第4話 やるじゃんお父さん! ロマンチストだねお父さん!
「はあっ……はっ……っ……」
俺はといえば、一心不乱にママチャリのペダルを回していた。しかも、後ろにヘルメットを被った望日を乗せた状態で。
「お父さん……《ライレイン》までの近道とかって……」
「ない! 望日、そんなこと言ってちゃ駄目だぞ! ここで俺からも名言だ。長い道のりを乗り越えてこそ、人は成長する! 人生、寄り道するくらいがちょうどいいんだよ!」
危険地区に行くための公共交通機関なんてもちろん存在しない。頼れるのは自分のみ、《ライレイン》には自力で向かうほかなかった。
「うーん。まだ十五歳の成長しきっていない人間に人生だとか言われても説得力無いなあ……ってか寄り道してるの? そんなことしないで欲しいんだけど……」
望日はずけずけと身も蓋もないことを言う。どうやら俺の言葉は彼女の琴線に触れることはなかったようだ。
「寄り道って言ってもな、望日にこれを見せたくってここにきたんだよ。これを見ることが出来たら幸せになるって言われてるんだぜ!」
自転車を止めて、望日と一緒に空を見上げた。それはただの虚栄心、雨ばっかりの空だってやればできるんだってのを見せてやりたかっただけなのかもしれない。
「うわー! 何これ! すごいじゃん! やるじゃんお父さん! ロマンチストだねお父さん! うわー!」
ルナレインボー、別名、白虹。満月に近い日、そして小雨が降る時に現れる自然現象。空にアーチ状に白い橋が架かる。目を凝らして見ないと見えないようなものだけど、それだけでも俺たちにとっては数少ない空の表情なんだ。
「はああっ……」
望日は目をキラキラさせ、思わずため息をついている。
もちろん、これを見せるためだけに遠回りしてこちらの道を選ぶほど、俺はリリシズムにあふれた人間ではない。この道ならまず人には見つかるまい、そう判断してのことだった。
俺の予想は的中し、人には見つからなかった。
――そう、人には……
「望日! 月と言えば、月中蟾蜍なんて言葉があってな、月にはヒキガエルがいるって言う言い伝えがあるんだ。そのヒキガエルってのがまた、不死の薬を盗んだ姮娥(こうが)っていう女性だって言うんだからびっくりだ。残念ながら雲があって月は見えないんだけど……」
俺は得意の蘊蓄を望日に披露したところで、望日はすっかり白けた様子で、
「お父さん。こんなロマンティックで幻想的な雰囲気なのにヒキガエルの話をし始めるなんてさすがにデリカシーに欠けると思うんだけど……」
――月と言えばうさぎでしょ! うさぎがぴょんぴょん跳ねてるんでしょ! ってか薬を盗んでカエルになるって……それって結局何やってんだって話だよね? かぐや姫の方がよっぽど良く出来たお話だと思うんだけど。
「っと、ごめんごめん……そうだな。ここじゃうさぎよりもカエルの方が良く見るから……」
やれやれと言いながら、自転車にまたがる望日。俺はまた、望日を乗せてペダルを回す。
「まあ、あとはこの森を抜ければ、目的地に到着だ。って言ってもあと数時間は自転車で移動しなきゃいけないけど……」
まあ、道は一本しかないから迷うこともないさ。
そう楽観的に考えていた。案外この旅も呆気なく、簡単に終わってしまうものだなあ、なんて感慨にふけっていた。その時……
「ボボボボボボ!」
けたたましい轟音が森中に響き渡り、俺はブレーキを反射的に強く握りしめた。
「ボボボボボボ!」
依然として鳴りやまぬ鳴動、この猛々しい地響き。
俺はこの声の主がすぐに分かった。でも、こんなにも大きな声は今まで聞いたことがない。
「望日、もしかしたら月から使者がやってきちゃったかもしれない……」
直感的にこの道を進むのは不味いと判断し、急いできた道を引き返そうとした。
「お父さん! まさか、うさぎがぴょんぴょん飛び跳ねてやってきたってこと?」
――って……え……きもっ。
ぴょんぴょん飛んでやってきたのは、うさぎなんかじゃなっくって、
