第4話

「白ちゃんが帰ってこないのよ」

一夜明けて、老人や子供たちが口々にそう言って詰め寄ってくる。昨夜は「雨がひどかったからどこかで雨宿りしてるんじゃないかな。心配だろうけどおやすみなさい」と帰らせたが、今はそうはいかない。すでに昨夜の雨は夜中の時点で止んでしまい、今は悔しいくらいに晴れ渡っている。こんな天気のいい中、あいつがライン外に出るなんて思えない。とりあえずたまっていたシーツや包帯をきれいな水で洗い、それを干しに行くだろうな。そう行動するだろうとは思うが、その相手が不在なんだから、どうしたらいいのかわからない。警備担当にも確認をしてみたが、ラインに近いテントにもそいつはいないという。昨日の宵から、忽然と姿を消してしまったようだ。

考えたくはないが、もしどこかで何かにあっていても、ドッグタグをつけているはずだ。それで死体が上がれば身元が判明する。考えたくはないが、事例としては少なくないのだ。

救護班と銘打ってはいるが、実際には避難所に近い。こっち側は医療というには物資や薬などすべてが足りなかった。気休め程度の民間療法が主で、生存率は圧倒的に低い。だから、みんなけがをしないように、病気にならないように祈って願って、なんとか毎日を過ごしているような状況だった。

そんな場所で救護を担い、口こそは悪いが人当たりもよく、分け隔てなく対等に看るというあいつはもしかすると、ここにいる何人かの希望のようなものになっているのかもしれないと、今思った。普段はそうは見えない。忙しそうに動き回っては世話をして回る。怪我人が出たら傷を洗い、包帯やガーゼを変える。話せる患者たちの嘆きを聴きながら、くたばるんじゃないよと檄を飛ばすと聞く。老人たちと世間話をしたり、子供たちとシーツを使って遊んだり、忙しないなあと思いながら少ない農耕地で田畑を耕していた。


とにかくこちら側ではいろんな物資が不足していた。軍に吸収されたのは若者ばかりで、置いてけぼりを食らったのは老人たちと女子供だった。そして自分のような運の悪かった男が少数。戦争とも呼べないこの現状を打破できるなんて、だれも考えていない。ただ、生きることをそれだけを考えて日々生きている。

元々は同じ国で、ある日いきなり孤立したと思ったら国は分断されていた。同じ国なのにラインが引かれて、こちら側あちら側と敵対するようになってしまった。こちらは何の後ろ盾もない。あちらには元の国が付いている。勝てるわけがない。


ブラトが子供たちを集めて、昔話のように話をしていた。彼は大きな背中を丸めて、教科書もない中先生の真似事をしている。子供たちの遊びに付き合うこともあるが、人に何かを教えるのが好きみたいだった。

ブラトは、こちら側の数少ない男の一人だ。大きな体を持ち、簡素な武器を持って一緒に見回りをすることもある。

昨夜も一緒に見回りをした。洞窟の周りとテントの周囲を回った。ただ、散歩しているようなものだ。武器はあちら側では使わないであろう旧式のものだけ。心もとないことこの上ないが、ないよりましだった。しかし、彼女を見つけることはなかったし、情報のひとつも手にすることはできなかった。

ブラトが話し終える頃合いを見計らって、連れだって洞窟内を進む。その間も「白ちゃんがいないの」と何人にも詰め寄られた。そんなもん、俺らだって知りたい。そう言うのをぐっとこらえて、「わかった、ちょっと待ってて」と言いながら、なんとか押しとどめる。これは俺らが考えていた以上に、奴の役割は大きかったのかもしれない。

隣を歩くブラトも神妙な面持ちで歩いている。普段より少しだけ歩調が速い。それは、俺も同じなのかもしれなかった。同じようなスピードで蛇行している洞窟内の最深部を目指す。

「みんな白ちゃん白ちゃんって、人気者かよ」

俺が拗ねたみたいにそう言うと、

「まあまあ、忙しそうに動いてたから、みんな気になるんじゃない」

と、穏やかに諭してきた。表情はまだ硬いものがあるが、口調はまだ余裕がある。この現状の中で人々は何かにすがりたかったのかもしれない。それのちょうどいい位置にいたのがあいつだったんだろうと思うと嬉しいような、身勝手さに無性に腹が立ってくる。誰にでもなく、ただいらいらする。


洞窟の深くは、人もまばらになってくる。そこにあるのが残された俺たちの砦のようなものだからだろう。俺たちは作戦室と呼んでいた。それに近づくにつれて体感気温は下がり、湿度は増していく。地底湖が近くにある。そして、水路に混じって配線を引いて、前時代のものではあるが通信機器につながっている。

