第43話 心は怯えたままに

 筋骨隆々···とはいかずとも、それに準ずる肉体の男三人に押させつけられたホムンクルス。乱暴はされていないようだが、一切の自由を奪われて身動きが取れないようだ。


 スキルが警鐘を鳴らしていたのは、こいつらの事なのだろう。それに、今男爵という言葉が聞こえた。

 服屋、男爵、ホムンクルス。


 それらの点が、頭の中に違和感として反応を示す。何だ?思い出せ。そうだ、確か服屋の従業員が何時だが言っていた


『ここだけの話ですけどね?この店には、ロリコン趣味で知られる西の男爵様が来られるんです。今日はいないみたいですが、あの方は横暴ですから』


という言葉。


 何故ホムンクルスが服屋を訪れていたのかは分からないが、買い物をしている時男爵に見つかっていたのだとすれば、この展開もありえなくはないんじゃないか?


 ······その手段は少々荒々しく、杜撰な気がしないでもないが。


 助けなければ。今助けないと、俺に勝ち目はない。


 男三人を相手取るだけでも勝率は絶無なのに、もう少しで男爵が来るのだ。天下の貴族様が、こんな治安の悪い路地裏に、護衛の一人も連れないで来るはずがない。そして、こんなところに来てまで主を守る護衛は、黒と見て間違いないだろう。


 今物陰から出ないと、ホムンクルスを救い出せない―――――!!


「動けよ、動けよっ」


 男たちを前にして、俺の足は竦んでしまっていた。ガクガクと惨めに震え、抗うすべを模索することすら思考から抜け落ちてしまう。

 ホムンクルスが捕まったということは、あいつらはそれだけ強いということだ。ホムンクルスの強さは、俺が誰よりも間近で見てきた。だからこそ、あの男たちと戦うというビジョンが湧いてこない。

 やはり、死ぬのは怖い。


『引き返せ』


 さっきからスキルがそう言い聞かせてくる。


 戦いなんてしたくない。こんなスキルを得た時点で、俺は冒険者になる夢を諦めたんだ。なのに、どうしてだよ?なんでだよ?嫌だよ。


 思考が暗い方に傾き始め、それに伴って手が震えた。握っていた剣の柄が汗で滑り、グリップの意味を無くす。


 カランッ。


 剣を地面に落としてしまった。


 慌てて拾い上げようとするが、時すでに遅し。ぱっと顔を上げると、一人がホムンクルスを押さえつけ、残りの奴らが武器を装備していた。そして、どちらも俺のいる方を睨んでいる。


「誰だ!!そこに隠れてねーで出てこい!!ぶち殺すぞ?!」


 怖い。


「そこに身を潜めてたってなー?!俺たちが探しゃ、それでバレんだぞ?!」


 ···怖いっ、男たちの剥き出しの殺意が怖い。まだ見つかっていないという安心感すら消え去ってしまうほどに、只々恐怖を覚えた。歯の根が噛み合わず、カチカチと乾いた音を立てる。


 だから、次に男が発した言葉に騙されてしまった。


「でもまぁ、お前から出てくるんだったら、命くらいは助けてやってもいーぜ?」


 後で考えてみれば、その言葉の何と不自然なことか。

 犯罪に加担しているところを見られ、顔を覚えられた可能性もあるのに、生かすなどという思考が働くはずもない。

 しかし、偽りと殺意に塗れた救いの手を伸ばされ、俺は馬鹿みたいに縋り付いてしまった。


「ほっ、」


 何の期待か、口から安堵のため息すら漏れる。

 さっきまでの震えは、嘘のように収まっていた。そして、姿を現すためにその場で立ち上がり······


「へっ、馬鹿が」


 直後、今の今まで叫んでいた男が、斬りかかってきた。アイクよりも数段速く鋭い剣技。俺では目で追うのもままならないほどの冴えだ。


「うわァぁあ?!」


 咄嗟に剣を前に構え、大きく後退する。そして互いの剣が正面から衝突し、火花を散らした。拮抗は一瞬。切り結んだ瞬間に、俺は激しく後ろに吹き飛ばされた。


「ガッ···?!」


 背中を強かにぶつけ、肺から息が漏れた。今の一撃で損傷したのか、右手首がジクジクと痛む。


 ステータスが違う。スキルも違う。


 相手が一流というわけではないだろう。もしそうであるならば、俺は今の一撃でお陀仏だ。だけど、昔の俺が渇望した力···それに近いものを、この男は持っていた。


「なんっ、でだよ?」


「あ?騙されたぁーってか?バァーカ。殺すに決まってんだろ?」


 あぁ、そういうことか。やっぱり、そういうことだったのか。


 立ち上がらなければ死ぬ。それは分かっているのだが、既に男はこちらに向かって来ていた。今立とうとしても、先に切り裂かれてお終いだ。もう、戦意はなかった。


 ガツンッ!


 頭を踏みつけられた。


「なぁ?お前こいつの主様か?」


「がっ、あぁ!いだいっ、痛い!!」


「悪ぃなっ!」


 更に頭を踏みつけられる。口の中が切れ、血が出てきた。額でも割れたのか、生暖かい液体が額から伝ってくる。


 何度も何度も何度も。


 痛いと言う度に、男は俺の頭を踏み付けた。悪ぃな、と言いつつ顔を嗜虐心に歪め、流れる血に狂喜していた。


 人間なのか?


