第35話 最後のひととき
落書きや折った痕が多数見られる盾―――それは何よりも汚く映るが、同時に何よりも心がこもっているものだ。
エイラの小さな手から伝わる熱が、思いが、素材の価値を覆して、ホムンクルスの中に芽生えようとする"何か"を強く叩いているのだろう。
実際、椅子に座って机に向かっているホムンクルスは、人情を感じさせる繊細な手つきで盾をいじり倒している。
そう、いじり倒しているのだ。
あの、ホムンクルスが。
何にも興味を示さず、必要でなければ何にも労力を傾けようとしない、あのホムンクルスが。
元々くしゃくしゃではあったが、それ以上にしわしわになってしまうほど、盾を触っている。とても丁寧に、壊れてはしまわぬように。
暇にはならないのだろうか?
「あなたならどうする?」
「は?」
寝転がりながら椅子に座るホムンクルスをじっと見ていると、突然声をかけられる。
「どういうことだよ?」
「これ、どうすればいい?」
「知るか。肌身はなさず持ってりゃいいだろ」
「分かった」
もらったはいいが、管理の方法が分からなかったのか···ホムンクルスらしいな。
「エイラは盾だって言ってくれたんだろ?なら、装備にでも貼り付けとけばいいんじゃねーの?」
俺の意見を聞いたホムンクルスは、早速自身の胸当ての内側に盾を入れた。
こいつの装備は俺のお下がりだから、男物だ。そして女物と違い、男物の胸当てには内ポケットがある。幸いと言うかなんと言うか、ホムンクルスは幼児体型だから、サイズが合うのだろう。胸ポケットバンザイ。幼女バンザ······それは違う。ノリで言いそうになった。
「明日からは敵を皆殺しにしようと思う」
「ふ〜〜〜ん。······へっ?!」
何その唐突すぎる戦闘狂宣言。これからは何かある毎にヒャッハァ! ですか?
「そうすれば喜ぶ」
「誰が?!」
「エイラが」
いやちょっと待て。何で敵を血祭りヒャッハァしたらエイラが喜ぶんだよ······って、そういうことか。
エイラは俺達から話を聞くのが好きだ。中でも、戦いや冒険についての話を聞くのが大好きな気がする。何時も目をキラキラさせているから。
ホムンクルスが今言おうとしたのは、敵を皆殺しにするではなく、エイラへの土産話を作りたいということなのだろう。
「なら、俺も手伝ってやるよ」
「あなたの役割はアメイラの護衛。バランスを崩すのは愚策」
「そこは嘘でもありがとうって言うところでしょ違う?!」
ん?と首を傾げるホムンクルス。何かさぁ、まぁ、分かってはいたんだけどさぁ、はぁ。
「お前って本当に······」
いつも通りホムンクルスを罵ろうとして、軽口に乗せる言葉を探して、それで、何も言葉は思い浮かばなかった。ホムンクルスが空であるから、形容できない。
「本当に、よく分かんねーよな」
「? 私も、あなたのことはよく分からない」
「分かろうとしてないもんな、お前」
「あなたも?」
あぁ、この言葉はブーメランだったか。
「そうかもな。って、もうこんな時間かよ。ほら明日も早いんだから、さっさと寝るぞ」
寝て、起きて、毎日を何となく生き抜いて。明日もそんな生活を送るんだって思って。
だから、考えもしなかった。
絶望は、いつも足元に転がっているだなんて。一度踏めば靴の裏にこべりついて、すり減ることはあっても、二度と剥がれることは無いだなんて。
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