断章
リヒト・サーフィールドは進路に迷っていた。三年ほど前の話である。もともと身体能力が高いのはわかっていたので、警察学校にでも行こうかなと考えたこともあった。負けん気根性で持久力はあったのだ。中学の友人に聞かれたときは、
「普通に高校かな?」
「意外だね」
よくそう言われていた。心外だが、周りは自分がゲルマン国鉄(ブンデスバーン)に進むと思っていたのだろう。父親が鉄道の仕事をしているからである。
リヒトの父親は、この国の人間ではない。若き日の父は世界一と呼ばれていたゲルマン国鉄の技術を学びに来て、リヒトの母親に出会ったのだ。母親は生まれ故郷のハンブルクにいるが、父親はこの国にすらいない。彼の仕事は技術者でも運転手でも建築家でもない。しかし、鉄道には絶対に必要な仕事だと聞いている。海外渡航禁止が欧州全体にある現在、彼に会う方法は殆ど無い。そして、会う気もない。家庭を顧みず、ひたすら海の向こうで働いている存在に慕情はなかった。それは、当時も今も全く一緒である。何より、リヒト自身が名乗っているサーフィールドは母親の旧姓だ。
そろそろ進路を決めなければならない。そんな冬の日。
友人が講演会に行かないかと誘ってきた。
「講演会?」
「どうやら、ブリタニアの戦争の英雄らしい」
軍人かあ、と断ろうとすると「軍人じゃないよ」と先に断られる。政治家だろうか? どうせ暇なので、ついて行ってみることにした。リヒトの中の英雄像は映画や小説の中の存在であり、実際に見ることができるとは思っていなかったのだ。もしかすると、進路を決めるヒントになるかもしれない。
『ヘルマン・アイヴァット氏講演会』
ハンブルク中央駅に隣接したホールでは、ゲルマン国鉄の職員がチケットのモギリをやっていた。客の三分の一は国鉄職員だ。鉄道関係者なのか、技術者なのか。友人は予めもらってあったというチケットをリヒトの分も渡していた。
「誰?」
小声で問う。もしかして、自分はいま非常に場違いな存在ではないだろうか、と思っていた。
「新月の夜(メテーオ・ナハト)作戦は知っているでしょ?」
「え?あ、ああ」
この国とオルレアン共和国、ブリタニアが組んで東国との戦争を終わらせた調停作戦。詳細はまだまだ明かされておらず、作戦従事者も雲隠れしていると聞く。
「そのときの参謀」
会場の照明が落ち、ステージが明るくなる。割れんばかりの拍手に包まれ、世界の英雄が姿をあらわした。彼は禿頭に鋭い眼光。お世辞にも作戦参謀とは思えない。そして普通のスーツを来ていたため軍人ではないと印象づけられる。
「諸君、お招きいただき光栄である」
ぴりぴりとした高圧的な喋り方だった。ねぶるように客席を見回す。一瞬、目があった、ような気がして背筋が縮み上がる。
「ヘルマン・アイヴァット。ブリタニア鉄道院の刻示士(クロノライナー)。この国のことばでいえば、ディアグラム・シュライバーになるのかね。私はダイヤグラムを引き運行を仕切る仕事をしている。どうやら、鉄道関係者以外の方も結構お越しいただいているようで。堅苦しいのは好きではないし、私よりも堅苦しいお国柄と聞くからな」
ディアグラム・シュライバー。
いや、厳密に言えば違うのだろうが、前に父親から聞いたことがあった。ブリタニア鉄道院という部署もあわせて、である。まさかな、とリヒトは憂いを捨てていた。それにニヤリ、と笑う姿に、つい見入ってしまったのだ。ここから完全にヘルマン・アイヴァットのペースになる。
彼は、四年前。ただの刻示士であった。ブリタニア国鉄の戦時中疎開ダイヤと、軍の貨物列車のダイヤを引いていたのである。
「軍の連中は旅客列車を止めろと口やかましかった。物資輸送には鉄道はうってつけだし、利用者にも制限がかかっていた。それでも私は旅客列車のダイヤを引いていた。一時期はそれが生きがいだと言わんばかりにな」
ロンドンを毎日毎日、ヘルマン自身が子供の頃から十時に発車する列車がある。その列車を時計代わりにするひとも大勢いたし、荷物車で新聞や荷物も運んでいることから南北をつなぐ大切な列車だった。
さらに、その列車と停車駅で接続する列車も多数あり、かの国の人々にとってあまりに当たり前の存在だった。それがなくなるということは、本当の非常時であると告げるのと同義だ。ブリタニアの人々は強がりで、どんなに厳しいときでも余裕をみせてやりこなす。その列車もまさにブリタニア人であった。
