第18話 告白の結果とペイパームーン

「とまあ、こういう話だったわけさ。わかってみれば何のことはない。一年のうち二人が共犯だったんだ」

「なるほどね。まあ中神さんの『外に私物を置きに行っていた』と言う証言も嘘じゃなかったわけね。ただ私物というのは真犯人のワンちゃんで、しかも家庭科室の窓から外に出ていったわけだけど」


 数日後、いつもの星原との放課後の勉強会である。空き室のソファーに座って、星原は僕の言葉に耳を傾けていた。


「トートバッグを持っている人間が怪しいという星原の考えも半分はあっていたよ」

「運んだのはケーキを入れるタッパーじゃなく、犬だったわけだけど、ね。……ところで、月ノ下くん。家庭科室の換気用の窓に付いていた猫の足跡は何だったの?」

「ああ。あれは僕が市販のスポンジをそれっぽくはさみで切って、軽く湿らせてから換気用の窓にぺたぺた付けておいたんだ。みんなの前で推理を話す前にね」


 星原はあきれたように僕を横目でにらむ。


「そんな事前工作までしていたの。それにしても推理ねえ。確かに実際に推理小説の探偵役気取りで『この中に犯人がいます』的なことを現実にやられたら痛い人にみえるし、そんな人に犯人だって決めつけられたら、中神さん、逆に無実なのに犯人呼ばわりされている被害者に見えるわ。……つまり、この間言っていた『ドラマやアニメの決め台詞を現実に使っているのを見たら通俗的で滑稽に見える』という話を逆手に取ったのね」

「うん。いやでも、途中までは聞いているみんなもなんだかんだでノリノリだったと思うんだけどなあ」


 実際のところ犯人を猫だと思い込ませることが成功しないまでも、誰かをスケープゴートにしてつるし上げないと収まらないようなムードをぶち壊しにできればいいとは思っていた。


「子犬はその後どうなったの? 私の所にも虹村さんから飼い主募集のメールはまわってきていたけど」


 あの後、僕らは中神さんから子犬の飼い主を募集するのを手伝ってくれないかと頼まれた。


 率先して動いたのは虹村である。子犬の写真を携帯で撮ると女子間のネットワークでもって飼い主の募集メールを学年内に回し、何と次の日には飼ってくれる人間が見つかったのだ。


「飼ってくれる人間は見つかったんだが、名乗り出たのが……何と立川だったんだ」

「へえ、そうだったの」

「何かと細かいことにこだわって人のあらを指摘するようなところがあるから、学校に犬を連れてきていたなんて聞いたら逆に否定的な立場に立つんじゃないかと思ったんだが意外だったよ」

「私は動物好きだと聞いたことはあったけど、ね」

「それで中神さん、子犬の飼い主が見つかった以上はもう黙っておく必要はないからって、立川に謝ったらしい。この間、立川に頭を下げさせたことを申し訳なく思ったみたいだな」

「うーん。私としては中神さん、立川さんが子犬の面倒を見るような動物好きだとわかったものだから、ケーキを食べたのが子犬だとわかれば立川さんもきつくは怒れないんじゃないかという計算もあるような気がして少しずるい気がするけど……」


 星原が顔をしかめてつぶやいた。なかなか手厳しいな。


「それでも黙っておくこともできたけど、自分から謝りに行ったんだし。これで料理部の雰囲気も和やかになったんだし、良いんじゃないかな」

「そう。まあ、私は当事者じゃないし、これ以上どうとは言わないわ」


 ふと、星原は「あ」と目を見開いて僕に尋ねる。


「そういえば、肝心の雲仙くんの告白はどうなったの?」

「ああ……、それがなあ」


 僕はそのことを回想して軽く顔をしかめた。





 僕が家庭科室で推理を披露して、一応料理部の雰囲気が和やかになった直後の事だ。明彦が今度こそはと意気込んで昭島さんに「ところで話があるんだけど」と外に連れ出したのだ。