かわいいかわいい、うさぎなんかじゃなくって、
――醜悪で不気味、巨大なヒキガエルだった。
「ボボボボボボ!」
さっきからこの空気をジリジリと振動させていた声は、メイディングコールと呼ばれるもので、オスがメスに自分の存在を知らせるための鳴き声だ。今度はそれが自分たちの後ろから聞こえてくるのがはっきりと分かった。
「ずいぶんと大きいな……」
体長は俺の身長を優に凌駕しており、全身には爆弾を抱えたようないぼ状の突起物が連なっている。代赭色の表皮はその皮膚の堅牢さを一層際立たせており、厳然とした態度で、ただそこに屹立している。《ライレイン》には突然変異の動植物が存在するとは聞いていたが、この大きなヒキガエルもその突然変異が生んだものなのだろうか。
奴はじっとりと黒く濁ったその大きな瞳で、俺たち二人をしっかりと捉えていた。その冷酷で無機的な眼差しに見つめられ、俺たち二人は蛇に睨まれたカエルのように、動けなくなっている。
――まあ、睨んでいるのはカエルなんだが。
「動くなよ、望日! カエルは動いているものに敏感なんだ!」
「っていっても……気持ち悪いものは気持ち悪い……」
そうやって少しずつ後ずさりする望日。その動きを奴は見逃さなかった。
「あっ……」
粘着性の高い舌が電光石火の如く、望日の方めがけて一直線に伸びたと思った。
咄嗟に望日の方を見遣るが、そこに愛娘の姿はない。
あの醜悪なカエルは、望日の三十キロはあるだろう体をいとも容易く牽引し、呑み込んでしまったのだ!
奴は、何事もなかったかのように飄々としている。
望日を嚥下したにも関わらず、先ほどと何ら変わりなく、喉元の辺りをヒクヒクと動かし、ケロリとしている。
俺は底知れぬ恐怖を感じた。激しい動機、竦む足。
「……急いで望日を助けないと!」
驚いている暇はない。怖がっている暇はない。
一分でも、一秒でも早く! 望日を!
脳内で望日の救出の方法の模索に努めた。俺は、ここで激情に身を任せ、無鉄砲に猛進するような性質ではない。あくまで冷静に、状況分析を行う。
可愛い娘がカエルなんかに食べられてたまるか! そんな最期、お父さんが許さない!
「これなら……どうだ!」
まずは自分から目をそらせる必要があると感じた俺は、望日にもらった能力を行使して、雨の塊を作り出し、それを囮とした。
発情期のカエルはメスのカエルに後ろから抱きつく、抱接という生殖行為を行う。その習性を逆手に取り、水の塊に向かって抱擁させるように仕向けた。
「頼む! 俺の用意したお嫁さんで我慢してくれ!」
俺の祈りはどうやら、雲を突き抜け天に届いた。
作戦は奏功し、カエルはまんまと俺の作った偶像の虜となる。
奴がその巨躯を低く跳躍させるたび、地は揺れる。奴の目線を逸らすことに成功した俺は、すぐさま奴の土手っ腹の切開するための行動に移る。
「よし! これでっ!」
俺の右手は超高圧水発生ポンプとしての役割を果たすこととなった。
ウォータージェットというものがこの世には存在する。それは、簡単に言えば、高速・高密度な超高圧水である。その威力は凄絶なもので、超高圧水発生ポンプで加圧されたものは音速の三倍を超え、コンクリートさえ切断する。
「俺の水々しい右手を食らえ!」
――ウォータージェット!
右手に力を集中させる。地面がゴリゴリと音を立てて削れてゆく。飛散する泥土が大量に俺の体に付着する。そんなことには頓着せずに、俺は幻覚を見ているかのように欣喜雀躍している憎き両生類に向けて右手を向ける。
「望日を! 返せっ!」
放たれる水の飛沫、それは歪曲することなく真一文字に突き進み、奴のあの不遜な面構えに喝を入れるかのごとく注がれた。
本来の雨の色と混じって、紅蓮の飛沫が辺りに撒き散らされる。俺の攻撃はクリーンヒットした。
――はずだった。
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