第17話「今まで、楽しかったよ。朱冴さん……」

八章 以水救水! 身投げの少女とお父さん!



 太古の昔から日照りが続き、作物の生育が危ぶまれる場合には呪術的な儀式として雨乞いというものが行われてきたらしい。「雨は天からの贈り物」、その「贈り物」が途絶えるのは自分たちへの「罰」である――そう昔から考えられてきたようだ。



 だが、今は違う。「贈り物」は毎日絶えることなく贈られてくるし、その雨の贈り物にこちらはうんざりするほどである。


 だからこそ、この雨を止めるために今は地域によっては「水止舞」が定期的に行われている。もちろん、こんなことはただの気休めで本当は意味なんてないのかもしれないと薄々感じている者も中にはいるだろう。


 だが、なんにでもすがれるものにはすがっておこう。あるいは本当にこの儀式によって雨が止むことを願っている人間がいる限り、この無意味で愚かな因習が終わることはない。


この機構都市ディクサーンでは、大きなダムを建設した《清流会》と言われる団体が力を持っており、ここに住む他の人々水埜(みずなと)はこの《清流会》の人々には逆らうことのできない構図が出来上がっている。この《清流会》は無慈悲に、無差別に、次の生贄候補を決めた。それが、永湯水藻である。


彼女には一人の娘がいた――名は永湯瑞珠。夫を早くに亡くした彼女にとって、子どもである永湯瑞珠だけが希望であり、救いであり、心の拠り所であった。だが、今まさにその愛する娘とも引き裂かれようと〝していた〟。


――そう、〝していた〟。




そして、「水止舞」が行われる瞬間。


 俺と、望日と瑞珠が見ていたのは永湯水藻がダムから身投げする姿ではなく、《ガランサス》で出会った王生緋乃という少女がダムから飛び降りる姿であった。




「今まで、楽しかったよ。朱冴さん……」


「じゃあ、ね……」


 そう微かに呟いた緋乃は、ダムの天端から数十メートルはあるであろう水面へと空しく、そして、ただまっすぐに落ちて行った。まるで一途な思いがそのまま形になったように、歪むことなく撓むことなく線になっていた。


「ひのおおおおおおお!」


 俺は思い切り腹の底から声を出した。うめき声にも似た慟哭が雨空の中にこだまする。


 雨は一層その強さを増し、俺たちを責め立てるように降り続く。


――一体、どうしてこんなことに、なったんだっけ……






 俺と望日たちは、合流した後、間髪入れずにダムに向かった。幸いなことにまだ永湯水藻さんが生贄として天の神様に捧げられる前だった。


「その『水止舞』、待ったー!」


俺が意気軒昂に言い放つ。その姿はまるで、結婚式直前に政略結婚させられそうなヒロインを助け出す主人公のように豪快な展開だった。


 《清流会》の人間が見守る中、真っ白な装束を身にまとう人間がいた。


「お母さん!」


 瑞珠は精一杯の声で母を叫ぶ。その声は勇ましくもあり、これから消えゆく母に対して不安を露にするようでもあった。だが、母、水藻からの返事はない。まるで息を引き取っているかのように、安らかな顔をして祭壇に横たわっていた。


「何者だ!」


「俺たちは……」


「少女お助け隊だ!」


 俺が言いかけたところで望日が横入りしてきたせいで、俺は少女お助け隊の一員になってしまっていた。


「瑞珠ちゃんのお母さんは返してもらおう!」


 望日が調子に乗って、文言を付け加える。


 その時、俺は沈思黙考する。水藻さんが言っていたように、ここで仮に永湯水藻さんを救い出しても、また新たな犠牲者が出るだけだ。そして、ここで救ったところで永湯一家に逃げ場は無いだろう。


「だとしたら……どうすれば……」


 そう考えていた俺の隣で予期せぬ言葉が飛び出た。


「私がやります」


「…………!?」


 その場に居合わせた皆が驚いた。


「聞こえませんでしたか? 私が代わりに『水止舞』の巫女をやると言っているんです!」


 先ほどから黙り込んでいた王生緋乃が、この場で誰が想像もしない方向へと事を進めようとしていた。

 王生緋乃は跡川望日に感謝している。


 望日は見ず知らずの私を、あの吹雪の中から救ってくれた。それだけではない、《幽暗花》を採りに行く時だって、何も言わずについてきてくれた。


そんな望日と違って、自分は決して特別ではない。


そのコンプレックスがずっとあった緋乃。だけど、ここでやっと今まで無意味で普通な自分の命が有意味に使われる時だと直感していた。


覚悟を決めた少女の意思が連鎖を生んだ。


望日が緋乃の意思に感服したように、緋乃も瑞珠の健気で一途な意思に感銘を受けていた。結局のところ、似た者同士、親近感を覚えただけかもしれない。


そして、受けた恩はどこかで返さなければならないという緋乃の生真面目な性格が幸いしたのかもしれない。



 それでも王生緋乃はやると決めた。やると決めたら最後までやりきってやる。溺れている人を助ける時は自分も水に濡れ、泥にまみれると言う意味の言葉に「合水和泥」という言葉がある。まさに、緋乃は今、水に溺れてしまう人を助け、自分が溺れようとしている。


