第26話 鍛錬の成果

 一度に許容量を超える衝撃を受けると、思考回路は停止する。考える余裕が無くなり、他のことに気を配れなくなるからだ。


 昨日の出来事は、まさにそれだと言えよう。


 異常な戦闘能力を有したゴブリンと戦い、逃げるためにホムンクルスの命を削ってしまった。


 死んだかと思ったホムンクルスの生還に喜び、しかし直後に冷酷な現実を突きつけられた。


 アメイラの境遇を知り、あってはならない秘密を共有してしまった。


 どれもこれも、覚悟を持たずに対峙するには大きすぎる。結果俺は、それらに気を取られて、ホムンクルスやフレイとの会話を怠ってしまった。


「それじゃあ行ってくる」


 何ら普段と変わらない、抑揚の籠もらぬ声で、ホムンクルスが言う。今日もアイクと連携の鍛錬を積むのだろう。


 態度が変化しないのは、昨日のことをさして気に留めていないからか。こいつは、人の感情の起伏に疎いからな。


「じゃーな」


 だけど、俺が言われた言葉は、その事実は、あまりにも大きな意味を含んでいる。簡単に態度を軟化できるはずも無く、小さくそう呟いた。


「何かあったんですか?」


 そんな俺らの様子を見たアイクは、心配そうに尋ねてくる。


「何も」


「いや、でも······」


 きっと、表情には何かあったと表われているんだろう。だが、尚も質問を続けようとするアイクを黙らせたのは、ホムンクルスだった。


「私達の間に問題はない。早く行こう」


 実際、ホムンクルスは何も感じていないんだろう。それが態度に出ているから、アイクは強く聞くことができない。


「······そうですか。では、行きましょう」


 アイクに付いていったホムンクルスを眺めながら、更に小さく、飲み込むようにため息をつく。

 いや、ホムンクルスだけならまだいいんだよな。問題はフレイだ。昨日はフレイから隠れるように部屋に戻ったから、仲を取り戻せてない。絶対に怒ってるんだよなぁ。


 一夜明けて、荒んだ心は落ち着いた。だが、都合よく全てが元通りにはならないみたいだ。当然か。解決してくれるのは、時間か自分だけだ。

 そして、今回は時間の問題じゃない。むしろ、時間が過ぎるだけこじれていくだろう。


 先を考えて項垂れていると、ある意味、今最も聞きたくない声が聞こえてきた。


「シオン君。おはようございます」


 アメイラだ。


 こいつ、自分のキャラが計算の上に立った演技であることがばれて尚、以前の距離感を変えないつもりか?


