第44話 ホムンクルスの笑顔
上昇を続け、容易く限界へと至る力。その奔流はステータスの上限値すら蹂躙し、一時的に俺の体を無理矢理昇華させる。
力が漲る······そう言えば、どれだけ簡単なことだろうか。実際、全身はかつてない活力で満ちているし、得体のしれない自信も湧いてくる。しかし、それと同時に、
「ああああああああああああああ!!!」
ステータスの許容量を度外視した拉致外の力は、体の内側から想像を絶する激痛を与えてきた。それは、痛いなどという言葉では生易しい。体中余す所なく釘でも打たれたかのようで、絶叫以外の言葉を失いそうになる。
だが、悠長に止まっていられるほど優しい状況ではない。俺は歯を食いしばって激痛を堪え、ホムンクルスへと一歩踏み出した。
と、その時。背後からジャックが迫ってくる気配がした。不思議だ。つい数秒前までなら、気配などというものは理解もできなかった。しかし今は、手足の動かし方が理解できるように、背後の感覚をすんなりと受け入れられる。
まるで、誰かの技術や特性を俺の体に移し替えたかのようだ。
俺に押しのけられた事に怒り心頭なのか、ジャックが迫る速度は先程の比ではない。文字通り姿がぶれるほどだ。そして、死角から凶刃が振り下ろされ······直後、鮮血で軌跡を描きながら宙を舞う二本の腕。
乾いた金属音を立てて剣が地面に落ち、静寂があたりを包んだ。男爵は慌てて俺の方に振り向き、護衛たちは驚愕に目を見開く。ジャックの仲間たちは、あんぐりと口を開けていた。
剣を振り切ったままの体勢の俺は、自分の腕を切り飛ばされたことに気付かないジャックを一瞥する。
激痛とは裏腹に、思考は冴え渡っていた。
一目見てアイクより優れた剣士であると判断できたのだから、ジャックは最低でも【剣術:B】以上のスキルを得ているのだろう。
しかし、この体に染み付いたように馴染み、半ば反射の如く繰り出された一撃は、容易にそれを打ち破った。
完成され、一つの芸術と称しても差し支えない、鋭い一閃。
力を得る前の俺には、そんな技術は備わっていなかった。ならばこそこれは、ホムンクルスから削り取った命が成した結果なのだろう。
出血と激痛のショックから意識を手放したジャックに対する警戒を解き、俺は他の男たちに剣先を向けて······
「ゲホッゲホッ!!がはぁっ、」
護衛に押さえつけられていたホムンクルスが、咳き込み血反吐を吐いた。
軽く血溜まりが出来るほどの吐血、それは尋常ではない。
まるで、大切な何かが無くなっていくような······いや、俺は今、ホムンクルスの命を糧に力を得ているだろうが。
そうだ。ホムンクルスの苦しみは、俺の無力さ故の代償なんだ。
「今助けるっ!!」
何一つ俺の力ではない。
こうして立ち上がれたのは、文字通りホムンクルスが命を掛けて背中を押してくれたからだ。
俺は、"人間"の命を冒涜して力を振るっているんだ。
でも、力があるのだから、ホムンクルスを助けたい。
「てめえ、よくもジャックを!!」
男爵に頭を下げまくっていた男が、腰から二本のダガーを抜いて構えた。
その構えは淀みなく、熟練した技術の結晶が窺えた。
だが、今の俺にとっては、それすら児戯に見えた。
身を低くして地を駆けるダガー使い。
ジャックのように一本化されてはおらず、複数のフェイントを織り交ぜた動きで接近してくる。
良い動きだ···そう評価できてしまうほど目が冴えていた。
いや、冴えているというよりは、"慣れている"という感覚に近いか。
疾(と)く地を駆け抜けて眼前まで迫ってきたダガー使いが、前に傾いた体重すら乗せた刺突を放った。
俺は体に導かれるままに剣を構え、風を裂く勢いを含んだ刺突を弾き飛ばし、返す刀で右腕を切り飛ばした。
ダガー使いが表情を歪めた。
「てめぇ、俺は元Bランクだそ···?!」
驚愕を言葉に漏らしたダガー使いを切り捨てると、仲間であった最後の一人はしっぽを巻いて逃げ出していった。
残ったのは、戦闘に役立たない男爵と、護衛二人。そして、苦しそうに短く息を切らすホムンクルスだ。
「チッ。所詮は金で雇っただけの野蛮な猿か。···おい、お前ら。このガキに勝てるか?」
既にこの場で息をしている者はいないが、男三人に向けて悪態をつく男爵。しかし、次の瞬間には表情を切り替えてそう質問していた。
「おそらく、我らでは不可能かと」
「あれ程の手練、情報が出回っていないのが不可解なほどです」
微かに震える剣先を俺に向けている護衛たちは、口々にそう言った。
男爵が忌々しげに口元を歪める。
「チッ、使えない。おい!お前の目当てはこれだろう?!ここに置いていく。今は見逃せっ」
屈辱に塗れた表情で俺に吐き捨てる男爵。
貴族の誇りがあるのだろう。俺に、射殺さんばかりの視線を向けていた。
その両隣を守るように並んだ護衛たちも、鋭い眼光をこちらに向けている。
確かに、俺のほうが強いのかも知れない。だが、もう痛みに耐えるのが限界まで来ていた。
