第3章

魔法の学園

 目が覚めると、そこは元の世界だった。


 というのが大体の異世界ものの典型的なパターンで、そのあと主人公はそのまま現実世界にいるか、それとも愛する者のためにもう一度異世界に逆戻りするという二者択一に迫られることになる。

 しかし現実(?)はそんな甘くはなく、千秋は目を覚ました時、寝床から見える窓から、一つ一つのうろこが山一つ分ほどもあるとんでもなく大きい竜が目に入って、自分がもとの世界に戻れていないことを悟らされた。


 昨日ひとしきりルカから説教された後、ユキのおばあさんが帰ってきたのでユキが事情を説明して、しばらくの間泊めてくれることになった。最初は女の子の家に止まるなんてできないと今更ながらの弁明をしたが、ユキの家は二階に物置部屋があり、たまに旅先の人間が泊まるので問題ないということだった。女の子二人の家に見知らぬ人間を止めるのはどうなのだろうかと思うが、こっちの世界の感覚とは少しずれているのかもしれない。まあもっとも、ユキのおじさんは小石川晴彦の小説通りなら相当のつわものなので、わざわざその姪にちょっかいを出す人間はいないのかもしれないが。


 とにかく、夢オチとか、起きたらもとに戻っている、みたいなものではなかったようだ。元の世界に戻るためにも、なぜこっちに来てしまったのかをはやく知らなければならない。

 物置部屋と言われた部屋は物置というほど何かが置いてあるわけでもなく、赤いすこしほこりをかぶったカーペットと、いくつかのよくわからない機械や掃除機のようなものが置いてあるだけの、大体10畳はあろうかという大きな部屋だった。千秋は昨日ユキが持ってきてくれた布団(洋風なのにこういうところが和風なのは、単純に設定を作りこんでいなかったからなのだろうか)を抜け出して、おそらく初夏であろう窓を開けて悠々と飛ぶ竜のせいで陰っている太陽を見上げた。

(それにしても、こんな世界があるなんてなあ)

 それだけじゃない。何ならもっと驚いたのは、自分たちの世界がこっちの世界で小説に書かれている、ということだ。


(どっちが先、なんだろう)

 千秋は思う。自分たちの生活をこっちの世界の住人が後追いで書いているのか、それともこっちの世界の住人が書いたことが、自分たちの現実になっているのか。


 後者だとしたら、相当怖い。

 自分たちは自分の意思で動いているわけではなく、こっちの世界の住人の意思が関わっている、ということになる。もっとも、昨日の話から考えれば、自分たちもまたこっちの世界の意思に関わっているということになるのだが。

(運命なんて信じてなかったけど、ある意味あるのかもな)

 もしかしたら、ルカも自分のことを知っているんだろうか。自分がキャラクターの側でもあるなんて、正直想像もしてなかったし、今でも実感がわかない。昨日はいろんなことがありすぎて考える余裕もなかったが、いざ自分が作ったキャラクターに自分自身が作られている、という今の状況を考えてみると、自分の運命まで知られているような、胸がつかまれるようなひやっとする恐怖を感じる。

(まあ、ルカがどこまで自分のことを知っているのか、あとで聞いてみるか)

 もやもやを振り払うように、千秋は竜に隠れていた太陽が差し込み始めた部屋で、うーん、と一つ背伸びをした。


「おあよー」

 ルカがもしゃもしゃとパンを食べながら挨拶をしてきた。ルカは昨日の白いワンピースとは違い、黒いシャツに動きやすそうな茶色いハーフパンツ、そして特徴的な黒と赤の刺繍が施されたローブのようなものを着ていた。さながら魔法使いのようで、千秋はこんな設定作ったことあったっけな、と思う。ルカは朝には弱いのか、昨日まであれほどきれいにまとまっていた髪は寝癖でぼさぼさになっていて、目は半開きになっている。

「昨日と服違うけど、今日どこか行くの?」

 千秋が問うと、パンをごっくん、と飲み込んでから、ルカが怪訝な顔で言った。

「学園よ。当たり前でしょ?今日は月曜日なんだし。あなた私の作者なんだったらそれくらい知ってなさいよ」

 そもそも月曜日という概念があるのかとか、自分が作者だなんてことをもう受け止めているのか、朝のもやもやはなんだったんだなど、千秋の頭の中には色々な考えが流れていったが、とにかくいまは郷に入っては郷に従え、というものだろう。

