第25話 アメイラの独白

「ここが私の家です」


 路地裏を抜けて歩き進み、案内されたのは小さな家だった。木造の平屋で、いたるところに汚れが見える様は、時間の経過を感じさせる。


 お世辞にも綺麗とは言えない、今にも崩れないか不安になってくる外見だが、アメイラは躊躇なく扉に手をかけた。


「どうぞ。入ってください」


 ぎぃ、と軋んだ音をあげて、立て付けの悪い扉が開かれる。その音は、お化け屋敷と言われても違和感がない。


 促されるままに中へ足を踏み入れる。まず、ツーン、とかび臭さが鼻孔を刺激し、次いで天井に張られた蜘蛛の巣から垂れ下がる糸が顔に掛かった。


「ちょ、これなんだよ?!」


「すみません!この間掃除したんですけど、上までは手が届かなくって······」


 本当に掃除なんかしたのかよ?疑問に思えて、つい周囲に目をやってしまう。

 天井付近は、アメイラがさっき言った通り、手が届かないのだろう。蜘蛛の巣が目立つ。加えて、経年劣化故に隠せない汚れや傷が至るところにあるため、全体的に不潔なイメージだ。だが、床に埃は落ちていない。本当に掃除をしていたらしい。


「お邪魔します」


 恐る恐る中へ入り、用意されたお茶を片手に手頃の椅子に腰をかける。


 さて、ここまでついてきてしまったのは、アメイラが後ろめたい事をしている理由を聞くためだ。まあ、俺は無理やり連れて来られたんだけど。一人で隠すよりは、それを知る仲間が欲しいのか?

 多数になると気が大きくなる。集団心理だ。


「あの、その。何で私があそこにいたのか、ですよね?」


 アメイラが、喉の異物に苦しむように、あるいはそれを吐き出してしまわないように、苦渋を飲むような表情を浮かべた。


「そうだけど···」


 あんな所にいた時点で、アメイラにやましい背景があるのは確定だ。巻き込まれたくない気持ちがある。だが、話次第では養護してもいいとも思う。

 少し前までの俺なら······否。


 さっきまでの俺なら、こんな気持ちは湧かなかっただろう。ホムンクルスに現実を直視させられて、すり減った自尊心を誤魔化したいだけだ。

 弱い自分を消せないから、偽善で上から塗りつぶす。簡単なことだろう。


「言わないと駄目ですか?出来れば、その······」


 俺は、アメイラが何を受け取っていたのかを知らない。アメイラもそれを承知しているから、隠そうとするんだろう。


「······」


 俺は、アメイラの問に答えをぶつけられない。箱の中に何が入っているのか分からず、下手を打てばアメイラの生活を壊してしまうかもしれず、その責任を少しでも背負うのが怖いから。