通信室への扉はない。ただ、広い空間が広がっている。その空間の中央に大きな円卓を置き、それを中心に電子機器が並べられていた。

「白ならここにもいないぞ」

最奥のパソコンの前から男の声がする。空気をまっすぐ通る声だ。大きなディスプレイや機材に隠れて人物は見えないが、誰がそこにいるかはすぐに分かった。痩身の男はロクと言い、作戦室の頭脳派として、日のほとんどをここで過ごしている。外に出ることはあまりなく、力仕事をすることもほとんどない。その代わり、この集落の運営を担っている。実質的なリーダーのようなものだ。

ロクは機材の隙間を縫って、円卓の前まで出てきた。野草を煎じた茶をぐいっと飲み干してから椅子に腰かける。緩慢な動作で、彼が少し疲弊しているのが分かった。

「お疲れ様」

そう言ってロクにピッチャーを渡す。その中には先ほどのものと同じ、野草の茶が満たされている。「サンキュ」とそれを受け取ったロクは、机に突っ伏した。

ロクに倣ってブラトと一緒に円卓の椅子に腰かける。円卓の上には資料や機材が載っているが、話をする分には問題ない。

「ルースもブラトも、白を探しに来たんでしょ?」

俺たちはうなずく。集落の周辺を探しても、見つからなかった。誘拐なのか失踪なのかわからない以上、こちらも動けない。ここら一帯の情報はこの作戦室に集まってくるといっても過言ではない。だから、ロクをたずねてきたのだ。

「俺も、今朝の早い時間にノクに叩き起こされたんだ。白がいないって。あいつ、白のテント手伝ったり、じいさんばあさんと仲良かったろ。だから一番にここに聞きに来たんだと思う」

ロクは頭を上げて、困ったように笑った。「それからずっと探してるんだけど、ちっともわからん」と乱暴に頭を掻いた。いつもは紳士然としているロクだが、今はほとほと困っているようだ。

「いつもはいなくなっても次の日には帰ってきてた。遠くに行くときはお前らがくっついていってただろう? それもなかったってことは、もう俺にはわからん」

この集落は、慢性的に物資が足りない。ラインぎりぎりの人のいなくなった住居や建物から物資を補給に行くこともあった。危険が伴うからと止めてもあいつは最前線に立った。お前は救護班だろうとどれだけ諭しても、頑固で従おうとはしない。そんなところがあったから、護衛もかねてくっついて行動することも少なくはなかった。


ロクはゆっくりと立ち上がって背骨を伸ばし、関節の音を鳴らすと声には出さずに「こちらへ来い」と手招きした。ブラトと俺はそれに従う。

三人で覗き込んだロクの特等席のディスプレイには、荒い画像がたくさん並んでいた。あまり大きな声では言えないんだけど、そう前置きをしてロクは神妙に話し出す。

「実はあっち側の監視カメラを少し、傍受することができていた。少し前の話なんだがな。画像も荒いし、情報が漏れるのも避けたかったから内緒にしてたんだ」

そこまで言って、大きく深呼吸をした。ロクは端末を操作し、保存しておいたであろう動画を俺たちに見せた。

「いいか、冷静になってくれ」

そう言って、再生ボタンが押された。


そこに映っていたのは、白だったと思う。歩き方や雰囲気でそう判断する。遠目で画質の荒い動画の中で、そいつは膝をついた。攻撃にあったとか、そういった感じではなかった。どちらかというと、咳き込んで膝をついた、そういう風に見えた。それを、敵軍の軍服であろう男が近寄ってきて介抱しようとする。「保護されたのか」そう思った時には、画面の中の白は男を押しのけようとしていた。放せ、そう言っているだろうと想像ができてしまう。あいつは、簡単に助けられるような奴じゃない。しかも、相手が敵だと分かっていたら特に突っぱねてしまうだろう。

俺とブラトはそろって「あっ」と声を出した。

突っぱねて、少しの間を与えたが、しかし相手の男も何かを話し、人目を多少気にしながら白を軽々と担いだ。弱弱しく抵抗を見せていた白だが、すぐに動かなくなってしまう。男に担がれたまま画面の外へ消えていった。

「よく一緒にいた、お前らから見てどう見えた?」

ロクは平坦な口調で質問をした。それに俺は感じたままをそのまま返した。多分、白に違いないこと、歩き方や突っぱね方などの動作、着ていた服装の特徴とあてはまること、そんなことを話した。

だよなあ。そう言いながら、ロクは脱力した。


「場所はわかったんだ。それだけでも成果だろ」

ブラトはそう言った。硬い口調ではあるが、少し力が抜けているようだ。しかし、どうやって連れ帰るのか、どう考えたって現実的ではない。今の現状で戦闘なんて考えられない。武器も人間も圧倒的に足りていない。向こう側と交渉ができる余地が残されているのか、それすらも分からない現状だ。

そこに、白がいる。それだけが分かっただけで、俺たちにできることを考えたけれど、何も浮かばないまま時間だけが過ぎた。

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