第40話 一人になって

 嵐のような出来事だった。突然訪れたギルドマスターは、エイラを預かると言って入ってきたのだ。


 詳しいことは分からない·····というよりは教えてもらえなかっただけなのだが、どうやらギルドマスターにはエイラを匿う宛があるらしい。


 定期的に高位の解毒ポーションを服用しなければいけない程の病気を患っているエイラだ。俺には面倒が見きれないし、周囲の目を欺く事もできない。


 だからギルドマスターの言葉を信じて、連れ出されるエイラを見送るしかなかった。エイラがどこに連れて行かれるのか、それは俺には分からない。ただ、ギルドマスターなら下手なことはしないだろう。


 泣き叫ぶエイラを眠らせて肩に担いだギルドマスターを前に、俺は何も出来ずに見ているだけだった。


 そして、とうとう誰もいなくなった家に取り残されて、立ち尽くして、現実だけが残った。


 アメイラが死に際に吐いた『エイラを頼みます』という言葉に従って、俺は死んだように乾いた心に鞭を打っていた。


 そう、エイラを助けるために動くことで、現実から目を逸らしていたのだ。だけど、その憂いすら無くなってしまったら、見つめるべき先が見当たらない。


 途端に視界が狭まった。どうすればいいのかも分からなくて、暗い世界の中で自分だけ取り残されたような感覚だけが残る。


 薄汚い雑巾から絞り出す水のように保っていた細い気力は、目的を無くしてカラカラになってしまった。


 そして、ふらふらと徘徊するように歩き回り、いつの間に宿まで辿り着いていたらしい。ふと見上げると、見慣れた看板が頭上にあった。


 体が覚えているままに歩き、受付にチェックをしに行く。今日の担当はフレイのようだ。


「シオン······」


 フレイと合うのは二日、いや、三日ぶりか?その空白の間にホムンクルスがここに戻って来ているのだから、俺に何が起きているかは把握しているんだろう。

 だけど、気遣うような声が苛立たしい。


「シオン。話は聞いたわ。私に出来ることがあれば······」


「じゃあ、ほっといてくれ」


 今は誰とも会話したくない。拒絶を含めてそう吐き捨てると、フレイは顔をしかめた。


「何よっ。客に何かあったら心配するのが私の仕事なんだから、それくらいいいじゃない!」


「あっそ」


 上辺だけの、仕事なんていう都合ベッタベタの善意を向けられて、嬉しいわけがない。


 なんとなく一瞬フレイの方を見て、ようやく目があった。フレイは俺を見返して、そして理解できない物を見たように後ずさる。


「あなた···なんて顔っ、」


 誰かに距離を取られるのが苦痛だった。近くにいたはずの四人を失って、しかもその内の一人は気づかぬうちに好意を抱いていた少女だったから。

 誰でもいい。これ以上俺から離れないで欲しい、一人にはなりたくない。


「はぁ」


 その感情が独りよがりだと分かっていたから、外界との関わりを持つことすら恐怖を覚える。


 そうなれば自然に、俺は部屋に引きこもった。傷つくのが怖いなら、一人の世界に閉じこもればいいのだから。


 部屋に戻ると、怪我一つないホムンクルスが椅子に座っていた。ギルドマスターの回復魔術が効いているのだろう。


 扉が開いた音にも反応しない背中からは何も感じられない。微動だにせず、固まっていた。


「ただいま···」


「おかえり」


 だけど、今までと何一つ代わり映えのないその姿に、その声に、どうしようもなく腸が煮えくり返った。


 何でだ?仲間が死んだのに、どうして平然としていられる?!


「なぁ?」


「どうかした?」


「お前、何も思わないのか?」


「何も······何に何を思えばいい?」


 いけないことだと意志の制御が働くより先に、手が動いた。ホムンクルスの椅子を蹴り飛ばし、立ち上がったところで胸ぐらを掴む。


「アイクとカイとロイドとアメイラが死んだんだぞ!何も思わないのか?!なあ"?!」


「私は······私は」


 ホムンクルスの視線が泳いだ。普段は何があっても無表情を貫くこいつとしては、それすら珍しい。もしかしたら、思うところがあるのだろうか?


