第3話 お父さん! 世界一美しいミイラって知ってる?

一章 黒風白雨! 月夜の蟾蜍(せんじょ)とお父さん 


「お父さん! 世界一美しいミイラって知ってる?」

 望日は屈託のない笑顔を俺に向けて言った。その時に現れた両頬のえくぼが、幼女の持ち味であるあどけなさをより一層印象付けている。

「ああ、それなら知ってるぞ。たしかイタリアかそこらで見つかったミイラで、名前は……」

「ぶっぶー! ちがいまーす! 正解は跡川望日ちゃんでしたー」

 望日は口をへの字にしながらぶつくさと続けた。

「まあ、今まではたしかにぃ、イタリアで見つかったミイラのロザリアちゃんだったんだけど……眼球も脳味噌も内臓も残ったまま、そして腐敗しないまま残ったロザリアちゃんだったんだけど……彼女には決定的に足りないものがあった! それは……」

「それは?」

 疑問符を投げかける俺に対して望日は自分の頬を指さして言った。

「このもっちもちな肌!」


 俺は望日と一緒に支度をして長年住み慣れた家を後にした。親はいない。兄妹もいない。

――正確にはいなくなった。

というのも、みんな七年前の大雨で流されてしまったから。家族も……思い出も……何もかも全て、大雨で生じた絶望色の濁流がきれいさっぱり洗い流してしまった。行き場を失った俺は、亡き祖父が住んでいた家を借り、一人で暮らしていた。だからこの家を後にすることに抵抗はない。

友達と呼べる友達もいなかったし、俺みたいな人間が一人くらい消えたって……

「お父さん! 望日の話、聞いてるの!」

 悲観的になりかけていた俺だったが、望日の甲高い声ではっと我を取り戻した。眼前にはふくれっ面の望日が仁王立ちしている。

「だーかーらー! 今から《ライレイン》に行くって言ってんじゃん!」

 《ライレイン》、それは跡川一家がかつて居を構えていた場所、七年前に絶望色の濁流が襲った場所、俺の一番好きだった場所で、一番嫌いな場所。

「《ライレイン》に行けば太陽が見れるっていうのか……」

 俺は太陽が見たいと言った。だけど、かつての惨劇があったあの場所へは行く勇気がなかった。行ってしまったら全てと向き合わないといけないから、行ってしまったらもう今までの生活が崩壊してしまうような気がしたから。

「行くか、行かないかじゃない……行くんだよ。そこに太陽がある限り……なーんてね」

 望日は俺を茶化すように、そして試すかのように言った。

「俺は……」

 目を閉じて深く息を吸った。急にそんなこと言われたって、やっぱり心の準備ってのが……

「苦労の一つもなしに幸福を手に入れられると思うな! 何もせずに手に入れた幸福なんてただのおやつだ! 甘ったるくて仕方ない!」

 突然、望日が俺に向かって言ってのけた。

「へっへっへ……お父さん格言その一! 望日は一個ずつメモってるんだよ!」

 望日はどうやら未来の俺が言ったことを逐一記録しているらしかった。それは俺の言った言葉であるが、俺の言葉ではない。未来の俺はずいぶんと強気なことを言うもんだなあと素直に感心する。

「そうだな……行くか……目指せ! 《ライレイン》だ!」

 その言葉に元気をもらった俺は、望日と一緒に《ライレイン》に向かう決心をした。

どうせもうあの場所には何もない。過去の因縁だとか絶望と呼ばれるものは、きっともう風化して塵芥に帰しているだろう。

 さっきの未来の自分の格言を聞いてもなお、俺はそんな甘い考えを持っていた。

苦労の一つもなしに、幸福を手に入れられると思っていた。

――だけど……それは……


 この世界に梅雨という概念は存在しなくなった。なぜなら、今は年中雨が降り続けるようになったからだ。本日六月十二日、世間では恋人の日だとか言われている日ももちろん、ただの初夏の一日に過ぎない。

潸潸(さんさん)と空から止めどなく、涙のごとく降り注ぐ雨。

俺たち「ヒミナシ」はこの曇天の下に生まれ、一生を過ごすものとばかり思っていた。

でも、望日が俺に希望を与えてくれた。

――太陽ってのを……見せてくれるっていうんだから。

「うおっ! すごいっ!」

 これから旅の幕開けかと思われた諸君、期待を裏切って申し訳ない。

俺は支度をした後、家の前で児戯に等しい遊びを堪能していた。

つまるところ、自身の能力の覚醒に酔いしれていた。

「雨も水だから操れるんだな! 面白い!」

 さっき望日が俺を溺死させようと画策したことにより、俺も望日のように水を手足のごとく使役することが可能となっていた。近くの水を弾にして水鉄砲のようなこともできるし、力の加減を変えることでホースのように水が噴出することだってできる。

――誰だってこんな状況になったら楽しんじゃうだろう?

――やっぱり、人体ってすごい! 

 こんなあっさりと受け入れてしまっても良いのかって思うかもしれないけれど、出来ちゃうんだからしょうがない。

「ほんと……お父さんは子どもなんだから……」

――ってか、お父さんなのに、子どもって……ぷっ、おもしろっ……

 娘にそう言われていることには全く気にも留めず、俺は自分の能力を行使し、試行錯誤を繰り返していた。

 もちろん、こうしているのには理由がある。

 自分の能力についてあらかじめ知っておくという理由はあった。だがしかし、それ以上に、《ライレイン》は七年前の大災害以降、危険地区に指定され、誰も立ち入ることのできない場所となっているのだ。そのことを考慮し、空が暗くなり始める時間を待っての出発に決めた。誰かにバレてしまっては、俺たちの旅は即終了してしまうからな!

「一応、昼とか夜ってのはこの時代にもあるんだね」

――この時代はそんなものないのかって思ってた。

 望日はそう言って俺の近くに寄り添ってきた。肩と肩が触れ合って、望日の体の冷たさが伝わってきた。この冷たさが望日がただの人じゃないってことをより強く感じさせる。はっきりいってミイラかどうか聞かれると怪しいところではあるのだけれど、どこか無機的で哀切を覚えてしまう。

どうして、望日みたいな小さな子が使者として選ばれたんだろう。そんなことを考えながらしばらくの間、静寂な空間に優しく響き渡る雨音に耳を澄ませていた。

「お父さん。雨の音を聞いてると、落ち着くね」

「もうとっくの昔に雨音なんて聞き飽きたと思ってたんだけどな。改めて聞いてみるとなんだか癒されるもんだな」

 こうして父と娘は幸せな時間を過ごしました。めでたしめでたし……


っていけばよかったんだけどな!

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