第14話 「変態、痴漢お父さん! キモいんですけど」
六章 風餐雨臥! 空中鬼と機甲都市とお父さん!
この空にまだ太陽があった時代、つまり、空に喜怒哀楽のあった時代、表現活動では雨が降るということで悲しい世界を表現していたようだ。
涙を流したい時、悲しい出来事があった時には決まって雨が降る。それは、まるで空がその悲しみを肩代わりしているかのようで、雨模様の空はそれだけで悲しみの象徴として機能していた。
そして、不吉な出来事の前には決まって空が曇り空となるらしい。
不穏な空気が蔓延するようになると、空が陰り、辺りは分厚い雲に覆われて明るさを失ってゆく。
それもまた、曇り空がどこか陰鬱な印象を与えるということでそのような表現が使われていたのだろう。
でも今はそのようなことはない。いつもこの黒く重苦しい雲が空を覆い、悲しい時も嬉しい時も雨は降り続く。
俺たちの気持ちに左右されずに、ただ黙々とそれが義務であるかのように空は雨粒を落とす。
それはまるで空が俺たちを攻撃し続けているようで、俺たちに刃向かっているかのようで、実際俺たちが訪れることになった《ディクサーン》では激しい雨が降り注ぎ、人々を苦しめていた……
「俺たちは賢く、そして堅実に進もうと思うので、《ディクサーン》は通り抜けずに迂回ルートを選択しようと思います!」
俺は望日と緋乃に提案する。これは真っ当な意見だと思う。
村長の言っていたことが本当だとするならば、《ディクサーン》というに立ち寄ることは得策ではない。
「問題ありません!」
緋乃は俺の意見に間髪いれずに同調する。
「鬼を見てみたいけど、やられちゃったら困るし……賛成!」
望日もしぶしぶ賛同し、俺たち跡川親子プラス生王緋乃の一団は迂回して《ライレイン》を目指すことにした。
《ガランサス》を出てしばらくは雪が残る風景が広がっていたが、今ではすっかり雪の後もなくなった。空を見上げるといつも通りの厚い雲に覆われ、しとしとと雨が降り続く世界に戻っていた。
道はいくらか分岐していたが、俺は村長にもらった地図を基にしながら着々と迷いなく迂回ルートを進んでいた。
しばらく地図に従って歩みを進める俺たちだったが、しばらくして望日と緋乃が辺りを見回し始めた。
「ん……これは……?」
「煙……?」
二人は徐々に周りの視界が白い煙に包まれていくことに驚嘆する。二人とも、霧というものに出会ったことがないようで、その驚きようは見ていて楽しかった。
「お父さん! 火事だよ、これは!」
「いっさんかたんそちゅーどくで、死んじゃうよ!」
緋乃は口にハンカチを持ってきて、必死に煙を吸わないようにしている。
――まあ、煙じゃなくて霧なんだけど。
「お父さん! ほんとに! 望日たちこのままじゃ……」
不安そうな眼差しを俺に向ける望日、実に子どもらしくて可愛らしいと思う。
そろそろ、これが霧だってことを教えてやるか……そう思った俺だったが、それ以上に衝撃的な出来事が起こった。
「え……嘘だろ……」
霧の発生によって視界不良だったこともあり、俺は気が付かなかった。雲海のように広がっていた霧の中から現れたのは、黒い壁。
「そんな……」
地図上では俺たちの目の前には道が続いているはずだった。なのに、突然行く手を阻むようにして表れたそれは……
「あっ! 水がっ!」
壁から突然に湧出する大量の水。
俺たちは目の前に超巨大なダムを見ていた。
「こんなの地図にはなかったぞ……」
これでもかと言わんばかりに目の前の黒壁はせき止められていた水を吐き出し始める。それは大災害が発生したような、そして、天の怒りを体現した形のようで、望日と緋乃はその様に畏怖し戦いていた。
ゴゴゴゴという大量の水が放たれる轟音は、怪物か何かの咆哮のようで、目の前には白い激流が直線形でまるで巨大な棒のように突き出ていた。
すると、そこに突然声が聞こえた。
「君……ち! こ……で何をし…………る!」
轟音のせいではっきりと聞き取れない。
俺たちは何者かに誰何されていた。
「いや……あの……俺たちは……」
その時である。
「ガチャリ……」
俺たちは両手を手錠で拘束された。お縄頂戴されてしまったわけである。
「え、なんで……」
「不審な人物がこの辺りをうろついているという情報が入っていてな……」
見るといかにもという恰幅の警備兵が俺たちを取り囲んでいた。
「こちら第三関所、不審な人物三名を確保!」
どうやら、誰かと無線で連絡を取り合っているようである。俺たちは為されるがまま、訳も分からずに、このダムが放流している真っ白な水の如く頭の中まで真っ白になっていた。