 いや、ホムンクルスが相手なんだ。分かろうとした俺が馬鹿だったか。


「······っ!!」


 ぶつけようのない激情を飲み込み、ホムンクルスを開放する。元々俺のせいで皆が死んだんだ。それをホムンクルスにぶつけるのはお門違いだ。


 何でもいい。


 今は何も考えたくない。


 だからベッドに潜り、全てから隠れるように布団を被った。












「ご飯食べなさいよ」


 扉の向こうからフレイの声が聞こえた。あれから何時間経過しただろうか?分からない。だけど、そんな気分ではなかった。


 空っぽとは、こういうことを言うのだろうか?分からない。だけど、分からないという空白を思考で埋めたくはなかった。


 目を閉じる度に思い出されるのはアメイラが死ぬ瞬間だから、目を閉じたくもなくて、上の空で布団に顔を埋め続ける。


 そんな生活を······いや、生活とは呼べないだろう。そんなことを続けていると、水分が足りなくなって唇がカサカサになってきた。体から力が抜けて、思考も働かなくなっていく。


 鍵を閉めていたから、とうとうフレイはマスターキーを使って入ってきたくらいだ。食べ物を食べなきゃ死ぬからと、無理矢理口を開けさせて食べ物を入れようとしてきた。


 だけど、それでも力が入らない。俺の中から、何か大切なものが抜け落ちていた。


 たったの一ヶ月間も一緒にいなかった程度の人間を四人失ったと言えば、大したことはないのかもしれない。だけど、あのふざけたような毎日が、どうしようもなく楽しかった。

 その人の幸せを計る定規を持つのは、その人だけだ。大きさや時間の価値は、他人が決めるものではない。俺にとって、あの四人は大切な人たちだった。


 替えなんて効かない。だからこそ、先が見つからなくて、立ち上がる理由が見当たらなかった。


 そんなことを更に繰り返して、朝と夜との境界線が曖昧になった頃、唐突に頭の中に声が響いた。


『食堂に向って夕食をとる』


 とうとう餓死が見えてきたらしい。だけど、死ぬという事実より先に、スキルが怖かった。


 またか。またなのか。必要としていないのに、お前は勝手に俺の心を踏み荒らすのか?


 やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ


『食堂に向って夕食をとる』


「ぅっ···さいなぁ!!」


 何も通していない喉は掠れていた。拒絶の言葉を叫ぶたびに激痛が走る。だけど、俺の拒否を度外視して勝手に鳴り響く声が怖くて、叫び声が止められなかった。


「や、めろよ!!うるさいうるさいうるさいうるさい!!」


 突然叫びだした俺を前に、ホムンクルスが困惑したような表情を浮かべた気がする。


「どうしたの?」


 どうかしてるに決まってるだろ?


「何か欲しいの?」


 違う。何も欲しくない。


「体に異常があるの?」


 そんなの知るかよ。


「どうすればいい?」


 どうすればよかったんだろうな?


 他人には無関心なホムンクルスには見られない光景だ。誰かを気にかけるような声を掛けるなんて、エイラを相手にしたとき以外はありえない。


 だけど、人間を理解出来ないホムンクルスの言葉は、何一つとして俺とは噛み合わない。俺が欲しい言葉を掛けてくれない。


 ホムンクルスはしばらく声を掛け続けたあと、何かを考えるように黙り込んでしまった。


 そして、唐突に部屋を出ていってしまう。最近ホムンクルスは、食堂に赴いて俺の分の食べ物を持ってきていた。だから、またそれなのかと思って、思考の外に追いやる。


 その日、夜になってもホムンクルスは帰ってこなかった。 

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