第2話 ご名答、私は水を操る精霊、ウンディーネの末裔なんだよ
この仄暗く閉ざされた世界で、この止まない雨が降り続ける世界で、少女は言った。
――太陽と。
その言葉が俺の胸の奥に深く突き刺さるのがわかった。だから俺は二つ返事で言った。
「その提案、乗った!」
まあ、二つ返事なんてしてしまったものの、跡川望日に対する猜疑心が完全に払拭されたというわけではない。
あくまでこの無機質な世界に諧謔性を求めようとしただけだ。
この外連味のない世界で放恣な逸楽にかまけてみるのも悪くないかなって思っただけだ。
まあ、とどのつまり……
――面白そうだな!
って、感じただけだ。心がそう言ってるんだから仕方ない。
「じゃあ、決まり! 望日と一緒に世界を救ってね!」
「え? 今なんて?」
俺は咄嗟に望日の言ったことを確認した。
「やだなあ、お父さん。望日の言った言葉が聞こえなかったの? 耳が悪いと意中の女の子からの告白も聞き逃しちょうよ!」
「いや、聞こえなかったわけじゃないんだ、望日。いやその、太陽を見に行くんじゃなくって世界がなんだかの話に……」
「救うんだよ! 世界をね!」
跡川望日は道破する。俺にはこれが本気か本気じゃないかは何となくわかった。これは冗談で言っているのではない、本気だ。
「そう! 望日は本気で言っているのだよ、朱冴君。私はそのためにわざわざ未来からやってきたのだから!」
ここで俺は望日からこの地球の未来について教えてもらった。それは、太陽の日差しがジリジリと突き刺す世界で地球が水不足に陥って人口が激減した未来。その未来を塗り替えるために彼女はやってきたという。
「そんな話……信じられるかよ……」
さすがに話が荒唐無稽すぎる。こんなに雨が降り続ける世界が水不足? そんな馬鹿な。そんな世界、全く想像できない。
「まあ、このままじゃ悪いけど、そうなっちゃうんだよねー。可愛い娘の頼みだと思ってさ、救っちゃってよ、世界」
俺はゆっくりと深呼吸する。俺は基本的には物事は熟考し、悩みに悩んで答えを出すタイプだ。だから、こんな重要な分岐点で立ち止まらないわけにはいかない。今回も自分が納得いくまで考え、結論を導き出さないといけない。
そう、しっかりと熟慮し、決意することが肝要だ。
――だけど、気が付いたら、思いとは裏腹な言葉が口から飛びだしていた。
「望日、行こう。太陽を見つけに」
俺は、やっぱり跡川望日という人間を全面的に信用したわけではない。だけど、この娘は赤の他人じゃない気がする――もちろん、気がするだけかもしれないけれど。俺はそんなわけのわからない感覚を信じて進むような人間じゃなかったはずなんだがな。でも、太陽を見るついでに世界を救う、いいじゃないかそれで。そんな風に考えてしまっている俺は、どうやら正常な感覚ってやつを失ってしまったのかもしれない。娘の頼みだし、聞いてやってもいいかなって、思っちゃってる、父性全開フルブーストだ。でもこのつまらない生活よりは幾分ましだろう。そうだ、決めろ、跡川朱冴。俺はやってやる、世界を救ってみせるんだ!
「じゃあ決定! とりあえず、お父さんは外に出て!」
そう言って望日は全身の白い布もとい包帯をするすると外しながら、蔵の外へと歩みを進めた。それに従い俺も外に出る。
空は相も変わらず、しとしと、じめじめ湿っぽい雨空だった。
「うわっ! 雨ってこんな風に降るんだ! 初めて見た!」
望日は本当に雨を見るのは初めてのようで、無邪気にはしゃいでいた。俺はその様子をただただ暖かく見守っていた。
だが、それもほんのちょっとの間で、望日は仕切り直しと言わんばかりに、真剣なまなざしをこちらに向けて静かに言った。
「じゃあ、始めるよ。ちょっと我慢してね」
そう言って望日は包帯をだらしなく身にまとったまま、俺に向かって右手を突き出した。いやはや包帯の下はどうやら何も着ていないようで、包帯の隙間からのぞく瑞々しい肌の色が俺の視覚を刺激する。俺の目はその肌色を自然に追ってしまう。包帯が雨に濡れ、肌に吸いつくようにへばりついている。そんな様子もまた蠱惑的で、なんともいえない奥ゆかしさがある。だが、言っておくが俺は年端もいかない少女に性的嗜好を持つような人間ではない。反射的に、本能的にそうなってしまっただけのことだ――言い訳になってないか。
でも、ミイラを名乗る娘がこんな艶やかな肌をしてるなんていささかミイラの名折れではないか。ミイラといえばもっとこう、からからで水に飢えているような風貌ではないのか。そんなことを考えながら俺は望日に溺れていた。溺れると言っても、決して彼女に心を奪われたって意味じゃない。
――文字通り、俺は溺れていた。
「うぼっ! おぼっ!」
俺は突然、頭部を大きいシャボン玉のようなもので覆われてしまった。でもこれはシャボン玉よりもたちが悪いもので、玉の中はすっかり水で充満しており、俺はその中でもがき苦しむことしかできなかった。
――まずい、もう息が持たない……
そこで俺の意識は途切れた。
「んっ! っく! はぁ……はぁ……」
何やら唇のあたりがむず痒い――なんだこれは。そして、何やら唇のあたりが生温かい――なんだこれは。傍で、それもとても近い距離で少女の吐息が漏れる音が聞こえている。俺はおそるおそる目をあけると、そこには見知らぬ少女の顔があった。それもとても近い距離に。
――俺は少女にキスされていた!
