第12話 「お父さん……ごめんなさい」
五章 報仇雪恥! 望日と緋乃と目の前に《雪人》!
「ベルグマンの法則」という法則が存在する。それは、簡単にいえば寒冷地の恒温動物が温暖地域に比べて大型化するというものである。この
今、望日と緋乃の目の前に居るこの《雪人》もこの寒冷地に存在していることから、「ベルグマンの法則」通りに大型化してしまった霊長類なのだろう。村長が言っていたように《雪人》とは、読んで字の如く、雪の中に居る人である。
そう考えられてきた。
だが、それは大きな間違いであるということを知る。
「うげげ……これって……」
望日の目の前で細かく蠕動する生き物、それは白くて小さい雪の妖精の集まり、なんかじゃなくって、もっと醜悪で気味の悪いもの。
――ナメクジだった。
その数は目視出来るだけでも千匹は超えているだろう。こんな数のナメクジが共生しているなんて考えられない光景だが、そのあり得ない光景が眼前にある。
「緋乃! とにかく、急いで逃げ……」
そう声を掛けようとした望日だったが、隣の緋乃は卒倒していた。緋乃は望日と出会った際に氷漬けになっていたように、身動き一つとらずにすっかり固まっていた。どうやらこの大量のナメクジを見て、気が動転してしまったようだ。
「緋乃を置いていくわけにもいかないし……」
望日は咄嗟の判断で右手を前にして雪を大噴射し、それを無数のナメクジたちに思いっきり浴びせた。
「これは、ダメか……」
雪も所詮は水が状態変化したもの、ナメクジたちには全く効果がないようだった。望日のいた未来の世界は水不足で、当然ナメクジという生物はいなかった。だからこの生物はどのような生き物かは全く分からない。得体の知れない生物を目の前にして困惑する望日、こうしている間にもどんどん望日とナメクジの距離は詰められてゆく。
「いいか望日、ピンチは決してチャンスなんかじゃない。だから、どうやって掴むかなんかじゃなくっ
て、どうやって乗り切るか考えるんだ」
望日はかつての父の言葉を思い出し、その言葉を胸の中で反芻する。
「どうやって乗り切るか……」
望日は緋乃の前に立ち、周りの雪を巻き上げて、雪のカーテンを作り出すようにして防護壁を築いた。それはさながら間欠泉ならぬ、間欠雪のようで地中から雪が際限なく湧出している様はなんとも幻想的な光景だった。
「これでしばらくは……」
それは、ただのその場しのぎ、窮余の一策にすぎなかったが、望日は全力でこの場を乗り切るように考えて動いていた。壁を作り自分たちの身を守りながら、反撃の一手を模索する望日。近くの雪をせっせと一ヶ所に集め、そうして大きな雪玉を作り出している。
「これを奴らに当てることさえ出来れば……」
――確実にこの場を乗り切ることが出来る!
しばらくの間は防戦一方だった望日だったが、自分の体の何倍もありそうな雪玉を作り上げたと思ったら、それをそのまま奴らの方へ向けて迷いなく投げつけた。その雪玉は、見事ナメクジの集合体のど真ん中に直撃し、そのままナメクジたちは雪玉に呑まれ、雪玉の一部分を担う形で吸収された。
「よしっ!」
思わずガッツポーズをとり、欣喜雀躍する望日。目の前の脅威を取り除くことに成功したのだから当然のことである。誰だってこの危機的状況を乗り切った後は望日のように勝利の喜びに震え、ある種の解放感を手にすることだろう。その行為は何ら問題無い――むしろ当たり前と言っていいのかもしれない。
しかし、望日は先の教訓から何も学んでいない。こうやって油断した時が最も危険なのだということを。
「緋乃! さあ帰ろう!」
望日の服から仄かに香るアルコールのにおいに吸い寄せられ、望日の背後からまたナメクジの団体様がやって来ていた。勝利の喜びに酔いしれていた望日は、そのことに気付くことが出来なかった。
それは一瞬の出来事。
「…………ッ!」
望日は緋乃もろともそのナメクジの集団にすっぽりと覆われてしまい、完全に動けなくなってしまった。その絶望的状況に置かれた時、望日の頭に浮かんだのは父の顔であった。
「お父さん……ごめんなさい」
望日は心の中で父である跡川朱冴に謝っていた。勝手な行動をとった報いが来たんだと感じた。父に断りなく村を抜け出した罰があったのかもしれない、そんなことが頭をよぎる。
「でもきっとお父さんは望日が緋乃と一緒に行くって言ったら、反対してたでしょ……」
いつもは強気な望日だったが、全身ナメクジの粘液まみれになってしまったこともあり、すっかり気が結ぼれてしまっていた。
「ピンチは決してチャンスなんかじゃない。だから、どうやって掴むかなんかじゃなくって、どうやって乗り切るか考えるんだ」
未来の父の言葉を再び思い出す望日――そう言えばこの言葉には続きがあったんだっけ……
「そうして考えて、それでもダメだったら心で三回唱えるんだ。助けてお父さん! ってな」
――助けてお父さん!
――助けてお父さん!
――助けてお父さん!
「そうすりゃきっと、俺が望日のことを助けてやる! 絶対にだ!」
藁にもすがる思いで望日は朱冴の言葉に従った。
「お願い……お父さん!」
もちろん、それは都合のいいことだって言うのは知っている。自分が助けて欲しい時だけそうやって救いを求めるなんて、厚かましくって、惨めで、さもしいことは分かっていた。それでも、もう望日はどうして良いか分からなくなってしまっていた。
「……離せッ!」
すると、どうだろう。どこか近いところで声が聞こえた。それも聞き覚えのある声だ。
「離せよッ!」
これは幻聴なんかじゃない、はっきりとこのナメクジの壁の向こうから聞こえる。
――ほら……また聞こえる……
「望日を……離せッ! 望日をッ!」
その力強い声は、紛れもなく父である、跡川朱冴の声だった。
「知らなければ良かったのに……」
――これ以上隠していても仕方がない。貴方様にはトキロロ村の抱えている問題を全てお伝えしましょう。
村長は俺に村が《白皙病》という謎の病に苦しめられていること、それを治すためには《幽暗花》が必要だということを教えてくれた。この事実を俺たちに伝えなかったのは、決して俺たちを騙そうとしていたわけではなく、関係のない者に気を遣わせるようなことはしたくなかったという村長の意思で、俺は結果的にその村長の優しい嘘を暴く行動をしてしまった。
「きっと緋乃と娘さんは《幽暗花》を探すために……」
「その《幽暗花》ってのはどこに!」
「それは……」
村長に《幽暗花》のある場所を聞いてすぐさま望日の元へと走り出す。一応言っておくが、俺は村を救おうという気持ちが先に立っていたわけではない――俺は公私を截然と区別できるような人間ではないのだ。確かにこの村に恩を感じていたところもあったが、それ以上に望日を助けに行かなければいけない、そう直感していた。
「無事でいてくれ……」
そう強く願う俺だったが、そう願えば願うほど、望日の身が危険にさらされているのではないかという不安に襲われた。だから、いち早く望日の顔を見て安心したかった。俺はどんなに足が悲鳴を上げようとも、足を止めることなく猛吹雪の中を疾走し続けた。
――これを親バカって言うのかな? ちょっと違うか。
そんなことを考えながら俺は真っ白な雪原を駆ける。純粋無垢の赤子のような、そしてまっさらな白紙のような雪原に俺の足跡を刻印する。寒さですっかり足先の感覚は失われ、耳や鼻が赤く腫れ上がっている。鼻水も止まらない、吐く息がより白く、湯気のように立ち上る。
そうして走り続ける中で、進行方向で雪が重力に逆らう形で舞い上がっているのが見えた。
――きっと望日はあそこにいる!
雪を踏みしめる音が軽快なリズムを刻み、頬を叩きつけるように吹く風の痛みも忘れて俺は一目散に望日のいる方へと向かった。
「望日ッ!」
俺は必死になって愛しい娘の名を呼んだ。
本当はどうして俺はこうもまた望日を危険な目に遭わせてしまうんだろうと後悔したり、完全に親としての監督が不行き届きだったと肩を落としたりしているところだったが、そんなことを言っている場合でない!
――今回は自分の手で望日を救ってみせる!
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