「お陰で、空爆を受けても走っていたという馬鹿な話が出回っている。半ば本当のことで―」
ヘルマンの話で、リヒトは気がついた。彼はずっとロンドンに居たのに、西へ東へいろいろなところの人と繋がっていたし、自分も機関車の運転席に座っているかのように話をする。ヘルマンも、列車を動かすオペレータなのだ。
彼の演説の巧みさに心酔したと言っても良い。自分の父親に親しい職場に、このような強い男が居たとは。
「私は人と人とをつなぐことのできる鉄道がなくなるのは困る。まず、収入がなくなるし、居場所のなくなる人も多いだろう。この国とだって、数年後には直通列車を走らせる話もでているのだが、その国交が消えてしまうのも何かと悲しい。そうではないか」
多くの鉄道員たちが頷いていた。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。先に言っておくが、多くは語れないし、すべてが本当ではない。脚色もある。それでも良いとハンブルク管区長に頼まれたのでいままでの経歴を話したのだが」
本題。メテーオ・ナハトの真実、の一部。
「
割れんばかりの拍手のあと、ハンブルク港国際汽船ターミナルでは懇親会と称された第二部が始まっていた。リヒトは直接ヘルマンと話をしてみたかったため、ブリタニア鉄道員司令部に勤める自分の父親の名と、普段名乗ることのない父性で潜り込んだ。友人は特にそこまで興味はないと帰ってしまい、大人だらけの中にたったひとりの十四歳であった。
「坊主、迷子か?」
来た。場違いであることこそが、ヘルマンに近づくチャンスだったから予想通り声をかけてくれる。
「ヘルマン・アイヴァットさん」
「さっき、聞きに来てくれたよな?」
教え子に話しかけるような気さくな声だった。見た目ほど怖くはない。
「あれこれ面白いお話をありがとうございました」
「なに、大したことも本当のことも言っていない」
メテーオ・ナハトについてはありきたりなことしか話してはくれなかった。関係者が皆亡くなってからの公開であると言うから、当分真実に触れることはないだろう。
「それで、リヒト・サーフィールド。私に用があるのだろう?」
「そうです。……えっ?」
サーフィールド? 父親の名字を使って潜り込んだはずなのだが。
「あの野郎がよく言っていた。息子が、自分の言うことだけは聞かないって」
「父を……ご存知ですか」
「理想ばかりの強引な男だ。仕事ができるだけマシだが」
嫌そうな顔をして、目の前の少年の父親の悪口を言う姿。ヘルマンはリヒトの前では最初からこうだった。しかし、公的な場所では一度たりともみたことはない。
「お前、来年どうするか決められなくてここに来たんじゃないのか」
「はい」
「どうだ、刻示士の仕事は」
「すごくやりがいがあると思いました」
「常套句はいい。本音は」
「おれは……、いえ、ぼくは」
「おれでいい」
「俺は、俺が国を動かせるんだって。俺がオペレータだって、そういう感じがしました」
「そうか」
ヘルマンは納得げに笑った。
「お前、刻示士にならないか?」
ヘルマン・アイヴァットの推薦により、難関であるベルリン鉄道学校に入学したリヒトは、三年間、まったく知識のない中猛勉強をした。ヘルマンに誘われこそしたが、失望はさせたくなかった。鉄道学校を出たら、直接指導してやるからブリタニアに来なさい。そう言われたこともある。
もともとの身体能力の高さも相まって、ゲルマン陸軍や鉄道連隊からスカウトが来たが、はじめからブリタニアの、十時発の列車を走らせたい、その一心だった。
のちのちエリートになる同級生たちを抑え主席で卒業したリヒトは、迷わずヘルマンのもとに行くことを選択。父親もいるだろうが、だからなんだというのだと開き直っていた。
アイル・フェリックスこそが、ロンドン十時発を守り続けていたアルビオンのオペレータである。
銃声により今すべてを思い返し、メテーオ・ナハト作戦の童話(メルヒェン)が脳裏をよぎっていた。
それは、世界を守ったオペレータの少女のはなしである。
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