「うあっはあ!」
ぎょっとして俺は飛び起きた。いったい誰がこんな事を! 憤慨と愉悦の入り混じった感情を胸に、俺は立ちあがった。
「やっと目を覚ました! お父さん、死んじゃったかと思ったよ」
俺はこの言葉とこの声で目の前の少女が、跡川望日であるということを確信した。もうすでに包帯は全て外し、衣服を身に着けていた。髪は小学生がするように頭の左右の高い位置でくくっている――いわゆるツインテールってやつだ。着ているシャツはなぜか見覚えのあるシャツで、どこか郷愁の念を抱くデザインだった。傍から見れば普通の少女にしか見えない。
「望日! お父さんを殺そうとするなんて、なんて親不幸な娘なんだ!」
ファーストキッスが自分の娘とだったってことはさておき、この殺人未遂ともいえる行為については俺の納得する理由があってしかるべきだろう。いったいどんな理由があったら親を溺死させようと画策するものなのか。
「何も言わずにお父さんをこんな目にあわせてしまってごめんなさい。でも、これにはもちろん理由があるんだよ」
「そうか、お父さんは怒らないから言ってみなさい」
完全に失態を犯してしまった娘とそれを咎める父の構図である。でも、俺は一五歳、娘は十歳そこらで、他から見れば、ままごとをしているようにしか映らないだろう。
「それは……能力を覚醒させるため!」
「ふざけてないで、真面目に言いなさい!」
「真面目だもん!」
「嘘だ!」
「嘘じゃないもん!」
「じゃあ、ほら!」
「……!?」
望日は目の前のコップの水をまるで重力を奪ったかのようにふわふわと宙に浮かべていた。俺はその水塊が、先ほど溺死させられそうになったあのシャボン玉と同じだということを直感した。
「望日……まさか……」
「ご名答、私は水を操る精霊、ウンディーネの末裔なんだよ」
「!? そうなると、俺はウンディーネと結ばれるってことに……」
「もちろん冗談だけど」
「くっ……」
望日の冗談に付き合っている暇はない。俺は単純にこの摩訶不思議な能力について知りたいと思った。
「いったいこの力は……」
「お父さんもできるはずだよ。私が出来るんだから! 逆血筋ってやつ! いやはや昔からの定番、お決まりのパターンだよね、血筋って。血は争えないか、だとか、まさかお前、あの伝説の某の息子か! みたいなやつ。やっぱり主人公は優秀な血統でないといけないんだよ。そうじゃないと人外で埒外な力は使いこなせないからね」
「でも、今までそんなことなかったぞ……」
俺にはそんな異能を使った心当たりがない。本当に俺はそんな芸当ができるのだろうか。
「だから言ったじゃん! 能力を覚醒させるって。肺に水をいっぱいにさせることで初めて使えるようになるの! だからお父さんには溺れてもらったってこと! ところで……望日ちゃんのキスの味はどうだった? ちょっとお父さんには刺激的すぎたかな?」
十歳そこらの少女とは思えない色気を醸しながら望日は言った。俺は赤面してしまいそうなのを抑え、平静を装った。だけど、異能力の覚醒による高揚感の方はどうしても御しがたいものだった。
「まあ、お父さんにチューしたことだし、これにてチュートリアルは終わりってことで。早速出かけよう!」
跡川朱冴と望日、これから二人の親子で太陽を見に行く旅が始まろうとしている。
毎日雨が降り続くこの陰鬱な世界で出会った少女、跡川望日。
この少女が未来からやってきた俺の娘だなんて信じられないけれど、それでも俺はやっぱりこんなつまらない世界で望日と出会えたことを幸運に思う。この世界に現れた跡川望日という娘が俺にとっての太陽だ、なんてクサい台詞は言いたくないけれど、俺の灰色だった心に一筋の光がさしたことは事実だ。俺はこれから望日と一緒にこの《アマガハラ》で太陽を見るんだ!
「そういえば、望日。出かけるってどこに?」
そう質問した俺に向けて、望日は自分のシャツをつまんで見せた。
「このシャツの持ち主の場所に……ね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます