第6話 球技大会、その後

 次の日の空は秋らしく晴れわたり、球技大会は予定通り開催された。僕はサッカーの試合に出ることになっていた。うちのクラスはサッカー部の男子部員は元々少ないし、あまり勝ち負けにはこだわっていないので、僕としても気楽ではある。


 午前中は野球の試合を見て、昼休み後に午後のバスケの試合を観戦する。うちのクラスのバスケチームが決勝に進出したのを見届けたあと、僕は体育館を出た。


 時間は十四時か。そろそろ、星原のテニスの試合の時間だな。


 さてどうなるかな?


 やはり気になる。僕はテニスコートの方へ足を運んだ。


 金網越しにテニスコートを覗き込む。見ると、ちょうど試合が始まる直前だった。テニスウェアを着た星原と綾瀬がネット越しに試合前のあいさつを交わしているようだ。こういう時のマナーとして「お願いします」と審判等にも含め挨拶をしたり、対戦相手と握手をするものらしい。


 だが、星原と綾瀬が握手をした後で、綾瀬が星原に二言三言何か言っているようだった。


 何かの挑発なのだろうか。言われた星原は何も言い返さずに自分のコートに戻ったが、その横顔は唇をかみしめているように見えた。


「おい、真守!」

「……明彦か。驚かすなよ」


 いつの間にか僕の後ろに体操着を着た明彦が立っていた。


「あと五分で試合始まっちまうぞ。お前もサッカーの試合出るだろ。行こうぜ」

「え? サッカーの試合って二十分後じゃなかったか?」

「前の競技が野球だったんだが、コールドで早目に終わってな。試合の開始時間が繰り上げになったんだと。さっき校内放送があった」

「え……」


 こっちも気になるのだが仕方がない。僕はテニスコートを離れてグラウンドに向かった。


 十七時を過ぎて空が暗くなりかけたころ、球技大会は無事終了した。教室の中では優勝したバスケチームとそれを喜ぶ男子たちが騒いでいた。僕は星原に試合の結果を聞こうかとも思ったのだが、何だか疲れ切って机にうつぶせになっている様子だ。それに周りの目があるところでは僕と星原はあまり話していないので余計に声をかけづらい。


 結局その日、人づてに聞いた話と廊下に張り出されていた試合結果によると六ゲーム先取が勝者となる一セットマッチで星原は五―五まで綾瀬を追い込み、最後のゲームを取られたため、結果としては五―六で負けた。しかし、テニス部レギュラーの綾瀬相手に大善戦したので、うちのクラスの女子が「星原さん、結構やるじゃない!」「頑張ったよ、本当!」とむしろ評価する声が聞こえてきたくらいだった。なお、綾瀬はというと星原との一戦が響いたのか、その後の準決勝で敗退したらしい。


 まあ星原が本人が心配していたように惨敗して重い気分にならずに済んだのは素直に喜ばしい。その日の夜、家に帰った後で星原に「試合、頑張ったんだな。応援できなくてすまない。お疲れ様」とメールを打った。しばらくして「ありがとう」と返事が返ってきた。




「星原、入るぞ。……星原?」


 二日後の金曜日、僕はいつものように校内の空き室に足を踏み入れた。


「……月ノ下くん」


 星原は二人掛けのソファーに背中を預けて天井を見上げるように座っていたが、我に返ったような顔で僕を見た。


「ああ、ごめん。私、ちょっと考え事をしていたの」

「考え事?」

「ええ。綾瀬さんとテニスの試合をしたとき、何だか綾瀬さんちょっと調子崩していたように思えるのよね。なんていうのかな。サーブのフォームがいまいちしっくりこないみたいに何度も素振りしてチェックしては妙にミスしていたり……。まあ、おかげで私もつけ入る隙があって、いい勝負ができたんだけど。テニス部のレギュラーを任されて、中学からもずっと練習してきたにしては何だかおかしいなって」

「そうか。じゃあ、僕のやったことも全くの無駄ではなかったかな」

「え?」


 星原は一瞬僕の言葉を吟味するように沈黙して、それからははあと感心するような目で僕を見た。


「流石ね。月ノ下くん。私のために彼女に毒まで盛ってくれたの?」

「盛ってない。……テニスができるくらい元気に動けてサーブのフォームだけが崩れるような都合のいい毒なんてあってたまるか」


 僕はパタパタと手を左右に振って否定する。


「ごめんなさい。冗談よ。でも今の口ぶりから察するに綾瀬さんの不調には月ノ下くんが関係しているんでしょう?」

「うん。まあ、したと言えばしたんだけど」

「もったいぶるわね。一体何をしたの?」

「いや、だから、テニスを教わったんだ」

「? え、それで?」

「ううむ。どう説明したらいいかな?」


 僕は一人用のソファー腰を下ろして、星原に尋ねた。


「いつだったか前に星原が、蛙が百足に踊り方を尋ねる童話を教えてくれたことがあったんだけど覚えているか?」

「え? ああ。確か、動物の擬人化の雑談した時だっけ。ミヒャエル・エンデだか、グスタフ・マイリンクか誰かの童話だったかしら? 確かこんな話だったわよね」


 星原はその寓話のあらすじを、記憶をたどるように語って見せた。


 * * *


 ある森にダンスが上手な百足がいて、森の動物たちに褒められていた。


 しかしそのことが気に入らない意地悪な蛙が百足に手紙を出す。


「私には足が四本しかないから、どうすればあなたのように見事に踊ることが出来るのか分からないのです。もし良かったら教えてください。あなたはダンスをはじめるとき、まず一本目の左足を動かし、それから九十九本目の右足を動かすのでしょうか? それとも百本目の左足からはじめるのでしょうか? それともその逆ですか? こんな私にもあなたの優雅さが学べるようにぜひ教えてください」と。