 校舎を出た渡り廊下の所で昭島さんと向き合った明彦は、改めて気持ちを伝えようとした。


「無事に部活の雰囲気が戻って良かったな」

「はい。雲仙先輩たちのおかげです。助けていただいてありがとうございました」

「あのさ。この間二人で話した時、言いかけたことがあったんだ」

「何ですか?」

「実は、ずっと昭島の事が好きだったんだ。その、良かったら付き合ってくれないか」

「え?」

「君が隣にいてくれたら、紙きれの月だって本物みたいに綺麗に思える。それくらい君といるだけで楽しいんだ」

「……」

「駄目かな」

「ぷっ」

「え」

「あはははは! 何ですか、それ? 大真面目な顔でそんな気障ったらしいこと言う人初めて見ました」

「あ、いや、そうか? そうか、変だったか。はは」


 僕と日野崎、虹村の三人は陰で様子を見ていたのだが、この雰囲気はダメな流れのようだと僕でもわかった。


「私、悪いですけど。先輩の事、そういう風には思えないので」

「そっか、悪い。忘れてくれ」


 明彦はそう言って明るい表情を作って、手を振って見せた。




「ということで、良い結果にはならなかったんだ」

「ふうん。ねえ、月ノ下くん」

「ん?」

「雲仙くん、確か昭島っていう、その女の子と洋楽の話で盛り上がったっていっていたわね。もしかしたらジャズとかの話もしたのかしら」

「さあ、わからないけど何で?」

「『君がいてくれたら紙の月だって本物みたい』っていうその言い回しなんだけど古いジャズの曲にそういう歌詞があるのよ。『イッツ・オンリー・ア・ペイパームーン』って言う曲なんだけどね」

「そうなのか?」

「そう。『絵に描いた海を渡る紙で作った月も、作り物の木にかかる 絵の空も、あなたが私を信じれば本物になる。あなたの愛がなければ作り物に過ぎない』ってね」

「紙で作った月だって、か」

「余談だけどね。一九○○年ごろのアメリカ、まだ個人でカメラを持つのが一般的でなかった時代に作り物の月を背景に家族とか恋人とか大切な人と記念写真を撮るのが流行ったんだって。ちなみに実際には紙じゃなくて板の上に紙を貼って作っていたらしいわ。その月の上に腰かけて写真を撮るのが、大切な人と同じ時間を過ごした幸福の象徴だったというわけ」

「ああ、たまに漫画とかのイラストでそういう月に腰かけているシーンは見るな。あの三日月に人の横顔が書いてあるようなやつか」


 あれをペイパームーンっていうのか。それは知らなかった。


「きっと雲仙くんなりに、洋楽が好きな彼女に気持ちが伝わるように必死に考えてその言葉を選んだのね。伝わらなかったのは、……なんだかちょっと不憫だわ」

「いや、それがな。虹村もそう思ったらしい」




 明彦が告白を終えてその場を去ろうとした瞬間、陰で見ていた虹村がつかつかと速足で二人の所に近づいて行った。


「ちょっと、あなた!」

「虹村先輩?」

「雲仙くんに気がなかったのなら、断るのは仕方がないけれど、馬鹿にして笑うことはないでしょう! 彼に気持ちが向いていなかったあなたからすれば、唐突でおかしく見えたかもしれないけれど、雲仙くんは雲仙くんなりに真摯に気持ちを伝えようとしたの。あなたに真剣に向き合おうとする人間の気持ちを笑いものにするなんて、人として間違っているわ」


 虹村としては、彼女に気持ちを伝えようと一生懸命告白の練習までしていた経緯を知っているだけに、我慢が出来なかったのだろう。


 虹村は鋭いまなざしで昭島さんをにらむ。その手は感情を抑えきれないかのように強く握りしめられ、僕と同じ年頃の女の子でありながら強烈な威圧感を放っていた。


 昭島さんは突如現れて自分を責めたてる虹村に、驚いて気が動転したようで「は、はあ」と気圧された。


「し、失礼しました」


 彼女はばつの悪そうな表情で頭を下げた。


「虹村。別にいいから。ありがとう……昭島も気にしないでくれ」


 明彦は軽く頭を下げるとその場を離れた。


 虹村は「ふん」と鼻を鳴らすと明彦を追いかけて「あんな子のこと気にすることないわ。雲仙くんが誠実に気持ちをぶつければ、あなたの事をわかってくれる女の子がそのうち見つかるから」と励まして、去っていった。




