ファンタジーのお約束


 その扉の外の風景を見た時、千秋はまず何よりも、激しい脱力感に襲われた。


 ファンタジーの物語や異世界に転生する、なんて最近はやりの物語の中の主人公というのは、たいていその世界にすんなりと順応したり、その状況を瞬時に(その脳を他のところで活かせばいいのにと千秋は常々思っているが)理解できることが多い。

 だが実際に、気づいたら全く違う世界にいつの間にかいるという状況に置かれてわかる。まるで幼いころに遊園地で親とはぐれて迷子になってしまった時のような、あのなんとも言えない寂莫感というか、背筋がぞっとして動悸が早くなる感覚に襲われるのである。

 おまけに、千秋の目の前に広がっているその世界が、千秋の動揺をさらに加速させた。図書館の外の世界は、閑古鳥の広場や、取り残されたようにぽつん、と残った千秋の自転車などどこにもない。そこは、何もかもが「意味不明」の世界だった。


 扉を開けた先に一直線に茶色いレンガの地面が通っている。そしてその道の両脇には、いわゆるバザーのような形で露店が立ち並んでいる。


 問題は、その露店の有様である。

 一番手前の露店は、黒髪のきれいな女の人がにこにこしながら服を売っていた。千秋たちが来ているような、いわゆる普通の「洋服」だ。そしてその隣には、その女性より耳が5倍くらい長くて目の細い、緑のオーブをまとった生き物がガラス細工を売っているのである。おまけにそのまた隣では、よくマンガで商店街を書くときに描かれるようないわゆる「魚屋のおっちゃん」そのまんま、「へいらっしゃい!奥さん、今日はいい魚入ってるよぉ~!」と叫ぶオッサンが魚を売っている。

 そしてその一本道に連なる露店の両脇には、いくつかの家が並んでいる。またその建物群がなんとも奇妙なのだ。

 右側手前から順番に、木造の平屋建て和風建築、その次は洋風一軒家、その隣は中世風レンガ造り巨大邸宅。しまいには左側には教会と神社が隣同士で建っていて、教会のものであろう十字架と神社のものであろう鳥居がなんとも異様な雰囲気を漂わせている。

 千秋はそれらの風景と街並み、人を見て、体の中がけいれんするような感覚を受けた。胸のあたりがじんじんと痛み、耳のあたりで「ドクン、ドクン」という音が聞こえる。


 何もかもがごちゃごちゃに混ざり合っているその景色は、田舎から出たことがなく、家は日本の住宅、二足歩行で歩いてしゃべって物を売る生物は人間だけ、という固定観念にとらわれている千秋を動揺させるに十分だった。人は、均衡を保っていたものがばらばらに配置されると激しく動揺する。ましてや、まったく違う世界に来てしまったのでは、と疑う千秋に対して、この不均衡この上ない風景はさらなる動揺を巻き起こさせるに十分だった。

「ここ・・・どこだよ・・・・・・」

 さっきまで少しだけ落ち着いていた余裕はどこへ飛んでいったのか、千秋はてをぶらん、と無気力に垂らす。正直、もう頭の容量がパンクしそうだった。


 すると、隣で千秋の様子をじっと観察していたルカは心配そうに上目遣いで千秋を見つめながら、

「ねえ、大丈夫?」

 と聞いてきた。

 呆然としている千秋はしばらく返事ができなかった。正直ルカの言葉も半ば聞こえていない。頭はフル回転しているが答えは何も出してくれない。というよりも、いきなりよくわからない異世界に来て、平然としているほうがどうかしている。千秋は至極まっとうに、ただ茫然としていた。


 パンッ!!