 この逃げ癖は、本当に直ってくれない。もう慣れてきた頃だ。


「そうだけど······」


「あの、あの店にいたのは······」


 互いに見つめ合ってから数瞬の後、無言で事を済ますのは無理だと悟ったのか、アメイラは勝手に口を開いた。

 が、それを遮るように、別の声が響く。


「お姉ちゃん。誰かいるの?」


 隣の部屋から聞こえてきた声は、アメイラに似ていた。正確には、アメイラのそれよりも、高く澄んだ声だ。


「エイラ?!」


 アメイラが、上ずった声を上げる。明らかに、見るまでもなく動揺していた。秘密の鍵は、扉の先の人間にあるらしい。


「アメイラ?」


 自分から切り出すのは怖く、名前だけを読んで先を促す。


「······」


 アメイラの表情は、追い詰められたうさぎのよう。黙り込むしかないのだろう。


「男の人でしょ?誰が来たの?」


 隣の部屋の扉が、ゆっくりと開かれる。小さな隙間からスッと出てきた顔は、アメイラと瓜二つだった。

 思わず凝視してしまう。


「アメイラ、妹いたのか?」


 瓜二つと言っても、正確にはアメイラよりも"幼い"。年の頃は十にも満たず、無垢な表情には年相応の好奇心が表れている。


「あっ!えっと、そのっ。この事は誰にも言わないでください。お願いしますっ」


「いや、何でだよ?妹がいる事くらい、別にバレたって平気だろ?」


「駄目なんです!」


 その叫び声には、焦燥、迷い、後悔。様々な感情が乗っていた。到底受け止められない、ぐちゃぐちゃな感情の波。


「駄目って······何でだよ?何でその子がいるのがバレると駄目なんだよ?」


「それは······ってエイラ、こっち来ちゃ駄目でしょ!」


 俺たちの会話に加わりたいのか、エイラが部屋から出てきた。アメイラは咄嗟に止めようとするが、僅かに間に合わない。

 扉が開かれ、遮るものがなくなって初めて視界に入ったエイラの姿。それは、俺に言葉を失わせるだけの衝撃を有していた。


 いや、病気や怪我の痕があるわけじゃない。五体満足だろう。だが、右の二の腕に刻まれた特徴的な刻印が、全てをひっくり返して尚驚愕を与えてくる。


「隷属の刻印······じゃねーか」


 そう。エイラの腕には、奴隷であるという証の刻印が刻まれていた。


 それは、奴隷落ちすると奴隷商人によって付けられ、正規の手続きを踏まない限りは消せないものだ。

 故に、エイラは今現在、誰かの奴隷であると言える。


 ちなみに、ホムンクルスは誰かのために死ぬというその性質上、作られる過程で最上級の刻印を刻まれる。だから、あいつを奴隷と言っても誰も違和感を覚えないのだ。

 いや、違和感くらいは感じているのかもしれない。ああ、話がそれた。


 アメイラが奴隷を持っていたのか?それも、妹を奴隷にしていたのか?

 確かに、それなら隠そうとする理由は分かる。だが、ならどうして路地裏に居た?


 理由は違うように思えてならない。


 アメイラが頑なに妹を隠していた訳。

 アメイラが路地裏に行って何かの取引をしていた訳。


 それら目に見えるものに気を取られ、引くに引けないところまで足を踏み込んじゃったんじゃないか?


「おにいちゃんは、おねえちゃんのお友達なの?」


 エイラは、自分がどれだけ不安定な足場の上に立っているのかを、把握できていないようだ。

 こんな子供に、言葉一つが身を滅ぼす起爆剤になると伝えるのは、酷かもしれない。だが、無知は時として、幼い故の特権を許してはくれない。今この状況は、そういうレベルに至っていると言える。


「そうだよ。今はおねえちゃんと大切な話をしているんだ。だから、ちょっとあっち行っててくれない?」


「あとでエイラとおはなししてくれる?」


「······」


 刻印を見せるわけにもいかず、エイラはずっとここに隠れている。なら、誰かと触れ合う機会も、少ないだろう。人に飢えているのか······


「終わったらね?」


 パアッと。エイラの顔に満面の笑みが咲いた。


「分かった!じゃあ、エイラあっちで待ってるよ!」


 エイラが宣言どおりに部屋に戻ったのを確認し、俺は再びアメイラに話しかける。


「もうこの際だし、話は最後まで聞くよ。だから、隠さずに教えてくれないか?」


「······分かりました」


 頷いたアメイラは、縋るようにエイラのいる扉の先を見つめ、そして懐に手を入れた。

 取り出したのは、小さな包。


「あそこでは、これを買っていたんです」


 そう言われてしまうと、俺の関心は当然包みに向けられる。それをじっと見つめ、そして······


「お前っ。これ!解毒ポーションじゃねえか。しかも、Aランクって一般取り扱い禁止だぞ?!」


 そう。Bランクより上の解毒ポーションを無断で取り扱うことは 、犯罪とされている。順序立てて経緯を説明し、正規の組織から受け取る以外に、入手方法はない。それを破れば、良くて懲役、最悪の場合は奴隷落ちだろう。


 何でそんなリスクを犯してまで、アメイラはこれを買ったんだ?


「分かってます。だけど、これを買うしかなくて。いけないって分かってても、止められないんです」


 言いながら、アメイラの視線はエイラがいる方向から離れない。それが全てだと言わんばかりに。


 そして、過去は語られる。


「私とエイラは、元々奴隷だったんです」


 頭を殴られるような衝撃。あのアメイラが、誰かの奴隷だった。想像外の事実を前に、気の利いた言葉の一つも出てこない。

 沈黙をどう取ったのか、アメイラは続きを口にしていく。


「両親が商人だったんです。昔······十年前は、それなりに名が知れた大きな商家でしたよ」


 当時の栄華を思い出す場は、古びた家しかなく。汚点、もしくは弱点を抱えたままに始まったアメイラの独白が、俺の心に突き刺さった。


「小さい私は分からなかったんですけど、毎日貴族みたいな暮らしをしていたので、きっと商売は軌道に乗っていたんでしょう」


 誰かに恨まれてしまうくらいには。そう続けたアメイラは、片手を机に叩きつけた。


「もしかしたら、犯罪まがいの事をしていたのかもしれないですね。とにかく、罠にでも掛けられたように、私達の家は潰れました。私とエイラは借金のかたに奴隷落ち。両親はゼロから······いや、マイナスからやり直しです」


 何でこんな重い話を俺にする?


「奴隷として働く事になった場所は、うちを目の敵にしていた商家でした。当然、いい扱いはされなくて、何度も怒鳴り散らされて、何度も殴られましたよ。正直、首掻っ切ってやろうと思いました。慣れない環境に放り出されて、エイラは何度も体調を崩しましたし」


 どうして、そんな最悪の過去を俺に話す?


