悲しみのバッド・エンド
夕暮れの中、家から少し離れたところにある小さな湖の前に、千秋は立っていた。湖は夕暮れの光をまぶしいくらいに照らして、きらきらと光り輝いている。風が強く吹いていて、その少し肌寒い感触が夏の終わりを感じさせた。
「千秋!」
後ろから声がする。千秋が振り向くと、そこには濃い青色のワンピースを着て、精一杯のおしゃれをしているルカが立っていた。
「さっき帰ってきたら千秋がどこか行ったっていうから心配したわよ・・・。もうご飯だから早く」
と言いかけたルカの声は、千秋が手に持っているものが見えた瞬間に途切れた。
「千秋・・・それ・・・・・・」
しばらくの沈黙ののち、ルカが震えた声で言う。
「ごめん、たまたま見ちゃったんだ。小説家が他の小説家の原稿を見るなんて失格だよな。でも、少しくらい相談してくれてもよかったんじゃないか?」
千秋はそう言って原稿をルカに渡した。ルカはすかさず渡された数枚の原稿に目を通して、そしてがくっと肩を落とす。
「それ、僕が主人公の小説の続きだよね?インクがまだ滲んでいるし、それ自体も途中で終わってる。でも、その原稿の部分はまだ僕の人生じゃない」
ルカは黙って俯いている。
千秋は畳みかけるように言った。
「昨日夜遅くまで書いてたっていうのは、僕が主人公の小説の続きだろ?その僕と七瀬さんが結ばれるって内容の小説は」
語尾が強くなった千秋の声に、ルカは一瞬はっと顔をあげ何かを言いかけて、再び俯いた。
千秋が部屋で見たものは、ニールへの恋文でもなんでもなく、一束の原稿用紙だった。
なんだ、何か他の小説でも書いてるのかと手に取ってみて、千秋は固まった。
原稿用紙の最初に書かれているタイトル名は、「東条千秋」だった。
(この世界では、名前をタイトルにするのが普通なの)
前にルカがそう言っていた。すると、この小説は僕の小説なのか。でも、それがなぜここに?
そこに書いてあったのは、千秋の人生そのものだった。生まれてから、というわけではなく、どうやら中学に入ってからのことがメインになっているようだ。中学で朔に出会うこととか、文化祭の話とか、かなり細かく書かれている。やはり知っていたとはいえ、人生そのものが書かれているというのはどうも変な感じだ。
(やっぱあんまし面白いもんじゃないな、ちょっと怖いし)
そう思って机に置こうとして、千秋は妙なことに気が付いた。
(話のスピードのわりに、枚数多くないか?)
高校に入ってからのページ数が異常に多い。よく見ると、後ろのほうはまだインクがにじんでいるようで、手にかすかに黒い染みがつく。
不思議に思って千秋が後ろの何枚かを抜き出してみると、そこに書いてあったのは、千秋も見たことのない話だった。
※※※※
夏のさわやかな風と、あざやかな緑色の景色とは対照的に、千秋の胸は不自然なくらいに高鳴っていた。目の前の七瀬から言われた言葉を、自分でまだ信じることができない。
「七瀬さん、もう一回言っ・・・」
「千秋くん、私あなたのことが好きなの」
今まで、何度この言葉を考えていただろう。何度この言葉を言おうとしただろう。でも、その言葉は他でもない、七瀬さんの口から言われたんだ。断る理由なんて、どこにもなかった。
※※※※
「どうして、続きを書いたんだ?」
千秋は静かに聞いた。
「それは・・・」
ルカは口ごもったきり何も言わない。
「伏線もない。きっかけもない。描写も粗いし、なんで七瀬さんが僕に告白する流れになるのか、今までの話にも書いてない。それなのに、インクもにじむくらいの短時間で書いてる。そんなに僕のことを七瀬さんとくっつけたかったの?」
「違うの!そういうわけじゃなくて!」
手に持っている原稿をくしゃっと胸に引き寄せて、こらえたものを吐き出すようにルカは叫んだ。金色の髪を留めている青いリボンが儚く揺れる。
「でも、そういうことなんじゃないのか?前に言ってたことは嘘だったみだいだし」
違う。
こんなに。こんなに冷たい声を出すつもりはないんだ。こんな口調で言うつもりもないし、ひどいことを言うつもりもない。
それなのに、なんで。
「違うよ!私はただ、千秋に・・・」
わかってる。そんなことぜんぶわかってる。でも口がいうことを聞かない。声が頭の中の思考を追い越していく。