 全力で自分の事を顧みず、他人を助ける。それは、望日が緋乃にしてくれたことで、これから緋乃が瑞珠にしようとしていることだった。



「瑞珠はお母さんのどんなところが好きなの?」


 緋乃はここに来る前、瑞珠にそう質問していた。


「瑞珠のお母さんは、瑞珠にとって全部だから……」


 その気持ちは緋乃自身が母と父が《白皙病》になった時に感じた思いと同じだった。自分にとってあの狭い世界では両親が全てで、両親を失うと思うと、自分自身までも失われてしまうような感覚があった。

「じゃあ、絶対に助けなきゃね」


 緋乃は瑞珠に優しくそう告げた。そしてその時に何があってもこの子のお母さんを助けようと決めた。


――だから、今度は自分が頑張るんだ!




「緋乃! 何を言って!」


 俺は突然の緋乃の言葉に戸惑っていた。緋乃が犠牲になっちゃ何も変わらない。意味なんてない。


「私は、跡川朱冴の妻、跡川緋乃です。だから、そこにいる永湯水藻の代わりとして『水止舞』の巫女としての役目を果たします!」


「いきなりなんだ!」


 そう言って《清流会》の人間の一人が怒鳴りつける。それに続いて他にいた仲間たちも口々に騒ぎ出す。


「ちょっと待て」


 鶴の一声である。《清流会》会長の万波 沖蔵(まんば おきぞう)がそう言った瞬間に、辺りは静寂に包まれる。


「万波様、いくら何でもこのようなことは……」


 臣下が諫めようとするも、万波という男は頑迷固陋な様子だった。


「待てと言ったら待て。この童からは強い心意気を感じる。緋乃と言ったか? そこの夫を捨て《てるてる巫女》となる覚悟はあるのか?」


――夫? 一体誰のことだ?


 そう思った俺だったが、さっき緋乃が言ったことを思い出す。


「私は、跡川朱冴の妻、跡川緋乃です」


 緋乃は《てるてる巫女》が既婚者でないとなれないことを知っていた。だから咄嗟の判断で俺の夫ということにしたらしい。


「もちろんです」


 一片の迷いなく、緋乃は言った。その真摯な意思を感じ取った万波は、別段考える所作もなく言った。


「巫女をこの童に変えろ、今すぐだ」


 周りにいた部下に指示を出す、万波。そして彼はこう続けた。


「どういう了見かは知らぬが、そうして欲しいと言うのなら儂はその心意気に免じて変えてやる。だがしかし、鬼の目にも涙と言うわけにもいかん」


――都合良く、この献身的な姿に感動し、儀式を中止するということはせん。


――そう、暴君ディオニスのように、処刑を中断することは決してない。


 この《清流会》会長、万波にも面目というものがある。そして、面目だけでなく、この風習を続けなければならないほどにこの《ディクサーン》は雨に侵食されている。この雨を少しでも緩和させられるなら、すがれるものは何だってすがる。


 だから、この「水止舞」をやめることはできない。


――そう感じていた。


「残念ながら、この雨が止まねば、この『水止舞』を止めることはできんのだよ。あるいは、ダムからこの雨水さえ無くなるまではな……」


 悲しそうに万波は言った。その表情は暗く曇り、前に見た《ガランサス》の村長のように苦渋の決断をしているような長に見えた。


「緋乃は本当にこれで……いいのかよ……俺たちと一緒に外の世界を見るんじゃなかったのかよ……」


 俺も突然のことで気持ちの整理が出来ないでいた。


「今まで、楽しかったよ。朱冴さん……」


 俺が放心状態でいる間に緋乃は、あっという間に《てるてる巫女》になっていた。その色白な肌が真っ白な装束に相応しいといわんばかりにぴったり似合っている。残念ながらサイズは大人用なので、袖のあたりが随分と余裕があるけれど。


「じゃあ、ね……」


 そう微かに呟いた緋乃は、ダムの天端から数十メートルはあるであろう水面へと空しく、そして、ただまっすぐに落ちて行った。まるで一途な思いがそのまま形になったように、歪むことなく撓むことなく線になっていた。


「ひのおおおおおおお!」


 俺は思い切り腹の底から声を出した。うめき声にも似た慟哭が雨空の中にこだまする。



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