「え……お父さん……これは……」
「望日、緋乃、ここは黙って従おう……」
こうして俺たちは意図せずに
「俺たちはいったいどうなるんだ……」
「緋乃何もしてないよ!」
「望日だってなにもしてないよ!」
仄暗い牢の中に監禁された俺たちはすっかり気が滅入っていた。このまま何事もなくこの
「俺たちの身の潔白を証明しなくちゃな……」
「お父さんが悪人みたいな顔してるから!」
なんて失礼な娘だ、そう思いながら俺はここから抜け出す方法を考えていた。
「にしても、なぜ俺たちはいきなり拘束されたんだ……」
この《ディクサーン》は治安の悪い街なのだろうか、それとも他になにか理由があるのだろうか。
ここで考えていても埒が明かないことは分かっていたが、どうしても考えてしまう性分の俺は思案する。
「鬼が降るってのが一体何を意味しているのか、そして村長の言っていた瞋怒雨ってのも気になる……」
すると、外からズザザザザという大きなノイズが聞こえた。
「これは……」
「たぶん、雨の音だと思います……」
緋乃はそう呟いたが、その声さえもかき消してしまいそうな激しい雨音だった。この《ディクサーン》ではこんなにも強い雨が日常的に降り続いているのか。
「まだ『水止舞(みずどめのまい)』の巫女は見つからないのか!」
憲兵がそう言って何やら慌ただしい様子で右往左往しているのが見えた。
「みずどめの……まい?」
望日は何やら聞いたことのない単語が聞こえたようで、首を傾げている。
「『水止舞』ってのは雨乞いの逆で、晴れ乞いってやつの一種だな。この雨を鎮めるために水止舞の巫女が天にお願いをする儀式だよ」
「さすがお父さん! 初めてまともなこと言ったんじゃない?」
「お父さんはいつもまともだ!」
そうツッコミを入れている間に、一人の少女がてとてとと俺たちの方へやって来た。偶然にも憲兵が慌てて出て行ったタイミングで。
「お母さんを! 助けて! お母さんが! 《てるてる巫女》になっちゃう!」
少女は俺たちに懇願する。見ず知らずの俺たちにだ。
「いいよ!」
望日がそう易々と少女の願いを引き受ける。
「望日の正義の心が言っている。この少女を助けなさいと!」
どうやら望日は緋乃の一件があって、世界だけではなく困っている少女を助ける喜びの虜になってしまったようである。
「少女一人救えないで、何が世界を救うだ! ってセリフ、一回行ってみたかったんだよね」
完全に自己満足じゃないか。そう心でツッコミを入れる俺。
「緋乃も……望日に賛成!」
気が付けば、緋乃も望日の側についていた。まったくとんだ幼女同盟だよ。
同調圧力だろうか、俺もこの少女を放ってはおけないか、そんな気持ちにさせられた。
とんだお人よしだよ、本当に。
「分かった、君、名前は?」
「お父さん、それじゃあ幼女を誘拐する不審者じゃん」
「望日はどれだけ俺を犯罪者にしたいんだ!」
父娘でおちゃらけているところに、目の前の少女は正直に自分の身元を明かした。
「私は……永湯 瑞珠(ながゆ みず)です。お母さんを……助けて!」
少女は必死に懇願する。自分のことはどうだっていい。お母さんを! とにかく母の身を案じているのが伝わってきた。
「でも、俺たちここから出られないぞ……」
「それは大丈夫」
少女は着ていたキュロットのようなズボンのポケットをまさぐったと思ったら、扉の鍵をあっさりと取り出した。
「これで、お母さんを!」
自分たちのこともままならない人間が今から他人のことを助けようとしているんだからちゃんちゃらおかしい話ではあったが、緋乃の件もあったことで俺と望日の感覚は狂ってしまっていたのかもしれない。
「さあ、お父さんいっちょうがんばっちゃいますかー」
「ますかー!」
緋乃は俺の言ったことを復唱していた。俺はその永湯という少女に連れられるままこの牢獄を抜け出した。いとも簡単に、呆気なく、抜けだした。
ザザザザ……
外は相変わらず滂沱の雨、この《ディクサーン》では土の地面は存在しない。どこもかしこも厚いコンクリートに塗り固められ、銀色の鉄板のようなものが散在し、雨を一切受け付けることなくピカピカと光っている。そのせいもあってどこもかしこも雨粒が鉄にぶつかり弾ける音が騒音のように鳴り響いている。
この《ディクサーン》の雨に対する防護ぶりは、《アマガハラ》に比べたら不気味に思えるほど異様な光景だった。
「まったくどうしてこんな造りになっているんだ」
その俺の疑問は須臾にして解消される。
――ウウウウウウウー!