「へえ。虹村さんがねえ。そんなことを言ったの」


 星原は虹村の言動に感じ入るものがあったのだろうか、顔をほころばせていた。


「ふふ。その昭島さんって子、今は雲仙くんのこと振ったみたいだけれど、案外時間が経ったら向こうから告白してきたりして。その時は何とも思わなかったけど、気持ちを知ったら意識するようになったり、とかね」

「そんなものかな。……女心はよくわからないな」


 星原は少し黙ってから「ねえ」と話しかけた。


「ん?」

「この間のアニメや漫画とかの決め台詞を現実に使うと痛々しく見える、みたいな話のことなんだけど」

「あれがどうかしたのか」

「あの時は私もフィクションの世界に陶酔しているみたいでどうか、みたいなことを言ってしまったけれど。でも私もずっと心に残っている台詞があることを思い出したの」

「へえ。どんな?」

「十数年以上前のライトノベルの台詞なの。主人公じゃなくて脇役の台詞なんだけどね。そのキャラクターは演劇部の部長でね。演技に真剣になろうとしない部員に活を入れようとして、こう言うの」


 星原はここで立ちあがって朗々と語りかける。


「『確かに芝居なんて嘘っぱちだ。こんな言い回しをする奴なんて現実にはいやしない。だけどそこには真実があるんだ。だらだらと切れ目なく続く、不規則で無意味な現実からすくい取った真実があるんだ。だからこそ演じる価値も見る意味もあるんだよ』……うろ覚えだけどこんな台詞だったかな」

「こんな言い回し、台詞を言うやつなんて現実にはいやしない、だけどそこには真実がある、か」

「ちなみに、この台詞自体は本筋とはあまり関係なくて、クライマックスでも何でもないストーリー中盤の一場面にすぎないんだけどね。ひょっとしたら作者もなんの気なしに書いた台詞なのかもしれないわ。でも小説家を目指すようになって台詞回しとか考えるときに、妙にこの言葉を思い出すのよね。こんなこと言う人、現実にはいないけどそれでも自分の伝えたいと思う真実を込めてみようって、そう思うの」


 その言葉に僕も自分の考えを省みる。


「……そういえば、僕もこの前は、漫画とかのセリフを実際に聞くと通俗的で不自然だ、みたいに思ったけれど。それでも、周りから見ればどんなに滑稽でも、言う側にとっては今まで生きてきた中で見出した価値観がこもっているんだよな」


 明彦の口説き文句も芝居がかって聞こえたかもしれないけれど、好きな女の子への真摯な気持ちをあいつなりに必死に伝えようと紡がれた言葉のはずなのだ。


「犯罪者とかが使う場合はどうかと言う気もするけれど。まあ、倫理的な善悪は置いといて、人間の感情の発露は第三者から見れば滑稽に見えてしまうのかもね。だけどそんなことを気にして生きている人間よりも、自分を出して生きている人間の方が人生楽しそうな気もするわ。特に恋愛の口説き文句なんて傍から見れば、馬鹿なことをしているように見えるけれど、みんなそんなものなんだから」

「そうだな。一度きりの人生、周りを気にするよりそんな生き方もありかもなあ」


 僕はふと思いついて言ってみる。


「死ぬことは避けられない。生きることは止められない。貴方を愛することもまた同じ、ってな」


 僕はちょっと気取って手のひらで星原を指し示しながらそう言って見せた。


「……」


 星原もぽかんとした顔で僕を見つめ返す。返す言葉もないというような様子だ。どうやら呆れているらしい。


「あーっと、ごめん。悪かったよ」

「え?」

「昔、見た映画でこんな感じの口説き文句があったから、冗談のつもりで試しに言ってみたんだ。……そんなに呆れた顔しないでくれ。僕だって様にならないってことぐらいわかってる」


 星原は、事態を理解するのに時間がかかったのか、「あ、ああ」と呟いて、咳払いをしてそっぽを向いてしまった。軽い冗談のつもりだったんだが、滑ったうえに空気が気まずくなってしまったかな。


