第15話 「人力ウォータースライダー、みたいな?」
七章 雨霖鈴曲! てるてる姫とお父さん!
雨の音が耳鳴りのようにしつこく頭の奥で響く。俺は、一体どうなったんだっけ……
「一体、俺は……」
望日、望日は!
そう思って辺りを見回すが、娘の姿はない。また俺は……
自己嫌悪に陥りそうになった俺だが、そうする暇もなく俺の状況が逼迫していた。
「早く、来い!」
「待って……下さい……」
「お前は巫女として選ばれたんだ。その役目を全うするんだ」
「でも……あの子が……」
そんな声が聞こえている横で俺は黙ってはいなかった。
「俺の水々しい右手を食らえ!」
――ウォータージェット!
「ぶへばッ!」
俺は見ず知らずの男に高圧水流を噴射した。どうやら男は卒倒したようっだった。
「…………」
眼前の女性は唖然としている。それもそのはずだ。いきなり手からホースのように勢いよく水を放出したのだから。かくし芸どころでは済まないはずだ。
「あなたは……」
「俺は、跡川朱冴、一児の父だ」
俺の肩書きがただの高校生から父になっていることに自分でも驚きを隠せなかったが、堂々と俺は言った。
「跡川さんですか……そんなことをしては、あなたは《清流会》の人間に目をつけられてしまいます……」
「――《清流会》?」
「この《ディクサーン》は《清流会》の人間たちが支配しています。私たちはその《清流会》の人間のおかげで生かされている存在、《水埜(みずなと)》なのです……」
彼女は悲しそうに囁いた。俺はその悲痛な表情にどこか見覚えがあった。
「私は永湯 水藻(ながゆ みなも)と言います」
――と言っても間もなく、あなたとも、この世ともお別れする身なんですけどね。
永湯、その名を俺は聞いたことがある。
「もしかして、永湯 瑞珠さんのお母さ……」
そう言いかけた俺だったが、水藻さんの目から大粒の涙がこぼれ落ちるのを見た。
「娘は、娘は無事だったんですか……」
「あ、ああ……確かに永湯 瑞珠と言う少女は無事だった」
その必死な眼差しに俺は圧倒されるばかりだ。
「それじゃ、心置きなく……」
先ほどまでの血走っていた様子とは打って変わり、彼女の表情は穏やかなものになった。それは安堵の表情のようで、そして、全てを諦めてしまったような表情でもあった。
「お母さんはいったいどこに……」
俺は口ではそう尋ねたが、心の中では理解していた。
――「水止舞」の《てるてる巫女》か……
彼女は決死の覚悟でいる。俺にできることは……
「そうね……虹を見に、行くのよ……」
――この厚い厚い、雲の向こう側には、七色の虹が広がっているんだって。
――その虹を私は……
俺も両親から聞いたことがある。この空が分厚い雲で一杯になる前は、空一面に綺麗な橋が架かることがあったらしい。
もうその親はこの世にいないんだけどな。
「どうにか、この儀式を止める方法は……」
無責任で先見性のない言葉が口からふっと湧き出た。
分かっていたとしても、分かりきっていたとしても、どうにかしてやりたい。俺の心はすっかりお人よしになってしまったようだ。
「ごめんなさいね。私が下りれば、次はまた違う誰かが犠牲になる。それだけの話なのよね。だから、私はもう迷わないって決めたから。逃げないって決めたから」
――大丈夫。
それは俺に言っていると言うよりは、心の奥で震えている水藻さん自身に言っているような気がした。
「大丈夫、だから……」
自分に何ができるのか。たしかに彼女の言うことはその通りで、覆ることのない事実で、信じたくない真実なのかもしれない。
「やっぱり、お母さんがいなくなったら瑞珠ちゃんが!」
親を亡くす痛みは知っている。どれだけ辛くて空しいものかを知っている。俺は家族をあの大洪水で失った。だからこそ、目の前でそんなことがまた、繰り返されるなんて許せない。