けたたましいサイレンの音が鳴り響く。その音に驚く俺たちはその場で硬直する。
「マズいです! どこかに隠れて!」
――しまった、追手が!
そう思った俺だったが後ろからは、一向に人が来る気配はない。
「何やってるんですか! 早くこっちに来てください!」
永湯は俺たちを裏路地の方に引っ張るようにして俺の右腕を掴んだ。
「ちょっ、お父さん、狭いっての!」
望日と俺の体が密着する。慌てて俺は望日から離れ壁に持たれかけていた手を放した。そして俺の右手が柔らかい何かに触れる。
「んっ……朱冴さん……大胆……」
甘い声をあげていたのは緋乃である。この柔らかな感触は緋乃の胸の感触だったようだ。
「うわっ……すまん……」
再び慌てて手をどける俺だったが、またも柔らかな感覚が……
「ッ……ッ……」
永湯瑞珠という少女が抵抗もできずに顔を赤らめていた。
その様は必死に雪辱に耐え忍ぶくのいちのようで正直ちょっと興奮した。
しかし、勘違いしないでほしい。俺は決して年端もいかない少女に性的嗜好を持ったというわけではない。狭い場所に押し込められ、身動きの取れない女性がなされるままになってしまう状況に少しばかり、ほんのちょっぴり興奮してしまったってだけのことだ――言い訳になってないか。
「っと……ごめんごめん!」
「お父さん今の一瞬のうちに三回捕まったからね。変態、痴漢お父さん! キモいんですけど」
娘に蔑まれる父、かなしい。
そう肩を落としていたのも束の間、俺たちは目の前の光景に絶句する。
「…………!?」
さっきまでパチパチと威勢よく雨を弾いていた鉄板が雨を弾かずに吸収している。雨の落ちたところは少しへこんでいるようにもみえる。
「これは……いったい……」
「お父さん、これちょっとぬるぬるするんだけど……ってかこの雨、なんだか灰色っぽくない?」
望日がそう言って雨粒を手に取ってその感触を確かめていた。確かに望日の言う通りさっきから降る雨とは全く違う。
「あまり触らない方がいいです。これは空中鬼……」
「……くうちゅうき?」
「空中の鬼、と書いて空中鬼。この《ディクサーン》では鬼が降って来るんです。さっきのサイレンはこの雨を知らせるものです」
村長の言っていたことはどうやら正しかったようだ。にしても鬼の正体がこの奇妙な雨だったなんて……
永湯という少女の話を聞くと、どうやらこの地域では瞋怒雨という過剰に降る雨、そして、この化学物質が含まれた空中鬼呼ばれる雨の二重苦を味わっているらしい。それをなんとか止めるために「水止舞」の儀式が年中行われているようだ。
「お母さんが……《てるてる巫女》に……」
そう永湯が言いかけたところで、俺はまた強く右腕を掴まれ体が大きく傾く。
「うあっ……っ……」
その途端、天空の水の底が割れたような勢いで雨が降り出した。バリバリと油紙を破くような激しい雨音が鳴り響き、その雨はアスファルトの上で怒ったように思い切り弾けている。
「お……と……さ……」
雨音のせいで近くにいるはずの望日の声もはっきりと聞こえない。あれ、どうして俺は右腕を引っ張られているんだっけ……
雨は小さな針を並べたように俺の肌を容赦なく突き刺す。目の前で望日と俺の距離が次第に離れていくのが分かる。それと同時に、俺の耳にまで雨水が流れ込んでいるのかと錯覚するほどに雨音が大きくなってゆく。
雨は空が溶け落ちたかのようにべっとりと俺の体を飲み込んで、俺の体は豪雨ですっかり冷たく寂しくなってしまった……
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