 しかし、百足は周りの賞賛なんて気にもしないで自由に踊っていただけなのに、蛙からそんな風に改めて聞かれて、自分がどんな風に踊っていたのか、解らなくなってしまう。結局百足は、どう足を動かせばいいのか思い悩んだ挙句、踊りが出来なくなってしまうのだった。


 * * *


「でも、この話が綾瀬さんと何の関係があるの?」

「うん。これと似た話を聞いたことがあるんだけどな。とあるプロゴルファーが、これまでの人生で得たゴルフ理論を一冊の本にまとめたんだが、そうしたら大スランプに陥って、まったくスコアが出なくなってしまったんだと」

「へえ。なぜなのかしら?」

「つまり、そのプロゴルファーのテクニックには言葉では表現しきれない、いわゆる感覚でこなしてきた部分があったんだ。そういう言語化できない領域を無理やり言語化した結果、自分ではっきり言葉に表した部分だけを意識するようになって、感覚でこなしてきた部分がぼやけて調子が崩れてしまったそうなんだ」

「じゃあ、月ノ下くん。もしかして」

「ああ。サーブのフォームを教えてもらう時に、細かく具体的な言葉にして教えてもらったよ。足はどれくらい引くのかとか、ボールはどれぐらいの高さにあげて、腕はどんな角度で打つのかってね。もちろん、もしプロのテニスのインストラクターにこんな細かいこと聞いたら『打つ時にそんな細かいこと意識していたら打てませんよ。実際に私の指導通りにやって体で覚えてください』って言われるだろうけどね。でも綾瀬さんは一応僕に取り入って親しくなろうとしていたから僕の質問を無下にできなかったんだろうな」


 星原はまだ納得いかない様子で手を顎にあてて考え込んだ。


「それでも、何年間も練習してきた人がそれだけで調子を崩してしまうものなのかしら」

「いや、まあその」


 星原は僕の態度に不審を感じたのか、「む?」と小さく呟いて僕の顔を覗き込む。


「まさか他にも何かしたの?」

「大したことじゃあないよ。ただ、綾瀬からサーブを打つコツを聞いた時に腕の角度はどうしたらいいかと聞いたらこう答えた。『金網の部員募集の看板の左端の方向に打つ感じ』だと」

「じゃあ、あなた。もしかして」

「うん。球技大会の朝、早く来て部員募集の看板を一メートルぐらい左側にずらしておいた」


 星原は僕の言葉に呆れて椅子からずり落ちそうになっていた。


「うわぁ……。なるほど。サーブの基準を具体的に意識させた後でその目印になる物をずらされたらそりゃあ調子も狂うかもしれないわね。……月ノ下くん。やることがセコい」

「いや、僕は何も悪いことしていないだろう。ただ金網にかかっていた部員募集の看板の位置を変えただけであって。そもそも一セットごとにコートチェンジもするんだから、僕の影響だけが問題じゃないよ」


 更に言うならば先に盤外戦術のような揺さぶりをかけたのは綾瀬なのだから、これくらいやってちょうどフェアになるのではなかろうか。


「それに、綾瀬自身の内面にも原因があったと思う」

「というと?」

「前に星原から聞いたけど。綾瀬は中学のテニスの授業の時に自分以外のテニス経験者である星原の存在を意識して、力が入って負けてしまったみたいなところがあったんだろ? ということはメンタルを揺さぶられるのに人一倍弱いところがあるんじゃないかと思ったんだよ。今回にしたって、綾瀬は僕を星原の前で誘うことで揺さぶりをかけてきたと推測できるんだけど、あれだって自分がやられたら動揺すると考えているからこそ仕掛けてきた、いわゆる綾瀬自身の弱点の裏返しとも考えられるしな」

「ふうん、なるほど。だから、綾瀬さん、サーブを打つ時に妙にしっくりこないような顔をしていたのかしら。それにしても、月ノ下くんを誘うことで私が動揺すると思ったなんて、月ノ下くんも買いかぶられたものね。私の心はまさにこれ明鏡止水、そんなことでは波風一つ心の中に起きなかったというのに」

「はいはい。そうでしょうとも」


 僕のことで星原が動揺してくれるだなんて自惚れもいいところだろう。この間の勉強会で機嫌が悪かったのだって約束の途中で抜けようとしたのに腹が立ったのが主な理由ではあるまいか。


「ところで月ノ下くん、その、テニスを教わってわざと細かい質問をしたって言うのは一応私のためにしてくれたと考えていいのかしら?」

「ああ、まあそのとおりだけど」

「そう。私を気遣ってくれたのは素直に嬉しいし、お礼を言っておくわ。ありがとう。でも何だか、綾瀬さんに悪いことしてしまった気がするわね。調子が崩れたんだったら元通りに戻ればいいけど」

「……でも、結果的には綾瀬は星原に勝ったんだし、一応面目は保っているんだから、負い目を感じなくてもいいだろ」


 それに綾瀬は調子を崩したのを僕のせいにするつもりはないはずだ。僕は昨日、つまり球技大会の翌日に綾瀬と会った時のことを回想する。

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