「でも、そうだよな。僕はこの世界の人間じゃないし、本当のこと言う必要はないもんな。所詮創作の一キャラクターでしか・・・」
言いかけた瞬間、耳元でぱんっ、と言う音が鳴った。
「バカ!!そんなわけないじゃない!!私は・・・、私はそういう風になんか思ってなかった!私はあなたにも・・・!」
ルカはうつむいて叫ぶ。前髪で目は見えないが、声は震えていた。
「あなたにも、幸せになってほしいのよ!あなたにもハッピーエンドが来てほしい。でも、ニール君にもユキにも幸せになってほしいの!私が前に言ってたことと、何にも矛盾はないでしょう?!ニール君とべつに付き合うつもりなんてない!でも彼を傷つけることだって・・・」
だめだ。こんな返し方をしたら、傷つける。でも口は言うことを聞かない。
「『全部ハッピーエンド』なんて、出来るわけない!!誰かが必ずしわ寄せがくる!誰もかれも幸せになれる世界なんてないんだ!!」
矛盾してる。心にもないことを言ってる。でももう、止められない。
「なんでそんなことを言うの?!あなただって言ってたじゃない、全部幸せになればいいって!それをやっただけじゃない!私はあなたのためにやったのよ!!」
「なんでもかんでもうまくいくわけないだろ!!自分だけ傷付けないようにして、それでこれは『僕のため』だって言うんだろ?!僕がもとの世界に戻ったら七瀬さんと結ばれるように!でもそんなことされたって、嬉しくもなんともない!何も救われてない!そんな小説を書かれたって、何も誰も、救われない!僕の運命を勝手に決めるな!!」
自分の言いたいことだけ好き放題言った僕の前には、ルカの顔があった。
涙が流れる彼女の顔を、千秋は一瞬認識できなかった。涙でゆがんだルカの口もとが微妙に動いたことだけが、かろうじて見えた。
その瞬間。
「ぐっ・・・」
頭を内部から砕くような、衝撃的な頭痛が千秋を襲った。
「うぐ・・・」
(この痛み・・・前にも一度・・・)
そう。あれはもとの世界から来たときも、同じ頭痛だった。
(ルカ・・・!)
必死に前を見ると、ルカも同じように頭を抱えてうずくまっている。
「い、痛い・・・っ!うぅあああぁぁぁ・・・」
(ルカ!)
ルカのもとに向かおうとするが、千秋は痛みのあまり膝から崩れ落ちる。
その瞬間、周りの世界が一瞬にして巻き戻されたようにぐにゃりと曲がり、茶色い背景と赤いカーペットに変わっていった。
(ここは・・・図書館・・・?)
その風景はまさしく、この頭痛を受けて最初に飛んできた図書館の風景そのものだった。赤いカーペット、大きな本棚、そして大量の分厚い本。それらすべてが、超高性能な絵の具によって塗り替えられたみたいに一瞬にして現れた。一つ変わらないのは、目の前でルカが苦しそうに頭を抱えて地面に倒れ伏していることだけだ。
そして、背景すべてが塗り替わったと思った瞬間。
ぴしっ
変な音が耳元で響いた。
その音はどんどん連鎖し、絵の具が乾いていくように周りの風景がどんどんひび割れていく。それに呼応するように、頭痛はさらに激しくなった。天井からだんだんとひび割れていき、ついには千秋のいる赤いカーペットまでもばらばらと崩れ始めた。
「・・・・・・ル・・・カ・・・・・・!」
渾身の力を込めて声を出す。
ルカは地面に倒れこんでいたが、微かに目を開けて千秋に手を伸ばそうとした。
「ち、あき」
その瞬間、千秋の下の地面が抜けて、目の前が真っ暗になった。体は空から落ちるようにひゅうっ、と軽くなり、千秋は体が浮いている錯覚を受けた。暗い暗い底へと、ゆっくりと落ちていっていることだけがわかる。
落ちていく刹那の間、千秋は考えていた。
ルカは大丈夫だろうか。
でも落ちているのは自分だけだ。ルカは平気だろう。でももうなんだか、会えない気もする。せめてもう一度だけ、普通に話しておきたかったな。
(ルカ・・・)
声にならない声が、闇の中で寂しく鳴った。それきり目の前は暗く染まっていき、意識も薄れていく。まるで眠りにつくような感覚だ。
『ごめんね、千秋』
途切れていく意識の中で、ルカの声が耳にかすかに響いた。その声はとても、とても悲しい声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます