第13話 「お父さん! 望日からもお願い!」

「蛙と戦った時はダメだったけど、今度こそ! 俺の水々しい右手を食らえ!」


――ウォータージェット!


 右手に力を集中させる。地面がゴリゴリと音を立てて削れてゆく。羽毛布団のように柔らかな新雪が水圧によって舞い上がり、桜の花びらのようにゆらゆらと揺れて弾ける。そんなことには頓着せずに、俺はアルコールのにおいに誘引され、盲目的になっている愚かな軟体動物に向けて右手を向ける。


「望日をッ! 返せっ!」


 放たれる水の飛沫、それは通常の水に塩を混ぜた、塩化ナトリウム水溶液。ナメクジの浸透圧を利用し、ナメクジたちの体からどんどん体液が吸い出されてゆく。


――《雪人》に会った時のために清めの塩を持ってきておいて良かったぜ……


 効果は覿面だったようであっという間にナメクジの集合体は収縮し、動かなくなった。


 俺はナメクジの軍勢を掃討し、望日と緋乃を救出することに成功する。


今度は守ったぜ、その誇らしげな感情で俺の頭は満たされていた。




「あなた方二人には本当にお世話になった……」


 村長である生王 紅丹重は深々と頭を下げて言った。


「朱冴さん、望日……本当にありがとう」


 緋乃も村長に続いて俺たちに感謝の気持ちを伝えた。《雪人》を駆除し、《幽暗花》を無事にトキロロ村に持って帰った俺たちはこの村の救世主として厚い歓待を受けた。


《幽暗花》を煎じた薬を投与した村人たちは見る見るうちに恢復し、異常なまでに白かった肌も今ではしっかりと血の通ったものとなっている。閑散としていた村も病に伏せっていた村人が次々と復調することで次第に元の殷賑な村へと姿を変えていった。


「私たちが出来ることは少ないですが……」


 そう言って村の人たちから俺たちは様々な物を受け取った。


「ありがとうございます!」


食料や衣服、旅の必需品を一式分け与えてもらうことが出来た俺たち、その中で小さな巾着袋があった。


「えっと、これは……」


 その中には何かの粉末が入っていた。


「それは緋乃からのプレゼント! 中身は秘密!」


――あの、まあ、言っとくけど……悪い粉じゃないから!


 緋乃は俺と望日に向けて照れくさそうにはにかんだ笑顔を向ける。



「じゃあね! 望日! 朱冴さん!」



ずっと猛威を振っていた吹雪も今ではすっかり収まり、粉雪がちらつく程度の空模様である。


――まあ、曇り空に変わりはないんだけれど。


 この雲の向こうの世界があるなんてやっぱり想像できない。俺は、改めて自分がこの厚い雲に覆われた世界で生きているということを認識した。


「《ライレイン》に向かうには、この《ガランサス》から《ディクサーン》へ行くのが一番早いですが、《ディクサーン》には立ち寄らず、別の道を進むことをお勧めします……」


 村長は何やら険しい顔をしてそう言った。


「《ディクサーン》には一体何が……」


 俺は好奇心からその《ディクサーン》という都市について知りたくなった。まあ、話を聞いて迂回ルートをとるかを決めたっていいだろう。


機甲都市ディクサーン、瞋怒雨(しんどう)という激しい雨が降り続く地域で、噂では鬼が降ってくるらしいのです……」


「お、鬼……」


 最後の一言を聞いて完全に俺は迂回ルートを選ぶことにした。鬼だって? 冗談じゃあないぜ。そんなものこちらから願い下げだ。


「お父さん! 未来には鬼なんていないよ! こっちの世界にはいるんだね! しかも降ってくるなんて! 行こうよ《ディクサーン》!」


 望日は感心し、はしゃいでているようだったが、鬼がいないというのはこっちの世界だって同じ……ハズである。そして、絶対に《ディクサーン》なんて行かないからな。


「まあ、噂ですから、何かの見間違いということもあるでしょう……」


 ですが、無理にそのような噂のある場所に行かなくても良いでしょう。村長が言いたかったのはそういうことだろう。火の無い所に煙は立たぬ、鬼は降って来なくともきっとそれなりの何かが《ディクサーン》にはあるはずだ。


「分かりました、情報提供どうもありがとうございます」


 俺はそうして、この《ガランサス》を後にしようとした。


「それじゃ、どうもありがとうございました」


「ありがとうございました」


 そう言ってお辞儀をする俺と望日、そこに聞こえてきたのは緋乃の声だった。


「待って! 下さい!」


 緋乃は右手に《幽暗花》を抱えながらこちらに走ってくる。


「緋乃!?」


「はぁ……はぁ……」


 全力疾走してきたせいで息切れの緋乃、そんな状態の緋乃だったが必死に俺と望日に向けて一言。


「わ、私も、いっしょ、に……つれて行って、くだ……さい」


 途切れ途切れではあったが、それは俺たちの旅の同行者になりたいという懇願だった。


「でも、親は……」


 お父さんと、お母さんには既に承諾を得ているとのことで、祖父である生王 紅丹重の方を見ると、


「よろしければ、孫娘の願いを聞いてやってください、緋乃は昔から外の世界に憧れていまして……」


「お父さん! 望日からもお願い!」


 望日もすっかり緋乃の味方についたようで、俺は承諾するほかなかった。


「分かった、分かった。緋乃も一緒に太陽を見に行こう!」


 緋乃の表情がパッと明るくなったのを感じた。


緋乃の抱えていた《幽暗花》の花言葉は「移り気」。


俺はまさに、今の緋乃の状況を表すのにぴったりだなと思った……





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