「私は商才を見込まれて、商売の手伝いをやらされました。そうして一年ほどが経過した頃······」


 アメイラの、話すに連れて消えていた表情が、ふと戻った。その時のことを思い出したのか、アメイラが微笑を浮かべる。


 その笑顔を向けられて、場違いにも、あぁ、哀愁や涙が映える女の子だなと思う。


「ツテや元々の才能を活用して再び成り上がりを始めた両親が、まず私を買い戻しました。迎えに来てくれた時のことは、今でも鮮明に覚えていますよ。その後は、私も仕事を手伝いながら、エイラを取り戻すためのお金を集めました。向こうが法外な値段を要求してくるので、すぐにはまとまったお金が用意できなかったんですよね」


 だが、二度目の盛りあがりは、そこで終わる。


「あと少しでエイラを取り戻せるようになって。そんな時です。両親が事故で死んだのは」


 そこからは······自力で組み立てた坂道から崩れ落ちるのは、一瞬だった。


 両親が死んで、当時はスキルもなく生きる術を失ったアメイラは、貯金を崩しながら生活することを余儀なくされる。

 毎日を必死に過ごし、しかし成果は出ず。

 エイラだけが手元から遠のいて行き、それでも諦めず。


 無理だと悟ってから、数カ月を無意味に過ごし、絶望に打ちひしがれ、涙すら忘れてしまって。


 そして······


「エイラ、逃げてきちゃったんです」


 エイラは、主人からの虐待に、一人では耐えられなかったのだろう。隙きを見て逃げ出してきたらしい。

 幸い、エイラに刻まれた刻印は強制力が低いもので、居場所がバレる心配は無かったという。


「昼夜問わず物乞いをする金髪の子供がいると聞いて、私は何となくエイラかな? て思ったんです。それでエイラと再開して、ここまで逃げ続けました」


 まあ、逃げるのは当然だろう。奴隷の逃亡は犯罪······それも重罪だ。見つかればどうなることか。俺、もう帰っていいかな?

そう思うが、何故か足が動かない。


「で、それがエイラと関係あるのかよ?」


 疑いを持って指さした先には、解毒ポーションがある。エイラの身の上は分かった。だが、解毒ポーションは関係ないだろう。


「エイラ。病気に掛かっているんです。それも、結構重めの」


 あの路地裏の店の店主曰く、放っておけば死に至るほどの病気だという。治すために必要なのは、Aランク以上の解毒ポーション。

 毒系の病か?


「あの店には、私の両親のツテをたどって行き着きました。差額は借金になりますけど、ポーションを半額で売ってくれているんです」


 つまり、あの店の者はアメイラの両親の知り合いか何かであり、その誼(よしみ)でアメイラの面倒を見ていると?

 致死性の病気なら、何かしらの援助を望めるだろう。だが、奴隷であるエイラを見せるわけにもいかず、こうしてコソコソ治療を続けている、と?


 やばい。重すぎて、言葉が出てこない。思考が回らない。世の中に不幸が蔓延しているのは知っていた。······知っているつもりだった。


 だから、こんなに身近にこんなに大きな不幸があるなんて、想像もしたことがなかった。


 何とかして協力できないだろうか?

 お金だって掛かるだろう。クエストを一緒に受けたり、もしくは······


「で、なんでそんな話を俺にするんだよ?」


 ここまで来て、一番の謎がそれだ。この話はアメイラたちの最大の秘密であり、それの露見は破滅と同意。ならば、語る理由はないだろう。


「十日間一緒にいて、シオン君なら他言しないかな、と思ったからです。私は商売を通して沢山の人を見てきましたから、目を通して何となくその人のことが分かります」


「そうかよ。悪いけど、関わりたくもなかったよ。でも、聞いちゃったし、たまには手伝うくらい············」


 他人に言えない点。俺はまだ出来てないけど、誰かのために戦う点。

 アメイラの境遇に共感めいたものがあったから、打算から始めた会話でも、本心は助けを求めているのかと思ったから。


 そして、セリアなら迷わずに手を差し伸べるだろうから。気づけばそう言っていた。


「それに、助けてくれるとも思ってました。シオン君。ぶっきらぼうに装っていても、本心は脆くてブレブレですからね」


 前言撤回。アメイラは、打算主義の厄介女らしい。

 今思えば、普段明るく振る舞っているのも、本心をひた隠しにするためだろう。何てこと知っちゃったんだよ!


 ああ、本当に。ここ最近。厄介事ばかりだ。


「知らねえからな?!そんなこと知らないから!!帰る!!」


 無意識のうちに怒鳴り散らしてしまう。すると、アメイラの肩が過剰な程に飛び上がった。


 ······過去、アメイラは奴隷だった。トラウマの一つや二つはあるだろう。


 くそっ。


「······はぁ。もうやだ。俺は帰るから。明日からはまた普通に頼むぞ」


 そう吐き捨てて踵を返し。だが、俺の背中をその場に縫い付けるように、声が掛かる。


「おにいちゃん。かえっちゃうの?」


 本当に、もう。

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