「たしかに学園って設定は作った気がする。でも、名前とかまで考えてなかったなあ・・・」

「リクール魔法学園、よ。というか名前とかの設定考えてなかったの?」

「うん・・・」

 よく考えてみれば、こんな風に設定から漏れている部分は都合よく補強されていたり、追加の設定があったりというのが結構ある。そもそもユキのおじさんなんて作ってないし、ルカが朝よわいとか、家の内装とか、学園の名前なんていうのは千秋が設定してないものだった。

「まったくだめね。私なんて設定をものすごく細かくしたんだから。微に入り細を穿つとはまさにこのことね。あなたのことなら何でも言い当てられるわよ」

 きれいに装飾された白いお皿の上の緑色の野菜を、箸で器用に横にどけながら、ルカは自慢げに言う。

「たとえば?」

「あなたの好きな人」

「・・・もしかしてそれ、小説に書いてたのか?」

「そうよ?」

「・・・」

 ということは、もし仮にルカの小説が書いていたのが自分の世界に影響を与えていたのだとしたら、七瀬さんを好きになったのも、もしかしたらルカの意思が働いていたのかもしれない。

 そう思うと、なんだかとても奇妙な、どこか心の奥底をまさぐられているような感覚を千秋は覚えた。

「まあとにかく、せっかくユキがごはん作ってくれたんだから食べなさい。話はあとで。あと、ユキのおばあさんが話があるって言ってたわよ」



 朝食を食べ終えてリビングのソファに座っていると、

「待たせちゃったかしら。ごめんなさいね」

 と柔らかい、おっとりとした年老いたおばあさんの声が聞こえた。

「いえいえ、さっきご飯食べ終わったばかりで。それより、お話って・・・?」

 ルカはユキと一緒に学園の準備をしに2階に上がっていった。千秋はおばあさんから話があると聞いて、ここで待っていたのだ。

 ご飯はどうだったかしら、とか寝巻薄くなかったかしら、などを一通り聞いてくれたが、どれもこれもびっくりするほど千秋の世界と変わらず、もしかして同じ世界なんじゃないかとまで思うくらいだったので全く問題なかった。おばあさんはよかった、とにこにこ笑う。

「それでね、あなた違う世界から来た人でしょ?」

 おばあさんが唐突に、声音も変えず聞いてきた。思わず身構える。

「あ、違うの違うの。べつにこっちの世界ではけっこうあることなのよ。その反応だと、あなたの世界ではあまり世界の行き来の仕組みは知られてないみたいね」

 おばあさんは前で手を振って弁明したあと、訳知りふうな話し方をした。

「おばあさんは、今僕に起こっていることを知っているんですか?」

 千秋は思わず身を乗り出して聞いてしまった。すると、おばあさんは少し困った顔をして、

「期待させてしまって申し訳ないのだけれど、私も全部は知らないの。私が知っているのは、というよりも、このあたりに住んでる人は、けっこうよくそういう人に会うのよ。初めて会ったとき、ユキはあんまり怖がらなかったでしょう?」

 確かに言われてみれば、普通あり得ないことが起こっているのに、ルカに比べてユキはかなり最初から順応していた。

「このあたりの地域が特殊なのかもしれないけどね、この辺りは、そういう『ここではない世界』から来た人が現れる確率が高いらしいわ。ただ、あまり細かい仕組みはまだ詳しくわかっていないのよ。それで、とりあえず混乱する人たちを、この地域に住んでいる人がたまにしばらく留めさせてあげたりしてるの」