それに、ステータスの上限値を上回った分の力が、還元されようとしている。このままでは、ホムンクルスから受け取った力の殆どが戻ってしまう。
俺としても早く退いて貰いたい。
そして、判断にかかる時間は一瞬だった。
流石、腐っても···例えロリコンだとしても、一つの領地を運営する人間といったところか。引き際は承知しているようで、最後に俺を一睨みし、足早に去っていった。
その背中を追おうとはせずに、倒れているホムンクルスへと駆け寄る。
「おい!大丈夫か?!」
ぐったりとした体を抱き起こして話し掛けると、ホムンクルスから反応が返ってきた。
「私は、大丈···夫っ、」
「どう考えても大丈夫じゃねーだろ?!ごめんな、本当にごめんなっ」
「あなたが、謝る必要は···ない。私は望んでそうした」
「だけどっ」
ホムンクルスの手が、弱々しく俺の頬に触れた。
「まだ三割も削られていない。私が尽きるまで、何度でも力を······」
「違うだろ?」
「使えば···え?」
ホムンクルスの言葉を遮って口を開いた。その言葉だけは聞きたくない。
「お前の命は数字じゃない。勝手に使われていいもんじゃない。なのに、俺は今日までで二回も使ったんだ!だから、謝らせてくれっ···」
「泣かないで?私はホムンクルスだから」
「違う。お前は、お前は!」
仲間を失いたくないという意志のもとに、ホムンクルスの命を削った。
これまでなんの努力もしてこなかったツケ。そう言えばそうだろう。だけど、それにホムンクルスが巻き込まれる理由なんかない。あっちゃいけない。
だからこそ、戦いが終わり、罪悪感が波のように押し寄せてきた。
謝ってどうこうできる問題じゃないだろう。金ならまだしも、命は何かに変えられないのだから。
なら、俺はどうすればいいんだよ。どうすればよかったんだよ!
分からない。分からないけど、これからの事は分かる気がする。
······俺はもっと強くなりたい。
勇者のような特別な力がほしい訳じゃない。
だけど、自分の身の回りに降りかかる理不尽を跳ね返せるだけの力がほしい。
その上で、もう一度セリアやホムンクルスのことを考えなければならないだろう。でなければ、俺はアメイラたちに顔向けできない。
そう思いながら、俺はあて布を拾い上げた。
「あっ、それ」
「使うよ。目標のための一歩だ。ありがとな」
「りょー、かい」
りょーかいという言葉も、久しぶりに聞いたな。あて布をポケットにしまい、ホムンクルスに肩を貸した。
ホムンクルスは無言で掴まり、辛そうにしながらも歩みを進めていく。
······こんなホムンクルスでも変わったんだ。
表情ひとつ作れなかったこいつが、今日、初めて悔しそうな顔をした。
なら、俺が変わろうとしないでどうするんだ。
ふとホムンクルスの横顔を眺めると、目があった。
「私は、嬉しかった」
「何がだ?」
「助けてくれたこと」
違う。あれはお前の命を犠牲にして···
「違う。私は、犠牲になっただなんて思ってない」
「でも······へっ?!」
今こいつ、俺の心を推測した?
ホムンクルスが? あの、ホムンクルスが······?
「あなたは、確かに王子様じゃない。勇者様じゃない。物語の主人公のような人ではないのかも知れない」
「当たり前だろ、そんなの」
だけど。そう言葉を続けて、ホムンクルスが立ち止まる。俺も、それに合わせて立ち止まった。
「今日私を助けてくれたのは、あなただった。だから、嬉しい」
「···っ。やめろ。俺はそんな奴じゃない」
「そう思うなら、一つ頼まれてほしい」
ホムンクルスが要求するなんて珍しい。
そして、俺にそれを断る権利はないだろう。てか、受ける義務がある。それだけのことをした。
「何だよ?」
「私は、人間らしく生きたい」
それは、正直難しいだろうと思う。ホムンクルスは確かに成長している。
しかし、一つのことから一つのことしか学べないのだ。
人間のように、一の教訓から十の結果を引き出すことが出来ない。
それをやれと言われれば、"それ"しか出来ないのだ。まるで応用が効かない。"それ"が出来ても、"これ"と"あれ"の答えにはたどり着けないのだ。
だから、難しい。良くも悪くも、機械的な思考しかできないのだから。
「私は馬鹿。一つのことしか出来ない。だから、人間のことなんて分からない」
だけど。と、ホムンクルスはまた言葉を続けた。
その顔は······
「だけど、一つのことなら分かる。さっき、あなたの考えていることを言い当てたように」
「そうだな。確かにそうだな」
「だからっ、」
その顔は···僅かに朱を帯びていて。
「だからっ、」
少し、切なげで。
「だから、」
そして、
「あなたという"個"を通して、人間のことを知りたい。だから······いや、違う」
そして、
「······そばに、いたい?」
にへら、と。笑っていた。
恥ずかしさと嬉しさが耐えきれずに滲み出てきたように、自然に、ぎこちなく笑っていた。
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