第10話 告白の練習

 事の起こりは数日前に友人の明彦が僕にある質問をしたところからだった。


 終業のホームルームが終わり掃除当番も済んだある日の放課後。いつも通りに帰ろうかと思ったところで、明彦が唐突に話を振ってきたのだ。


「なあ、真守。ちょっと話があるんだけどさ」

「何?」

「女の子を落とすにはどうすれば良いと思う?」


 教室の中にはまだ何人か残っている者もいるが、それぞれの用事や話に夢中になっていて、僕らのことを気にする人間はいない。


「そりゃあ、通り道を調べて落とし穴でも掘っておけばいいんじゃないか?」

「……俺がそういうこと言いたいんじゃないってことぐらいわかるよな?」


 明彦は苛立たし気に顔を引きつらせる。からかって良い雰囲気ではなかったようだ。

「悪かったよ。でもどうしたんだ。急に」


 彼は僕の言葉に一瞬考え込んだようだが、明彦は意を決した顔になって再び口を開く。


「いや、実は好きな子が出来たんだ」

「へえ。誰?」

「一年の子」

「明彦って部活とかやっていなかったと思うけど。どうやって知り合ったんだ?」

「朝の通学の時、同じ電車に乗ってきている子だったんだよ。可愛い子だな、いつも乗っているな、なんて思っているうちに少しずつ気になってきてな。ついこの間、混雑している電車の中で大きめの荷物をかかえて困っていたから、網棚に荷物を載せてあげたんだ。それをきっかけに話すようになってな。洋楽とかが好きらしくてその話で盛り上がったりしてさ」