 だからたまに客が泊まると言っていたのか。部屋や布団などの準備がしっかりあったことも頷ける。

「それにしても、僕以外にもそういう人がいるんですね」

 千秋にとっては有り難いニュースである。もしそういう人がほかにもいるなら、一緒に戻る方法を考えられるかもしれない。

「そうなんだけどね。そういう人たちって、決まってしばらくしたら急にいなくなるのよ」

 おばあさんは少し陰った顔をして言った。

 なんだかぞっとしない話だ。その人たちはどこに行ったのだろう。元の世界に戻ったのか、他の世界に行ってしまったのか、それとも・・・。


 不安な顔をして考え込む千秋に配慮してか、明るい声でおばあさんが言った。

「でもね、原因とかが全くわかってないわけじゃないの。ちょうどユキとルカが下りて・・・」

 と言いかけたところで、どたどたとルカが走って降りてきた。続いて「ルカ!帽子忘れてる!帽子!」と言いながらユキが降りてくる。

「あ、忘れてたわ」

「まったく・・・。それでどうやって学園に入るのよお・・・」

 まるで出来の悪い妹と面倒見の良い姉のようだ。男兄弟しかいない千秋にとっては新鮮な風景である。

 ルカはおばあさんの方に向き直ると、

「もうお話終わったの?」

 と親しげに聞いた。ルカとおばあさんは千秋の設定上血はつながってないはずだが、傍から見れば祖母と孫そのままだ。おばあさんのルカを見る目も優しい。

「ええ、終わったわよ。それでね、千秋くんを学園に連れて行ってくれないかしら?」

「え?どうして?」

 これには千秋も驚いた。なぜその学園に行くのだろうか。

 おばあさんはルカと千秋を交互に見て言った。

「あのね、ルカとユキが行っている学園に権威ある大教授がいらっしゃるの。この世界でもトップクラスの知識を持っている方々だから、彼らに聞きに行けば何かわかるかもしれないわ」

「大教授?!」

 ルカとユキが声をそろえて叫んだ。大教授?

「大教授ってあの、塔のてっぺんに住んでる偉い人だよね・・・?」

 ユキも動揺している。おばあさんはそうよ、と言って、手紙をルカに手渡した。

「その大教授の一人がね、私の知り合いなのよ。この手紙を≪アーサー・ジョン≫っていう方に届けてください、と言えば、会えるはずよ」

「おばあちゃん・・・すごいね・・・」

 ルカは呆然として言った。千秋にはあまりそのすごさはわからないが、こちらの世界では総理大臣に会えるみたいなかんじなのだろうか。

 ユキはそんな人に会えるんだ、と楽しそうにしていたが、ルカは少し顔が浮かない。

「ルカ、どうかしたの?」

 おばあさんが心配そうに尋ねる。ルカはううん、と首を振ったが、少し顔が赤い。

「そういうわけじゃないんだけど、その・・・」

 ルカは急に歯切れが悪くなって、うつむいてぽしょぽしょと言った。

「だって、千秋が私の作者ってことは・・・その・・・・・・、私の恋愛事情とかも・・・書いてるってことで、その・・・」

 さっきの元気はどこに行ったのか、打って変わって顔を真っ赤にしてもしょもしょとつぶやく。あんまりよく聞こえないが、千秋と同じようにルカもそれを気にしていたのだろう。

 確かに千秋が書いてる小説では、ルカには好きな人がいて、でも好きだと言えていない、という内容である。ただ書いている途中でこっちに飛ばされてきてしまったので、どうなっているのかはわからない。だが、この反応を見ると、大教授に会うのがいやなのではなく、学園に千秋が来てニールと会うのが嫌なのだろう。

「千秋くん、ルカの好きな人、知ってる?」

「わっ!ばか!べつにそういうのじゃないから!」

 ユキは早くも気づいているようだ。知らない、と言うべきかとも思ったが、ここで嘘をついても仕方がない。

「うん、、『ニール』、で合ってる?」

「何でいうのよ!ばかっ!!!」

 真っ赤な顔をしたルカの渾身の右ストレートが、千秋の頬にめり込んだ。



「千秋くん、大丈夫・・・?」

 ユキが心配そうにのぞき込んでくる。家を出て、3人は魔法で晴れ渡った空を飛んでいる。ルカが手をつないでくれなかったので、ユキが代わりに引っ張ってくれることになった。艶やかな白髪はきれいに切りそろえられていて、ひらひらと風に揺れている。大きくて丸い目を少し細めて、抑え気味の声で聞いてくるその姿は、彼女が裏表のない優しい女の子であることを納得させた。

