第17話 真犯人

 家庭科室で僕が推理を披露してさらに一日経過した放課後。僕は二年B組の教室の教壇に立っていた。目の前の生徒用の席には明彦と日野崎、虹村が疑問気な表情で座りつつこちらを見上げている。


「なあ、真守。話って何なんだ?」

「もうあの件は全部片が付いたんでしょ?」

「私たち全員を集めるようなことなの?」


 三人がそれぞれ声を上げた。僕はみんなに昨日の件で話しておきたいことがあるから、と教室に集まってもらっていたのだった。


「いや、実は話があるのは僕じゃないんだ」

「え、誰だよ?」


 明彦の疑問に答えるように、教室に一人の少女が入ってくる。


「中神さん? どうしたの?」


 中神さんは緊張した面持ちで僕に代わって黒板の前に立つ。


「今日は部活をお休みしました。……皆さんにお話ししたいことがあって」

「え?」


 日野崎がいぶかしげな顔をする。


「あの日あった本当の事を聞いてほしいんです。そしてケーキを盗んだ真犯人に会っていただきたいんです」


 これが、僕が中神さんにお願いした二つ目の内容。悪意はなかったにしても、料理部で起こった問題を解決するために僕らが奔走させられたのは事実なので、せめて僕らに対してはありのままの真実を話してもらう、ということだった。





「皆さん、こっちです」


 それから小半時ほどのち、僕らは中神さんに案内されてある場所に向かっていた。中神さんが歩いていく先は体育倉庫の裏手だった。体育倉庫は実習棟のさらに先にあるのだが、基本的に用事が無ければ行く場所ではないし、その裏手となると人が通りがかること自体珍しいようなそんな場所だ。


「こんなところにいるのか?」

「はい」


 明彦の疑問に中神さんは体育倉庫の裏手のある部分を指さした。そこにはベニヤ板が立てかけられており、その下に小さなダンボールが置いてあるのがわかった。


 中神さんがそっとベニヤ板をどけると、段ボールの中から小さくて茶色い毛むくじゃらの真犯人がくりっとした丸い目で僕らを見上げて「クウン」と小さく鳴いた。


「わあ。可愛い!」


 虹村がしゃがんで手を差し伸べると彼は嬉しそうに顔を擦り付けた。




 中神さんが教室で話してくれたケーキが無くなった経緯はこうだった。


 その日の朝、中神さんは家庭科室に行って食材を保管するべくいつもより早めに家を出た。彼女はバスで通学しているので、家の近くのバス停に向けて急ぎ足で曇り空の下、歩を進めていた。


 しかしバス停に向かう途中、橋のたもとに段ボールがあることに気が付いた。何だろうと通りすがりに目を向けると、小さなクマのぬいぐるみのような茶色い毛におおわれた可愛らしい顔が目に入る。


 その箱の中には小さな子犬がつぶらな瞳を潤ませて心細そうに佇んでいたのだった。


 彼と目が合ってしまった中神さんは、一瞬立ち止まった。


 捨て犬なのかな? 首輪もしていないし、飼い主らしい人間も見当たらない。


 そう思った彼女は時計を確認する。バスが来る時間にはまだ少しある。


 彼女はカバンの中に、友達に配る予定だった料理部で先日作ったパンがあることを思い出した。パンを小さくちぎって与えると、彼は嬉しそうにぱくついて食べきった。


 しかしいつまでも子犬のそばにいるわけにもいかない。そろそろ学校に行かなくては、とその場を去ろうとすると彼は『置いていってしまうの?』とでもいうような顔で中神さんを見て「オオン」と短く鳴く。


 中神さんは後ろ髪をひかれそうになりながらも、子犬への気持ちを振り切るように小走りにその場を離れた。


 息せき切って彼女がバス停までたどり着くと、まだバスは来ていなかった。どうやら間に合ったと彼女は一息ついた。


 しかし彼女がバスの時刻表を何気なく見ていると、足元にくすぐったい感覚があった。え、と下を見るとさっき別れを告げたはずの子犬が彼女にじゃれついて、見上げていたのだ。


「放っておけば保健所行き」「でもうちはマンションでペット禁止」「だけどこの子は助けを私に求めている」


 彼女の脳内をいくつかの思考がぐるぐると回った。


 その時バスがこっちに向かってくるのが見えた。「もう、どうにでもなれ」と彼女は子犬をトートバッグの中に放り込む。幸い彼はバッグの中で大人しくしてくれたので、運転手にも乗っていた他の乗客にも気づかれずに済んだ。