「お前、昨日のこと忘れたのか?」


「いや、ちゃんと覚えてますよ」


「だったら、何でそんな態度取れるんだよ。てか嬉しそうに笑ってるのが理解できないんだけど」


 疑いを込めてアメイラを鋭く睨むが、当の本人は何でもなしと笑ったままだ。


「エイラが、久しぶりにたくさんお話できたって、喜んでたんです」


「は?いや、でも。そういう······もんか」


 誰だって家族の幸福には破顔するだろう。それが、不幸に身を置く妹であるなら尚更だ。


 明るさや活発さは分からないが、この優しさに関しては、アメイラの素なのかもな。


「なぁ、アメイラ」


「何ですか?」


 俺がクエストボードに貼り出された紙を見ながら呼ぶと、アメイラは隣まで歩いてきた。そして、爪先立ちになってクエストボードを眺め始めた。


「今日が練習できる最後の日だよな」


「はい。明日にはカイが退院しますから。十二日って早いですね」


「だな」


 昨日のことが無かったように振る舞う俺とアメイラ。それは、一見すれば異常かもしれない。アメイラが抱えることは、それだけ大きなものだからだ。


 昨日面と向かって対話をしたことが、甲まで結果を変えさせるのか。


 ······ホムンクルスやフレイとも、ちゃんと謝って話をするか。


 そんなことを思いながら、クエストボードに視線を移す。


「なぁ。どうせ最後なんだし、少し難しいの受けないか?」


「はい?」


「いや。俺たちずっと練習してきただろ?コボルトくらい、戦っても倒せると思うんだよ」


「······」


 突然黙り込むアメイラ。


「何だよ」


「私、シオン君のこと、利用してるんですよ?」


 だろうな。アメイラは、俺の心につけ込んで昨日の話をしてたし。今後も、エイラの話し相手くらいはしてもいいかな、とも思うし。


「なのに、お金のことを気にして、わざわざ難しいクエストを受けてくれるんですか?私のためですか?」


「冗談は打算だけにしてくれ。お前は俺のタイプじゃない。エイラが不憫すぎんだろ。それだけだよ」


「ま、そうですよね。私もシオン君に特別な感情は抱きませんし」


 アメイラの言葉を聞き流しながら、コボルト討伐クエストを破り取った。


「これでいいよな」


「はい。行きましょう」













 戦いにおいて彼我に実力差があったとしても、それが微々たるものであるならば、勝敗は少しの要因で覆る。


 それは装備だったり。

 それは地形だったり。

 それは体調だったり。


 簡単な······もっと言えば、つまらない理由で、強者は弱者に討たれるのだ。

 そして、どれほど知能が低い魔物であろうと、自分が有利になるための手段は持っている。これは絶対だ。


「バウバウ!!」


 コボルトの場合は、威嚇がそれに相当するだろう。吠えるだけで相手が隙きを見せてくれる······単純だからこそ当たりやすい方法だ。


 だが、


「アメイラ。今まで通りに行くぞ」


「はいっ」


 多少の心構えがあれば、コボルトの威嚇など屁でもない。何発でも来いってもんだ。


 そしてコボルトは、王都周辺の平原の魔物の中では上位者だ。故に、自分の威嚇が通じないことにたじろぎ、足をもつれさせてしまう。


 ラッキーだ。


「はっ!!」


 乱れた歩調で後退するコボルトに急接近し、流れるような動作で抜剣。自然な体捌きで斬撃を放った。


「バァゥ?!」


 鋭く弧を描く銀閃は、コボルトの右腕を正確に切り飛ばす。一瞬遅れて血が咲いた。

 激痛に顔を歪めるコボルトが体勢を立て直すよりも速く、更に追い立てるように連撃を浴びせていく。だが、コボルトは大きく後退してそれを回避してみせた。流石は魔物ってところか。


 互いに後退して間合いがリセットされ、少しばかりの余裕が生まれる。


「はぁ、はぁ。それにしても······」


 ホムンクルスから力を得たからか、剣術を学び始めたからか。

 ゴブリンの攻撃にすら苦労したのに、コボルトの腕を簡単に切り飛ばせた。正直骨で止まると思ってたのだが、これは嬉しい誤算だ。


 更には······


「《かの者に戦神の加護を!!》」


 数秒に渡る攻撃が終わって訪れた一瞬の静寂を上書きするように、アメイラ声が高らかと響く。

 それは定められた文言に導かれて一つの魔術と成り、俺の身体能力を僅かに上昇させた。


 以前までのアメイラは、回復魔術を使用する場面以外では、正直パーティーのお荷物だった。それを危惧したアメイラは、最近になって最低ランクの補助魔術を覚え始めたのだ。これも、その内の一つ。


「助かる!!」


 相手は部位欠損の重傷を負い、俺は最低ランクとはいえ、身体強化の魔術を受けた状態。これは、滅茶苦茶なハンデだろう。


 ······一撃で決める!!


 全速力で走るコボルトが突き出してきた左腕を半身に構えて回避し、剣を振り被り······


 服を掴まれた。


「なっ?!」


 攻撃は、当たれば吉くらいの捨て石か!クソ、コボルトには最低限の知能があることを忘れてた。

 服を前後に揺さぶられ、抵抗ままならず重心が乱れる。何とか下半身で踏ん張るが、注意が疎かになった腹部へ蹴りが放たれた。


「がっ!」


 まぐれか狙いか、それはみぞおちに深々と突き刺さる。焼けるような激痛が駆け巡り、呼吸が止まり、全身が硬直して上手く対処できなくなってしまう。


 まずい。


 悪寒を感じて咄嗟に頭を下げると、直前まで俺がいた所を鉤爪が通り過ぎた。髪の毛が数本巻き込まれるのを間近に見ながらも、何とか後退する。


 今のは危なかった。身体強化の魔術がなければ、一発もらってた。


 と、そこへ。


「必殺!目潰し!!」


 手に一杯の砂利を握ったアメイラが、コボルト目掛けてフルスイング。大小様々な砂利がコボルトの顔面にヒットし、なんかもう、ね。エグいことになっている。


「··················」


 だが、チャンスだろう。何とも言えない幕引きだが、俺は目が見えずに狼狽えているコボルトに、容赦なく剣を突き立てた。


 感慨もクソもない、下品な勝ち方だ。


「アメイラ」


「······」


「助かったよ」


「はいっ!」


 ハイタッチを交わし、互いに笑いあった。方向は間違っているだろう。だが、練習の成果は確実に出ていた。

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