消えたケーキと決めゼリフ

第9話  決めゼリフのジレンマ

「それじゃあ、月ノ下くん? ドイツの作家ゲーテの代表作を挙げて?」


 艶やかな黒髪を肩の所で切りそろえた少女がソファーに腰かけて、参考書を片手に僕に問いかけた。


「『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』だろ?」

「うん、正解」


 秋の中頃に差し掛かったある日の放課後。いつものように僕は図書室の隣の空き部屋で星原との勉強会に参加していたのだった。


 この日の星原は制服のブラウスの上に自前のカーディガンを羽織り、黒いニーソックスを着用していた。僕はまだそれほど寒いとは感じていなかったのでブレザーを脱いだワイシャツに制服のネクタイにスラックスという格好である。僕も隣の一人用のソファーに座って星原の出題に答えていた。


「そうそう、ちょっとしたこぼれ話なんだけどね。ゲーテが最期死ぬときに何て言い残したか、聞いたことある?」

「いいや? 何を言ったんだ?」

「『もっと光を!』と言ったそうよ」

「ほお。この暗い世界が明るくなるように、というような意味か? 有名な作家なだけあって末期の言葉も詩的なもんだな」

「ところが、これ実はその後に『窓の格子戸をあけてくれ』と続いたらしいの」

「単純に部屋が暗かったから明るくしてほしかっただけなのか? まぎらわしいな」

「偉人の言葉も立派なものもあるけれど、後世の人たちが勝手にイメージして持ちあげているものもあるということね」

「でも、そういう偉人のこぼれ話というかずっこけエピソードみたいなものは何か面白いな。他にもあるのか? そういうの」


 星原は僕の言葉に、記憶を探るようにちょっと眉を寄せた。


「……そうね。石川啄木という明治の詩人っているでしょう」

「『働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり。ただじっと手を見る』なんて詩を作った人だったな」


 貧しい生活を作品に反映させた不遇の詩人というイメージがある。


「でも、この人新聞記者という当時としては高給取りの仕事に就いていたの」

「なんだ、別に貧乏じゃなかったのか」

「いや酒を飲むのと芸者遊びに浪費しまくって、借金を作っていたらしいわ」

「そりゃあ、働いても楽にならないよ! ……昔の人の名言も一見もっともらしくても、本人たちからすれば、別の意味や背景があったかもしれないということか」


 星原は僕の言葉にそういうこと、と同意した。勉強から話が脱線しているのはわかっていたが、彼女とこういう与太話に花を咲かせるのが僕は結構好きだった。もう少し雑談をつづけたくて、つい続けて話を振ってしまう。


「……名言と言えば、前から疑問に思っていたんだけど」

「何?」

「いや、何年か前にある人気漫画が実写ドラマになったんだよ。でも、原作の漫画の中では格好良く聞こえた名ゼリフが、実写ドラマになると何だかこう通俗的というか不自然な言い回しに聞こえて、『あれこんなもんだったかな』なんて思ったんだよな」

「ああ。私もアニメのとかの台詞を普通の会話の中で使ったりする人を見たことがあるけれど本気で本人がなりきってるつもりで発言したりするのは、ちょっとどうかと思う所があるわね」

「それなんだ。何でなんだろうな? 漫画とかの中では『格好よさ』が成立している台詞なのに、現実にすると元ネタ知っていても格好良く聞こえないというのは」

「元ネタを知らない人からすれば、シチュエーションが解らないからピンとこないでしょうしね。元ネタ知っている人からすれば知っているからこそ、フィクションと現実との違いが際立って余計に格好良く聞こえないのかもしれないわ。それに自分はフィクションの世界観に陶酔していますって宣伝しているようなものだもの」


 歯に衣着せない発言だなあ。僕自身にも身に覚えがあるので何だか微妙な心持ちだ。


「……そうなのか。僕も人生で一度は使ってみたい台詞で『俺たちは組織の歯車じゃない!』とか『ここは俺に任せて先に行け』とかあるんだけど」

「ははあ、警察の取り調べとかで『かつ丼食うか?』とか、自暴自棄になっている女の子に『もっと自分を大事にするんだ』とか」

「うん、そういうの。……でも客観的に考えて、そんな場面を誰かが現実に言っているのを目にしたら、痛々しく感じてしまうかもなあ」

「そうね。例えば、よく法廷ドラマで弁護士が『異議あり!』とか言うじゃない」

「言うね」

「あれね、現実の裁判でも普通に言うらしいんだけど、その直後、場の空気がざわつくことがあるらしいわ」

「そうなのか?」

「うん。裁判官も『ああ、この人『異議あり』とかいう人なんだ……』ってなって、検事も『うわ、『異議あり』言われた』というようなリアクションになるの。傍聴席も『お、あの弁護士さん『異議あり』って言ったよ』みたいな感じになるらしいの」

「それ、実はほとんどドラマでしか言うようなセリフじゃないのに、普通に使っちゃって冷たい目で見られるってこと?」

「冷たい目で見られるというのは言いすぎかもね。……それに、一応は現実の裁判でも『異議あり』って普通に使われているらしいわ。ただ、相手の証言に反論するのではなくて、検事側が証人に憶測で質問をしたときとかに使うみたいね。でも、きっとドラマとかで通俗的なイメージが着いてしまって、あんまり多用すると『何この人』という目で見られるのかもね」

「なるほどなあ。そういえばこの間ニュースで、通り魔事件の犯人が捕まったって言う報道があったんだけどな。逮捕されるときに犯人が『どうやらこのゲームは私の負けのようですね』みたいな発言をして、ネットの掲示板で批判されていたよ。『お前は名探偵と頭脳戦を繰り広げた知能犯か何かのつもりか?』『中二病をこじらすとこうなるんだな』みたいな感じでさ」

「……最初に使われた推理小説とかでは、犯罪に手を染めざるを得なかった人間の生き様と美学がこもった台詞だったのかもしれないわね。でもさっきの『異議あり』みたいにあまりにポピュラーになりすぎるとステレオタイプな印象が付与されて、現実に使われると安っぽく聞こえるのかしら」


 星原のその言葉の底の方には、単にいわゆる決めゼリフというものを使うことを批判的に見ているのではなく別な何かがこめられているようにも思えた。

 ん、推理小説? そういえば……。


「なあ、星原。星原って推理小説も読むのか?」

「え、そりゃまあ。別に網羅しているわけではないけれど。江戸川乱歩とかアガサ・クリスティとか好きな作家の作品なら多少は」


 勉強会をしていたはずが話がずれまくっている。だが、ここまで脱線しているのならついでだ。僕は星原につい先日起こったあるトラブルを相談してみようかと考えた。


「実は、相談したいことがあるんだけどさ」

「珍しいわね。何?」

「ある部屋にあったはずの物がなくなっていて、その前後で部屋に入ることが出来たのは三人の人間だけなんだ。三人の中から犯人を特定するにはどうしたらいいと思う?」

「はあ? どういう事?」と星原は目を丸くする。

「話すとかなり長くなるんだけどさ」


 僕はため息交じりに前置きをした。

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