第12話 母のこだわり
「片付けをしたい」と母が言った。ようやくその気になったかと思った。
歩行が不安定な高齢者になったのに、父と母の家は荷物でいっぱいだ。棚にしまうところがないとなると床に置くので、歩くスペースが狭くなっている。私が結婚してから数年経って、兄と同居するために建てた家なので、私には実家ではない。あくまでも両親の家だ。
モノのない時代に育った二人はとにかくモノを手放せない。父は本が手放せず、母は服や台所の細かいものが捨てられない。二人とも、買うのは好きなので、引っ越して間もなく、ものにぶつからずに歩けなくなった。
母が歩くのに杖が必要な状態になった時、このままだと家の中で転ぶことになって危ないから片付けたらと言ったが、反応が芳しくなかった。しかし、父の歩行が不安定になったことで母は思い立ったらしい。
そして、片付けがスタートした。私の役割は棚を開け、「これはいるの、いらないの?」と聞き、いらないものはとりあえずゴミ袋に入れるという、いわば手足となって動く役割だ。母が捨てる気になっているので、「これは‥」と迷っても私が「いらないよね。使わないでしょ」というと大体納得して、処分することになるが、その中でも例外があった。
お弁当箱とお菓子を作る器材だ。
お弁当箱を持ってどこかに行くことがあるかもしれないと母は言ったが、現実的に考えるととてもそんな機会はないだろう。食事の支度に時間がかかるようになり、歩く速度もかなり落ちた。そんな母が誰とお弁当を持ってでかけるというのだろう。そして粉ふるい、裏ごし器、クッキー型といったお菓子をつくる器材も捨てないという。
「お菓子なんて作らないでしょう」
「作るかもしれないもの」
いや、作ったところで誰が食べるのだと言いたかったが、ぐっとこらえた。
多分、母がしたい生活はそういう生活だったのだろうと思ったからだ。
きちんとダシをとったお味噌汁や煮物、手間暇をかけてきちんと料理されたおかずやお菓子。母はそういうものを家族に出すような生活がしたかったのかもしれない。
現実の母は長い間、働き続けていたので、手間暇かけてきちんとしたおかずというわけにはいかなかった。でも、少ない時間の中でがんばっていたと思う。買ってきたものがそのまま食卓にあがることはあまりなかったからだ。
幼い頃、私はプリンというのは温かくて甘い具のない茶碗蒸しのようなものだと思っていた。母が何度か作ってくれたプリンがそうだったからだ。今思うと、カラメルソースを作る時間も冷やす時間もない出来上がってすぐのプリンを食べさせられていたんだと思う。母にはそれが精いっぱいだったのだろう。
それに高齢になって仕事を辞めた母が、したかったように手間暇かけた料理をしたかというとそうではなかった。母は専業主婦に向かない人だったから、仕事ではない用事でしょっちゅう家を空けていた。やりたかったのなら、やれる機会はあっただろうにと思うが、いつでもできると思っていたのかもしれない。
母の片付けを手伝っていると、なんだか虚しい。高価なものだから、大事な人にもらったものだからとほとんど使わずにしまわれていた品々もあったが、母がいなくなればそれは処分される。ほとんど使われないままに処分されるのだ。どうせなら使えばいいのに、と思った。きれいなもの、高価なもの、大事なもの。そうした好きなものを使って生活をして、少しでもいい気分で残り少ない人生を過ごしてほしい。
思い出の品も大事な品も持ち主以外の人にとっては、ただのモノでしかない。私にもらっても、子どものいない私はそれを誰かに引き継ぐことができないので、結局私が処分することになる。だったら、今少しでも母の生活に役立つようにしたらいいのにと思う。ブランドもののバッグも服も、高価な宝石も、私は欲しいと思わない。結局、処分されてしまうのだから。母の片付けを手伝っているとモノを所有する虚しさを感じる。
新品の開封していないシーツやバスタオルもたくさん出てきた。買ってしばらくたつので、もはや新品とは言えない。
「使っていないものを捨てるなんて」
と母はいい、バザーがあれば寄付したいという。その時までどこにとっておくのだろう。いっそ業者に来てもらえば、母が何度もゴミ捨て場まで行って捨てることもないし、使えるものは買い取ってもらえるのにと思うが、母は業者は信用できないと言い張る。使える手足(私)がいるうちは、母は業者に頼むということを考えないと思う。私もこのまま放置したのでは何かあった時に後悔しそうなので、できる限りのことはしようと思うが、いつまでかかるのか読めない状況に早くも心が折れ気味だ。
そして、母の荷物を片付けたところで、もう一人父という大敵が待っている。
在宅介護状態になっている父のためにリハビリの方や看護師さんがきてくれているそうだが、やりにくくて申し訳ないと思う。知らない人がくるのに取り繕うことも考えなくなったあたりが、二人の老いを感じさせて、私はますます切なくなる。そして、少しでも危険度の少ない家をと思っているが、家の住人の協力が半分しか得られないことにもどかしさを感じている。
でも、あそこは私の家ではない。最終的には家に住む人が、これでいいと言えばもう手出しをする必要はないのだ。やりすぎないようにするために、これを忘れないでいようと思う。
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