「なるほどね」

「何とか特別な関係になりたいがどうしたものか、と思ったんだ」

「でも残念ながら、僕も女の子を口説いて成功した経験なんてないしなあ」


 星原とは正直上手く行っているのかどうかよくわからないし。


「……そうか。彼女持ちの信頼できる知り合いでもいれば参考になるんだがなあ」


 明彦が肩を落とす。いや、待てよ。信頼できそうでかつ、こういう相談ができそうな知り合いが一人いるな。


「そういうことなら、日野崎に聞いてみようか?」


 日野崎勇美はサッカー部所属で、以前僕と明彦と一緒に遊んで一緒に帰っていたこともある。そこそこ仲が良い女子クラスメイトだ。


「あいつか? なるほど、確かにお前よりは女子に人気はあるかも知れんが」


 その一言は余計だ。僕は内心毒つきながら立ち上がって日野崎の席を確認する。


「カバンはあるな。まだ帰っていないみたいだ」

「確か、あいつは今日は体育館側の渡り廊下の方を掃除する係じゃなかったっけか」


 僕と明彦は彼女を探すべく教室を後にした。




「何? 二人して、あたしに話って」


 数分後、僕らは掃除当番を終えて教室に戻ろうとする日野崎をどうにか捕まえた。

髪を結いあげてモデルのようにすらりとした容貌の彼女は怪訝そうに僕らを見つめ返す。


「とりあえず詳しいことは教室の中で話すからさ」


 クラスの連中はほとんど帰ってしまったようで、教室にいるのは僕ら三人だけだった。それぞれ適当な椅子に腰を下ろすと明彦が改めて口火を切る。


「実はな、気になる女の子を振り向かせたいんだがどうすれば良いかと思ってさ」

「え? どういうこと?」と日野崎は要領を得ない表情で首をひねる。

「いや、明彦、最近好きな子ができたんだと」


 僕は彼女にかいつまんで事情を説明した。


「なるほど。そういうことなの。だけどあたしも女の子を口説いたことなんてないよ?」


 ここで明彦が「いや。でも」とすがりつくように尋ねる。


「日野崎は女の子に人気あるだろう? 何か上手く付き合う秘訣とかないのか?」


 彼女はそう褒められると悪い気はしないのか、照れながらも一応真面目に答えてくれる。


「どんなことで喜ぶのかはその人の性格によると思うよ。でも自分の気持ちを誠実に伝えることが大事なんじゃないかな」

「正論ではあるが、あまり参考にはならなかったな……」


 明彦が期待外れとばかりにぼやいていた。こいつ、どんな女の子でも心を開いてくれる魔法の言葉みたいなものを期待していたんだろうか。


「参考にならないってことはないでしょう。要は相手に自分の思いが伝わればいいんだから。だったら伝えるための練習をして、本番に挑むまでだよ」


 彼女はアドバイスをいきなり否定されて眉をしかめながら言いつのる。僕もうんうんと横で聞いて同意しかけたところで、ふと疑問が生じる。


「練習って、告白の練習ってこと?」

「当たり前でしょ。それじゃあ月ノ下が練習台になってあげなよ」

「えっ! 僕が!?」

「あたしよりあんたの方が向いている。小柄で細身で女子のイメージには近いしね」


 さも当然という顔で彼女は腕を組んで頷き返す。


「ちょっと待ってくれ。この場で一番女子のイメージに近いどころか女子そのものが今、僕の目の前にいるだろう」

「四の五の言わないの。そもそも話を持ってきたのはあんたたちなのに相談に乗っているあたしに文句言うわけ?」


 確かに何の得にもならないのに時間を割いて相談に乗ってくれている日野崎に反発することには若干の後ろめたさがある。


「それじゃあ、スタートだよ。イメージはその子を放課後呼び出すのに成功して、その子が校舎裏で雲仙を待っているというシチュエーションね」

「まじでか」


 明彦も「自分が言いだしっぺとはいえこんなことになろうとは」といいたげな、苦虫をかみつぶしたような顔になる。


「いやしかしだな。俺の方としても真守じゃあ流石に男にしか見えないし、真面目に口説き文句を言うのはつらいものがあるんだが」


 なおも食いさがる明彦に日野崎がふむと鼻を鳴らしながら口を開く。


「要は、月ノ下が男の格好をしているから気分が盛り上がらない、とこういうわけだよね」

「まあ、そうだが」


「わかったよ。しょうがないな、私のを貸してあげるよ」


 日野崎はカバンの中からごそごそと何かを取り出した。あれは……布に見えるが。いやよく見るとスカートとセーラー服? どうやら予備で持っていた彼女の制服のようだ。僕は出来れば否定してほしい、僕の思い違いであってほしいと内心思いながら日野崎に尋ねる。


「まさか、日野崎。僕にそれを着ろというのか……?」

「うん」と日野崎は大真面目な顔でうなずいた。




 


「ごめん! 待った?」 

 教室の端から明彦が小走りに走ってくる。日野崎から借りた服を着用した僕はなよなよとした仕草で振り返って裏声で答える。


「大丈夫です。雲仙先輩……それで、話って何ですか?」


 一応、別室で着替えてきたのだが、下半身がすうすうして落ち着かない。しかし気にしていたら負けだと開き直ることにした。こうなればさっさと終わらせてしまおう。明彦が白い歯を光らせながら決め顔で口を開く。


「実は前から君の事が気になっていて」

「えっ」と 僕は右手を胸に当てて驚いて見せる。


「初めて君を見た時に、どんな星よりも綺麗な星が君の目の中で輝いているように見えて、目が離せなかったんだ」

「そ、そんな。急に言われても」

「薄暗い部屋で二人きりになれれば、もっと綺麗に見えると思うんだけど」

「下心丸出しじゃないか」


 百年の恋も氷河期に突入しそうな発言だ。明彦は僕の言葉に沈痛な表情でもごもごと言い返す。


「すまんが、何だか普通の格好ならまだしも、女装している男相手に口説いているおのれの姿を思うと、唐突に自分は何をしているのかと我に返ってしまってなあ。いっそネタに走った方が気持ちが楽になる気がして」

「ここにきてそんなこと言われても。僕の方が恥ずかしいって。……あーっと、日野崎には悪いけどやっぱりこの女装という線はなかったことにしてもらおうか」


 僕は同意を求めるように日野崎の方を見ると、日野崎は「そうか、せっかく準備したのに」と残念そうに目を伏せる。


 ちょっと申し訳ないことになってしまったが僕としては女装しているところを誰かに観られたらと思うと気が気でないので、一刻も早く着替えたかったのだ。しかし脳裏をそんな思いがよぎった、ちょうどその時。まるで僕の気持ちを読み取ったかのように、ガラッと扉を開く音が教室内に響いた。


「……こんな時間に誰か残っているの?」


 そこに立っていたのは眼鏡をかけて長い髪をポニーテールでまとめた凛とした雰囲気の少女だ。クラス委員の虹村志純である。委員会に出ていて、まだ帰っていなかったらしい。


 彼女は女装姿の僕と明彦を見比べてから、顔を赤らめて教室を出て行こうとする。


「……ごめんなさい。お邪魔だったみたい」

「待ってくれ、虹村。何を想像しているのか知らないが、多分誤解している」

「え? 違うの? じゃあどういうことなの」

「えっと、それは……」


 スカートを穿いた僕は日野崎と明彦を振り返り、何と説明したものか言葉に詰まった。


「いやいや。実はこれには理由があるんだよ」


 状況を見かねたのか日野崎がここで弁解しようとする。男子の僕らが言い訳するよりは彼女の方が誤解を解きやすいかもしれない。


「実は、雲仙が一年の女の子を好きになったらしくてさ。そこで月ノ下が女装して告白の練習になる役を買ってでたんだというわけなんだ。それであたしが服を貸していたの」

「そうだったの。それで日野崎さんが告白のために協力していたということだったのね」


 買ってでたというより強制されたような。若干事実が捻じ曲げられている気もするが、それでもとりあえずは丸く収まりそうだ。


「理由はわかったけれど、あなた達だけで一年生の女子に告白とやらをしようとしたら、勢いでどんな誤解を招くかわからないわ。他の学年の子に迷惑をかけるようなことがあったらクラス委員としても責任問題になりかねないと思うの。その一年生に告白するときには一応私も立ち会っていい?」

「……僕は別にいいけど」


 振り返って明彦の様子をうかがうと、小さくため息をついていた。

「なんだかどんどん話が大きくなっていくなあ」


 その後、僕らは虹村から告白の文言について「誠実かつ紳士的な内容」にするように指導を受けた。かくして次の週の月曜に明彦は、その女の子を放課後呼び出して告白することになったのだった。

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