 一瞬下りた沈黙を無理やり破るかのように星原が口を開いた。


「いやあ。全く様になっていなかったわ。急に変なこと言うから何かと思った。まあ、他の女の子の前ではああいうこと言わない方が良いわよ?」

「そんなこと言われるまでもなく、もう二度とやらないよ。特別空気が読めるタイプってわけじゃないが、好き好んで場の空気を気まずくする趣味もないし」


 星原はそう答えた僕に、何故かちょっと慌てた様子になる。


「いや、他の女の子の前で言わない方が良い、って言うのはつまりね。その、私の前でなら……」


 星原が何か言いたげにするが、もごもごと口の中で呟いて「ああ、もう!」とどういうわけか、半分怒ったように僕を見た。


「何?」

「別に。ただ、そういう口説き文句って言うのは、もうちょっと自然な流れの中でさりげなく言わないと決まらないんじゃないかって思ったの。まあ月ノ下くんみたいに単純なタイプには逆立ちしても無理な注文でしょうけど」 


 言葉の後半は何だか絡むような、ある種の嫌味すら感じられるような言いぶりだった。流石にカチンとくる。


「自分には出来るとでも言いたげだな。でも、僕だってそこまで言われるほど単純でもないよ」

「あら、そう? じゃあ試してみる?」


 星原は挑発するように僕を見る。僕も睨み返す。


「ああ、何を試すのか知らないけど、やってみればいいよ」

「じゃあ、シャンデリアって十回言ってみて」


 心の中で思わずずっこけそうになる。

 何かと思えば今時十回クイズか。そんなのに引っかかるほど単純じゃないつもりだが。


「シャンデリア、シャンデリア、……」


 僕は頭の中で回数を数えながら、その単語を繰り返し言う。


「……シャンデリア、シャンデリア」

「毒りんごを食べたのは?」


 シンデレラ、なんて言うとでも思ったのだろうか。


「白雪姫」


 星原は正解を答えた僕に「やるわね」と不敵に笑って続けた。


「それじゃあ、東海道って十回言って」

「東海道、東海道、東海道、東海道、東海道、東海道、東海道、東海道、東海道、東海道」

「日本で一番北にある県は?」


 北海道、とのど元まで出かかったが、ギリギリで気が付く。一番北にある「県」を答えるのなら……。


「青森県」


 どうだ、と僕は得意満面の笑みを浮かべた。星原はふうん、と声を漏らして軽く微笑んでさらに続ける。


「それじゃあ、最後の問題。君が好きって十回言って。ゆっくりでいいわ」

「君が好き、君が好き、君が好き、君が好き、君が好き、君が好き、君が好き、君が好き、君が好き、君が好き」


 この言葉と似た語感の日本語があっただろうかと頭の片隅で考えたが、とりあえず言うとおりの言葉をゆっくりはっきりと口に出した。


 星原は僕の言葉を聞き終わった後で、そっと僕の手を自分の両手でつかんで照れたようにうつむきながら、上目づかいで「ありがとう。私もよ」と言った。


「え」


 虚を衝かれて、どうしていいのか解らない。


 どういうことだろうと考える僕の手に星原のやわらかい手の感触が伝わってくる。少し恥ずかしそうにも見える星原の表情が僕の心をつかんで、目をそらすことが出来なかった。


 僕はそのまま数秒ほど固まっていたが、星原が急にくっくっと声を漏らした。やがて我慢が出来なくなったかのように、星原は僕から手を放すとソファーの上で笑い転げはじめる。


「あははははは! 今の顔ったら! 真っ赤にしちゃって! あははははは!」


 どうやら最初の二つの問題は、最後に僕に「その言葉」を言わせるための前ふりだったらしい。つまり、見事に星原の思い通りになってしまったようだ。


 でも……。僕は右手を見て、さっきまで星原と触れ合っていた感触を思い出す。


 まあいいか。


 結局、決めゼリフも口説き文句も伝えた相手との心の距離次第ということか。もっとも僕と星原との距離は近づいたり離れたり、それこそ星を廻る月みたいに複雑なのだけれど。

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