのコートを見かけて、それが良さそうに見えたとする」

「ええ」

「でも、ふと街を見たときに、それと同じコートを着ている人がたくさんいたとしたら? 逆に買いたくなくなるんじゃないかな?」

「うーん、その辺りは人によるような気がするわ。流行に乗り遅れるのが嫌で、人と同じものを買うことで安心する人もいるでしょうし。私も本当に気に入ったものなら気にしないで買うかも。……でも言いたいことはわかったわ。つまりマイナー志向の人っていうのは、他人と違うものとか、人に知られていないものを好むことに意義を感じるのね。もう流行っているものなんてつまらないと。『人と違うものを知っている自分、格好いい!』みたいな感じね」


 その通りではあるがそういう言い方されると身もふたもないな。


「まあ、そういうことだよ。つまり最初は自分だけが好んでいて自分しか知らないようなものが有名になって、わいわい騒がれてもてはやされるようになると、何だか面白くなくなるんだよ。あげく後からファンになった連中が中途半端に分かったつもりになって、作品について間違った知識や見解を語り始めようものなら作品を汚されたような気持ちにすらなるものだからね」

「なるほどねえ」


 星原は「世の中にはそういう人もいるのか」と納得した顔で小さくうなった。


 実はもう一つ根本的な理由があるのだが、それは結構込み入った話になるので、この時の僕はそこまで星原に説明しようとは思わなかった。


「あ、また話が脱線してる。折角の勉強会なのにノルマが遅れ気味だわ」

「うわ。そういやそうだな。予定より全然進んでいない」


 雑談に興じていた僕と星原は、ふと我に返って、問題集の内容に集中することにした。その後僕たちは、小一時間ほど勉強してから学校が閉まる前に部屋を後にした。そして、いつもどおり最寄りの駅の改札の所で手を振って別れた……のだが。




 僕が星原と別れて駅のホームで電車を待っていると、自分のポケットの中の携帯電話が着信で震えているのに気が付いた。取り出して確認するとかけてきたのは星原だった。


 とりあえず駅の構内の端に移動して電話を受けることにする。


「星原? どうしたんだ、急に? 何かあったのか?」

「月ノ下くん? まだ電車には乗っていない?」

「ああ。まだホームだけど」

「私、いま駅前にいるんだけどちょっと来てほしいの」

「え。何で? さっき電車に乗ったんじゃなかったのか?」

「いや、実は帰ろうと思ってホームで電車を待っていたら巴ちゃんを見かけたんだけどね」

「巴ちゃんを?」

「何だか様子がおかしいの。ひどく落ちこんで暗い顔をして。ちょっと話を聞いてあげようと思うんだけど、月ノ下くんも来てくれない?」


 巴ちゃんとは何回か顔を合わせた程度だが、利発で明るい女の子だったし、特に悪い印象があるわけじゃない。何があったのか知らないが、とりあえず力になれることがあるのなら、行ってあげるべきだろうか。


「わかった。でも、どこか落ち着ける場所で話を聞いた方が良さそうだな」

「……そうね。駅前のコーヒーチェーン店でどう?」

「了解だ。じゃあこれから僕も向かう」


 僕は同意して電話を切ると急いで改札を出たのだった。

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