 俺を踏みつける奴のことが人と思えない。恐怖で言葉も出てこなかった。意識が薄れるほどボロボロになって、全てに対して諦観だけが残る。


 セリアのこと、ホムンクルスのこと。様々な事実が今の俺を奮起させようと脳裏を去来する。だけど、散々打ちのめされて、それすらどうでも良くなった。


 ······だから気づいた。気づいてしまった。


 自分が打ちのめされただけで忘れることを是としたそれらに、俺は何ら特別な気持ちを抱いていなかったのだ。


 昔好きだったから···今でも心残りや後悔があるから気を引かれただけで、決してそれ以上のものでは無かった。


 何も行動を起こそうとしない罪悪感を紛らわすために『考えている』と自分を錯覚させていた。本当は考えてすらいなかった。自分が傷つきたくなかっただけだった。


 なんて惨めな。


 なんて愚かな。


 そして、そんな愚かなことから逃げ回った果てにアイクのパーティーに入り、結果的には皆を殺してしまった。


 俺の逃げ癖が全てじゃないか。俺の臆病さが原因じゃないか。


 その全てに気づいて、今、やっと、初めて後悔した。


 やり直したい。


 今度は、こんなスキルでも一生懸命やるから。


 今度は、ホムンクルスのこともちゃんと考えるから。


 今度は、誰も死なせないように気張るから。


 だから、だから、だから······その全ては、あまりにも遅すぎた。やり直しなんて効かなかった。そんなものお釈迦にしか存在しない。


 あぁ、ダメダメだ。


 とうとう時間切れのようで、男が剣を振り下ろす。それを見て、ただそう思った。


 だがその瞬間、別の声が辺りに響く。


「おい、来たぞ」


 痛みを堪えながら、くぐもった低い声のする方に目を向けると、そこには恰幅のいい男がいた。歳は三十程で、庶民的な洋服を着ているが、身なりの良さが滲み出ている。


 一目で男爵だと分かった。


 男爵は一般人に扮した格好の護衛二人を近くに侍らしたまま、ホムンクルスの方へ近づいていく。ホムンクルスを押さえていた男が、その場で頭を下げた。


「こいつが今回の獲物です」


「ふんっ。間違いは無いようだな。おい、こいつを連れて行け」


「はっ!!」


 男爵の命令を受けた護衛二人は、ホムンクルスの両脇を抱えて連れ去ろうとする。それが嫌だった。


「ぁっ、ああ!」


「む?」


 俺の声に振り返った男爵と目があった。


「あれはなんだ?」


「この女の主でしょう。ジャックが遊んでたみたいですが、まだ死んでいなかったとは」


「ふん。消しておけ」


 男爵は興味ないとばかりに俺から目を離し、護衛の方へと戻っていく。男たちも俺には興味がないようで、こちらに向かってきたのはジャックだけだ。


 ······俺は、その程度の存在。この場の誰にも気に留められない、そんな程度の存在。


 ハハッ、笑えてくる。


 最早ジャックと呼ばれた男は視界に入らず、どうせ最後ならせめて仲間を見ていようと目を向け、ホムンクルスと目があった。


『ホムンクルスから力を吸い上げる』


 スキルの声が鳴り響くが、そんなことをしようとは思えなかった。


 ホムンクルスが激しい反抗をし、護衛二人に押さえつけられている。


 そして何故か、ジャックが俺に剣を振り下ろそうとした瞬間、最大の力を込めて暴れだした。



 ホムンクルスは大きく息を吸い込むと、力一杯地面を踏みつけて、全身の力を用いて護衛二人を振り払った。予想外の力で反撃を受けた護衛たちはたたらを踏み、その音にビビってジャックが後ろを振り返ったことで、俺は一瞬だけ命拾いをする。


 ······そして、踏み込んだ際の衝撃で飛んだのか、ホムンクルスの懐から一枚の布が落ちた。


 何だ?

 それの正体はすぐに分かった。籠手のあて布だ。しかも、俺が欲しいと言っていた形のものだ。洋服屋に行っていたのだから、それを買ったのはホムンクルスだろう。だが、何故ホムンクルスが?


 疑問は尽きない。


 だが、答えにたどり着くより先に、護衛が動いた。

 二人はホムンクルスの関節を締め上げると、地面に押し倒したのだ。その拍子に、護衛の一人があて布を踏んだ。


 それだけ。たったのそれだけ。


 関節を極められて地面に押さえつけられても顔色一つ変えられなかったようなホムンクルスが、顔を歪めた。


 そう、顔を歪めた。

 

 初めて無表情ではない顔をした。それは、笑顔ではない。だけど、ホムンクルスの表情だった。

 

 ホムンクルスは、俺があて布を欲していたことを知っている。そして、ロイドと話していたところを見てもいた。

 

 だから、ホムンクルスがあて布を買ったのは、十中八九俺のためだ。


 俺が寝込んでいたから気を使ったのか、それとも別の理由があるのか。それは分からない。だけど、俺のために買ったであろうあて布を踏まれて顔を歪めたホムンクルスを見て、何かが弾けた。


 あれは、ホムンクルスが初めて自分で行動を起こし、考えたものの結晶だ。


「······せよ」


「あ"?」


「離せっつってんだよ!!!」


 立ち上がり、ジャックを押し退けてホムンクルスへと走った。


 俺では勝てない。それが分かっている。だけど、助けたい。今度は、ちゃんと立ち向かいたい。ホムンクルス、だから、ごめんな?


 ホムンクルスが俺を見て、微かに頷いたような気がした。


 ······力が、流れ込んでくる。それも、その場を切り抜けるための、膨大な力が。


「あああああああああああああああ!!!!!」

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