第8話
その時が来たら折り紙をライン内に飛ばす。オレンジの飛行機が飛んだらその日の夕刻に、黒い蝶が飛んだらその日の深夜に指定した場所まで来て。誰かと一緒に来てもいいけど、命の保証はできないから自分の分の命は自分で守ってね。
レンは、帰り際そう言ってひらひらと手を振って伝えていった。
ロクは悩んでいた。彼女の無事は確認した。しかし、状態は思わしくないらしい。最近体調が悪くてねえ、なんて軽く言っていたというのは話には聞いていた。しかし、そこまで深刻だとは思いもしなかった。もしかしたら彼女自身も無自覚だったのかもしれない。そう考えたら、一層馬鹿らしく思えてきた。他人の変化や感情、状態を察知する能力はずば抜けているのに、こと自身のことになるとてんでどうでもいいのだ、あいつは。それは出会った頃から変わらない。自分に無頓着で横暴。それが気になって周囲が目を光らせていることに、彼女は気が付いているんだろうか。ルースにしてもブラトにしても、彼女を心配してついて回っている節がある。それも無自覚なのかもしれないが、少し傍迷惑ではないか。こうやって、自分も同じように頭を悩ませているんだから、困ったものだ。
彼が戻ったのは、すでに二日前だ。刻々と時間は流れていく。
悶々とした時間を無為に過ごしていたら、ノクが回診と言いながら作戦室に顔を出した。
「ロク、大丈夫? 顔が怖いよ」
白がいなくなって、多忙を極めている救護班を担うようになってしまったノクは少し痩せてしまった。もともと線が細いのに、痛ましい。缶に詰めた煎じた野草を持ってきたと話す。
「お前も、ちょっと痩せたか」
「ばれたか」
ノクは小さく苦笑して、椅子に座った。
「大丈夫。夜は明けるし、雨は上がる。生まれたら死んで、土に還る。そういうもんよ」
胸を張って、高らかにノクは言った。涙目になっているし、声は震えている。それを知って「ちょっと似てるね」なんて言ってやる。
「白がさ、そう言うの。元気づけるために、そうやって言って、白ちゃんがそう言うなら仕方ないなって、みんな言う。死んでいく人も、生きていく人も、みんなそうやって」
最後の方は、のどに詰まったように声になっていなかった。
「あいつは立場上、たくさん見てきてるからな。命の始まりも、もちろん終わりも」
一緒に並んで、茶を飲む。味なんてわからない。ただ、感情を押しとどめるのに必死だ。
白のそばにいるのはルースやブラトだ。しかし、彼女は弱音を吐けないらしい。それは心配させたくないのと、彼女のプライドが邪魔をするようだ。この集落で出会った俺には、幾分話しやすいらしかった。洞窟の中には昼でもほとんど光は入らない。そして、人があまり来ない。それを知って白はよくここに来ていた。例えば、看取った後なんかにこっそりと一人で。
全ての処置と手配を終わらせて、気丈にふるまって、仮面を剥ぐようにこの場所へ来ていた。きちんと禊いでから、この作戦室へ赴くのだ。不浄なのは自分だけのような顔をして。外では何でもない、大丈夫というような顔をしているくせに、ここでは弱った姿をさらしていた。
「眠れない」
初めはそう言って、ゆらゆら燃える火を見つめていた。
言葉を吐くわけでもなく、「背中を貸せ」と要求する。のどを意識的に絞めて声を殺して泣くのだ。人の背中で。震えや熱のこもった呼気が服越しに伝わってくる。涙がシャツに沁み込んでいくのが分かる。でも、それを止められる奴がいるだろうか。
いつだか、くるりと胸を貸してみたことがあった。真っ赤な目をしてぎろりとにらまれて「こっち見んじゃないよ」と腹に顔を押し付けて涙を擦りつけられたのを思い出した。それがもう見ていて痛くて、せめて声をあげて泣いてくれたら幾分ましなのに。背中を撫でて、慰められるのに。そう思っては、繰り返し相手をしていた。
きっとノクは仕事仲間のような感覚なんだろう。弱い部分を見せてしまえば、きっとテント内に不安が広がると危惧して、ノクに不調を訴えるわけがない。ぎりぎりまで自分で何とかしようとしていたんだろう。だったらなんで、ここに来て「なんでもないポジション」の俺に話してくれなかったんだ。自責の念が自分の心を蝕んでいくのが分かった。「私は、何もできない。それをみんなわかってないのよ」そう言われたことがあった。同じように自責の念に潰されそうになっていたのか。そう考えたら、目の奥がじんじんして困ってしまった。
その時、ざばざばと激しい水音が洞窟内に響いた。ノクが驚いて顔を上げる。ああ、あいつが来たかと、ロクは予想した。しかし、同じルートを使って別の人間が来たのかもしれない。その予想をして、二人で円卓の下に身を隠した。声を出すなよ、そう指示を出した。
「ロク、居るんだろう」
その声は、聞き覚えのある声だった。
ラインの向こう側の兵士、レンの声だ。
約束の時間になっても来てくれないから、地下水路を通って出向いたらしい。ほかの人間に見つかるリスクはあったが、ロクさえいてくれれば何とかなると踏んだようだ。
「俺は潜って戻るから、あんたたちは地上へ出て。指定した場所へ行って。」
ひたひたと、地面に水滴を散らしながら、レンは裸足で室内を歩いた。ロクの肩に手を置いて「しっかりしてくれ、ロク。ビアンコちゃん、かろうじて生きてんだから。ここの頭はあんたなんだろう」と普段より強めにそう言った。その言葉に腹の底に力が入るのが分かった。
レンの瞳をにらみつけるように見つめると、へらりと笑った。よかった。
「安心するのはまだ早いからね」
そう言って、急いで湖面にダイブするレンの姿を見送った。呆然としているノクを連れて、作戦室を出た。道中でルースとブラトを連れる。洞窟の外は深夜だった。闇が味方してくれる。身を隠すには打ってつけだった。
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