 学校に着いた彼女はどうしようかと悩みながらも、とりあえず家庭科室に行って食材を置いて来てからこの子犬をどこかに隠そう、そう思った。しばらく学校で面倒を見ながら、飼ってくれる人を探そうと考えたのだ。


 その後職員室に行って鍵を借りた彼女は、廊下を歩いているところをある人物に声をかけられる。


「やあ、中神」


 同じクラスであり、同じ料理部員でもある小宮くんだった。


「お、おはよう」

「鍵、借りてきてくれたんだ。無駄足踏まなくて助かったよ」


 小宮くんはそう言って彼女の隣を歩きだす。その時。


「クウン」と子犬が声を上げた。

「えっ!」


 驚いて横を見た小宮くんはトートバッグの中から顔を出した彼と顔を突き合わせる。


「うーわあ。可愛いなあ。どうしたんだよ、この子」

「実は、学校に来る途中で捨てられていて」

「それで連れてきちゃったのか? 大丈夫か? 先生に見つかったらやばいんじゃない?」

「うん。だから、飼い主が見つかるまでどこかに隠しておこうと思うの」

「そうか。……とりあえず家庭科室に荷物置きに行こうか」


 その後二人は家庭科室に足を踏み入れる。


 中神さんは子犬が勝手に逃げ出さないように家庭科室の扉を閉め、念のため鍵をかけることにした。誰かが間違って入ってきて子犬を見られてもまずいと思ったのだそうだ。


 小宮くんは食材を料理部の専用棚にしまってから、前日に作ったチーズケーキに目をやった。チーズケーキはラップをかけておいたのだが、冷めるまでにケーキの湯気でできたのだろう水滴が内側に見えた。


「このままだと、ケーキが湿っぽくなるな」

「ラップ外して新しいものをかけたら?」

「そうだな。そうするよ」


 小宮くんがラップを外して新しいラップをかけようとした。そして、それとたまたま同じタイミングで中神さんが持っていたトートバッグを一度机の上に置いた。


 しかしその瞬間、バッグの中から子犬が飛び出したのだ。


「あ、待って!」


 中神さんがそう言い終わる前に、子犬はラップを外されたケーキに貪りついていた。


「ああああああ!」

「ど、どうしよう?」


 子犬はものの数十秒でケーキを平らげてしまったのだ。


 中神さんは必死に考えを巡らせた。ケーキがなくなったことについては自分の失敗だ。それについて先輩に謝らないといけなくなるのは仕方がない。


 だが、無くなった理由について話すとなると必然的に子犬のことも先輩に話さないといけなくなる。そうなるとあの厳しい立川先輩のこと、先生にも報告されてしまうかもしれない。そうしたらこの子犬は取り上げられて、処分されてしまうのではないか。


 それなら、いっそこの子犬も私たちもこの場にいなかったことにしてしまえば。彼女はとっさにそう結論を出した。


 だが、焦る中神さんをさらに追い込む事態が起こった。後方からガチャガチャとドアを開けようとする音が部屋に響いてきたのである。


「あれ、おかしいな。まだ開いてない?」


 ドア越しに聞こえてきたのは昭島さんの声だった。


「アキ、来ちゃったわ!」

「ど、どうする?」

「アキにこの事を知られたら先輩に話してしまうかも。そうでなくとも、なるべく他の人に知られるのは避けたいんだけど……何とかして、この場に私たちいなかったことにできないかな?」

「え?」

「だから、来たらケーキが無くなっていたってことに。そうしないとこの子の事が先生にばれてしまうかもしれないし」

「……わかった。それじゃあこうしたらどうかな? 中神とこの子は窓から出て、急いでこの子をどこかに隠してから、昭島とほぼ同時に家庭科室に着いたことにするんだ。僕は家庭科室に残って窓の鍵を閉めてから、机の陰に隠れるよ」

「隠れるって……その後は?」

「中神が昭島の気を引いているうちに部屋の外に出て、少ししてから家庭科室に着いたことにしようと思う」

「わかった!」


 中神さんは一も二もなく頷いて、子犬と持ってきた荷物と家庭科室の鍵を持って窓から出て行った。


 その後のことは言うまでもないかもしれないが、彼女は子犬を一度人目につかないところに隠して(実習棟の横にある倉庫だ)その後、急いで実習棟の入り口から家庭科室に向かったのだった。

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