第7話

「放してってば、この熊!」

テントの中は騒がしい。巡回から帰り、救護テントに顔を出すと女がアイセに抗議しているのが聞こえてきた。

「モナさん! ちょっと助けて!」

「何、またやってるの?」

モナは素早く女の後ろに回り込み、腕を拘束しベッドに伏せさせた。両の腿で両足を固定する。軽く体重をかけると、うなりながら静まった。「お前、嫌い」と言われるが気にしない。暴れてるのが悪い。病人だって自覚はあるんだろうか。軽く拘束しているだけでも、彼女の体温は異常に高いことがわかるのに、馬鹿なの?

「セラギがいないからって、逃げようとしたの? 困ったね」

首の後ろでそうささやいてやれば、女は縮こまった。何かを反論しようとしたみたいだけど、それは言葉になる前に咳に変わった。大きく咳き込み出して、ベッドの上で丸くなる。拘束は解いて、きちんとベッドに横たえる。彼女は口元を手で抑え込むようにしていたが、その間から血液が溢れるようにこぼれてきた。真っ白なシーツと彼女の肌を赤く染めていく。

「横、横向かせて!」

アイセが指示を飛ばす。俺は軽く彼女の体勢を変えて、その背中をさすった。出会った時より、骨の出っ張りが目立つ。こりこりと、皮膚の下の骨が嫌でも触れて、何となく悲しくなる。

横を向いたら、とりあえず窒息は免れる。セラギがそう言っていたのを思い出した。肺に溜まってしまった血液だったら吐き出してしまえ。そんなもの、血管に戻ることはない。だったら、そのまま吐き出してしまえ。念じながら背中を撫でていると、少し咳は収まったようだ。

その間にアイセは点滴の袋の中にオレンジの止血剤を混ぜた。透明の液も、管の横から投与している。操作は慣れたものだ。

「ありがとうモナさん。迷惑ついでに悪いんだけどセラギさんを呼んできてくれませんか」

軽く返答し、すぐにテントを出た。今の時間は、仮眠をとっているはずだ。自室のテントにいるだろう。


寝ぼけているセラギを担いでテントに戻ると、彼女はさらに白くなっていた。暴れるセラギを地面に下すと、状況を確認した。よくやったとアイセの肩を叩くと、すぐに処置を始める。

ガウンを着たセラギはメガネを固定しながら俺に「スイを呼んできてくれ」と要求した。

「これは、俺の一存で行う。お前たちは何も見ていない。俺に要求されて従っただけだ。わかったか」

セラギはそう言うと、口を閉ざした。

「俺は俺の意思で動く。お前がどう考えていようと、関係ない」

そう言って、もう一度テントから出た。


くんと、服の裾が引かれる。突っ張ったのは、彼女が白衣の裾を握っていたから。ガウンを着たセラギにではなく、アイセに彼女は訴えた。やめてくれ。そんなことをする必要はない。生かさなくていい。自分を捨ててまで、生かす価値はない。そういうように首を横に振っている。涙が、流れていく。荒い呼吸の隙間、声にならない悲鳴のような声が聞こえた気がした。汗で張り付く彼女の髪を梳いた。つらいのに心配してくれてありがとう。もういいよ。任せてよ。そう、伝わってくれるように願って、麻酔が効いて彼女が深い眠りに落ちるまで、アイセは彼女の頭を撫でていた。


状況を説明すると、食堂で食事をとっていたスイは俺を壁に押し付けた。そのまま、抵抗もせずに受ける。周囲からは好奇の視線が無遠慮に注がれている。目立つのは得策ではない。視線だけで会話して、二人で食堂を出た。

「どういうことだ、説明しろ」

食堂を出て閑散としていたテントのひとつに入る。人がいないことを確認してから話を始める。

「俺も詳しいことはわからない。ただ、あの女をできるだけ無傷で帰すはずだった。それは本当だ」

「だったら」

俺の言葉に食い下がるスイにかぶせて、俺は話した。勢いで話してしまわないと、彼は話を聞かない。

「感染が酷い。免疫力が落ちていたんだろうけど、敗血症を起こしているし早くしないと命そのものが危ないんだ。今も血をたくさん吐いていた」

軍服についてしまった血液を示して、彼を納得させる。彼女をここで死なせたくないのは、スイも同じだ。冷静を装ってはいるが、彼は情に厚い。誰よりも仲間を思い、行動している。例え相手が敵でも、判断基準はかわらないはずだ。

一つ大きなため息をつくと、スイは苦笑した。

「だから、お前にしては珍しく汗まで流して、俺を呼びに来たのか。らしくねえと思ったんだよ」


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