それはただのエゴなのかもしれない。でもやっぱり残された者の哀しみはあんな少女が背負うには重すぎる。
「やっぱりここから離れま……」
後頭部に鈍い痛みが走ったと思った矢先に俺の意識はなくなった。
本日二度目の卒倒だった。
どうやら、外の雨音で足音に気が付かなかったようだ。朦朧とする意識の中で俺は思う。
――望日は無事だろうか……
父が虜囚となり果てていた一方、少女三人組は……
「お父さんは、一体どこにいるんだろうね、緋乃?」
「緋乃はきっとあの大きな建物の中にいると思う」
「瑞珠ちゃんは?」
そう言って小さな体躯の娘が瑞種の顔を覗き込む。
「瑞珠もそう思います……あそこがこの《ディクサーン》の中枢だから」
――きっと、お母さんもあそこに……
瑞珠は心の中でそう言った。だから何としてもあの場所までたどり着かないといかない、自分の身はどうなってもいい。
瑞珠はそう誓っていた。その両隣にいる望日、緋乃という少女たちと同じく自分の身よりも他人のために動こうとしていた。
「でもさー、瑞珠ちゃんのお母さんもあそこにいるんじゃない?」
「それ、望日知ってるよ。いっせきにちょうちょって言うんだよ!」
「ちょうちょ?」
「望日のいた世界ではちょうちょがいっぱい飛んでたんだよ! たしかにこの世界ではまだ見てないなあ」
そんなことを言いながら、望日と緋乃は《ディクサーン》の中枢へと向かう。
「お父さんがはぐれるのはもうなれっこだしね、瑞珠ちゃんのお母さんもきっと大丈夫だよ、心配しないで」
そう言われた瑞珠は途端に安心した。この心強さはなんだろう。この小さい体に大きなものを背負っているような気がした。目の前の望日という少女は大きな覚悟、大きな誓い、大きな約束をしているように感じられてならなかった。
「んじゃ、ちょっと近道しちゃいますか!」
てくてく歩いていた歩みを止め、あの無機的にそびえ立つ構造物、《ディクサーン》の中枢目がけてひとっ跳びした。
「人力ウォータースライダー、みたいな?」
望日の能力で三人ともつるつると本当のウォータースライダーのように滑って行った。
まさに、流し幼女ともいえる移動方法。
「ふぅーやっと着いたね、長い道のりだった……」
「ほんと望日がいなかったら、緋乃たちずっと歩いてたね」
「ありがとうございます……」
「瑞珠ちゃん、敬語なんてなくていいよ。私たちもう友達でしょ」
「そうそう、おきになさらずーってやつ」
「…………」
瑞珠は見ず知らずの人にここまで優しくなれる二人がとても大きく見えた。実際は小さい少女なんだけど。
「じゃ、じゃあ……望日、緋乃って呼んでもいい?」
「もちろんじゃん! 呼んで呼んで!」
嬉しそうにする望日、ここにきてできた友達二人目だ。
「望日、緋乃、ここからは清流会っていう人たちがたくさんいるところだから、いっぱい気をつけて。いっぱいいっぱい!」
「おーけー。ここからは、こしょこしょばなしでいくよ」
声のボリュームを下げて、緋乃は身をかがめながら言った。
「え! なんて!」
雨の音が大きいので、緋乃の言ったこしょこしょ話では近距離であっても意思の疎通ができなかった。
「んじゃ、お父さんと、お母さんとりかえすさくせん! すたーと!」
望日がそう言って二人の肩を叩く。二人はそれで鼓舞される。本来、望日の手の平はミイラになったせいで冷たいけれど、二人にはそれがすごく温かみのあるものに感じられた。
瑞珠は、この時、この二人と一緒ならきっとお母さんを助けられる。
――そう確信してしまっていた。
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