「うん、たぶん」

 そう言って千秋ははにかむ。やっぱりこの子をヒロインにすべきだったかなと千秋は心の中で言った。ちらとユキの横を見ると、ふくれっ面で空を飛ぶルカの姿がある。華奢な体をしているのに、なぜこうも力強い女の子にしてしまったのだろう。昨日の図書館でもそうだったが、やはりちょっとパワー方面にスペックを全振りしすぎたなと改めて後悔する。


「何よ、なんか文句でもあるの?」

 いつの間に気づいたのか、じとっとした目でルカが聞いてきた。

「いや、さっきは悪かったって」

「言っとくけどね、私だってあなたの好きな人やらなにやら全部知ってるんだからね。学園で変なことしたら全部言いふらすから」

「でもこの子この世界の人じゃないんでしょ?」

 ユキが素早くツッコミを入れる。いい相性の二人なのだろう。ルカは「むー」とむくれている。ユキは千秋に「こうなったらしばらくこうだから」と言うと、

「おばあちゃん、昔はすごい作家だったのよ。最近ルカが小説を書き始めたのもおばあちゃんの影響なの」

 そう言ってユキは笑った。ルカとおばあちゃんが仲良くしているのを心底嬉しがっている、そんな表情だ。千秋も思わず顔がほころぶ。

「ところで、おばあちゃん、さっきの話以外に何か話してた?」

「うーん、服とかの話はあったけど、あとは、僕みたいな人は結構いるって話はしてた。それでこっちの世界ではそれがあるって知られてるってことも」

「そうね。私は結構長い間住んでるから知っていたわ。でも君みたいに小説の主人公に会う、なんて突飛な人はなかなかいないけどね。ルカはつい最近こっちに来たから、あんまり知らないの」

 つい最近、ということは、千秋の小説通りやはりルカには王位継承戦争の英雄だった、という過去があるのだろうか。もしルカのその過去の辛苦の一端に自分の小説が影響していたのだろうか、と思うと、つい心が暗くなる。そういった目で見ると、どこかルカははかなげで、千秋は少し申し訳ない気持ちになった。

「まあ、おばあちゃんの手紙もあるし、まずは大教授に手紙を出しに行こ。私もルカも今日は講義午後からだから」


 いくつかの山並みや城、活火山などさまざまな地形を飛び越えて、3人にはやがて街らしきところに着いた。

「ほら見て、ここがリクールの街よ」

 ユキが町が見渡せる上空で、もうすぐ下まで迫った市街地を指さして教えてくれた。

 そこは、千秋の感覚では街、とは言えないほどのまとまりのない市街地だった。昨日見たところと同じく、様々な建築様式やら建物やらがごっちゃに立ち並び、かすかに見える人影にも全く人間とは思えないものも多い。上空にはたくさんの人が飛んでおり、さながらラジコン機が大量に空を飛んでいるようだ。いつか自分の世界も、こんなふうにみんなが自由に飛ぶ社会になるのかもな、と思う。

「昨日来た図書館もここなのよ」

 とルカは目をきらきらさせて言う。さっきの不機嫌は治ったらしく、嬉しそうにきょろきょろしている。

「さて、じゃあ学園に行こっか、っていっても、あれだからすぐそこなんだけどね」

 そう言ってルカは指さしていた先を下から前に向けた。


 その指の先には、巨大な時計をはめ込んだ、荘厳な城が佇んでいる。中世の王様の城と言われても納得してしまいそうな巨大なその建物は、町の中心に悠然とそびえ立っていた。茶色い外壁は年代を思わせる渋みがあって、千秋は思わず「すげー・・・」とつぶやいてしまった。ふと横を見ると、ルカもぽーっと城を見つめている。

 城、というと千秋はどうしても地元にある江戸時代に建てられた城を思い出してしまう。白い城壁に瓦の屋根、そして天守閣といったイメージが、千秋の中にはある。しかし目の前にあるその城は、三角に尖った屋根と、それに従うようにその少し下に立ち並ぶいくつかの棟のそれぞれに広大な敷地の建物が広がっていて、とんでもない大きさを誇っていた。


「あれ全部、学園・・・?」

「そうだよ。で、あの大時計がある一番大きい棟の最上階にいるのが、大教授たちなの」

 そんな人たちに会いに行くのか。今更ながらちょっと怖くなって、千秋はユキとつないでいる手が汗でにじんでいないか心配になった。


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