 急に、肩に痛みが走る。

 はっと我に返って前を見ると、いつの間にか目の前にいたルカが千秋の両肩に手を伸ばして思い切り叩いていた。

「とりあえず、『確認』しましょう。ここでぼーっとしていても始まらないわ。わたしが協力してあげるから、今の状況をもう一度整理するの。だから落ち着いて?」

 もともと芯の強い子なのだろうか、それとも彼女はもとからこっちの住人だからダメージが少ないのか。おそらくどちらも正しいのだろう。碧色に輝く瞳はまっすぐに千秋の茶色い目を見つめ、肩にこもる力には優しさがあった。

「とにかく、ここで話すわけにはいかないわね。どこかに移動しなきゃ。あなた、魔法は使える?」

 当然のように聞かれたが、魔法なんてこの世には存在しない。はずだった。

「いや、使えない。君は使えるの?」

「君じゃなくて、ルカでいいわ。なんだか初対面の感じ、しないしね」

「わかった・・・、ルカは魔法使えるの?」

「うーん、私もこの間知ったばっかりだからあんまり使えないんだけど、浮遊くらいはできるわ。でも千秋、でいいわよね、千秋が使えないってなると、うーん・・・」

 ルカは水色の大きな蝶々結びのリボンを時々撫でながら、眉間にしわを寄せて考えている。何か計算でもしているのだろうか。先ほどのルカの励ましで少し平静を取り戻した千秋は、改めて目の前のルカが小説の中の『ルカ』にそっくりであることに気が付いた。

 千秋の小説の中の『ルカ』は、金髪に碧色の澄んだ目、整った顔立ち、まつげが長くて、そして何よりも特徴的な水色の大きなリボンをしている設定になっている。緊張していたり思考を巡らせている時はそのリボンを触ってしまうのが最近の癖、ということにして人間らしさを醸し出そうとしたのだが、確かにこうやって実際に見てみると、いかにも女の子の癖ってかんじだ。ただ予想外だったのが声である。正直声は想定していなかったのだが、今聞いているルカの声は、千秋のイメージの中でしゃべっているルカの声そのままなような気もする。ルカの声に素直に反応できるのも、あるいは自分のイメージにぴったり合った、澄んだよく響く声だからなのかもしれない。

「千秋って体重いくつ?」

 唐突にルカが聞いてきた。

「体重?体重っていう概念はあるの?キログラム、とか?」

「うん、そうそう。体重はキログラムよ。こういうのもあとで確認しましょう。で、何キログラムなの?」

「50」

「・・・は?」

 急にルカが素っ頓狂な声を上げた。何か間違ったことでも言ってしまったのだろうか。

「もう一度言ってくれない?」

「50」

「うそでしょ?」

 目の前のルカは千秋と初めて会った時と同じくらい動揺している。

「50・・・?そんな・・・私と大して変わらないじゃない・・・、確かにやせ形っていう設定にしたけど、そんな軽くした覚えはないわよ・・・」

 どうやら体重が思ったより自分と近いことに動揺していたようだ。涙目になって少しかわいそうだが、そんな急に怒られても。というかもしかして僕がやせているのはルカのせいなのか?

「そんなこと言ったって・・・、じゃあルカはいくつなの?」

「言うわけないでしょバカ!!」

 その瞬間、わき腹にものすごいショックが走り、千秋は軽く5mは吹っ飛んだ。千秋はレンガで舗装されたゴツゴツした地面に、どこかのヤムチ○さんのように倒れ伏す。

「あれ?そんなに強く蹴った覚えはないんだけど・・・」

 女の子でかわいいのに剛力という設定にしたのは間違えたかもしれない、と千秋は地面に転がりながら深く反省した。


「えー、おほん」

 さっきのはおあいこよ、と言わんばかりの仰々しい咳払いをひとつ、ルカは話し始めた。

「これから魔法で飛ぶけど、あんまり高くは飛べないからね。あときっと見慣れない景色ばかりだと思うから動揺すると思うけど、できるだけ動かないこと。手をつないでいる限りは私の魔法の効果があなたにも適用されるけど、手を離しちゃったら魔法使えない千秋は落っこっちゃうから」

 この世界の魔法は、特に道具は使わないらしい。箒を使うのかなとか思ったけど、ルカはどうやら使わないみたいだ。

「昔は箒を使って飛ぶ魔法使いは結構いたらしいんだけどね」

 とルカは話す。

 魔法使いの話も気になったが、それより、千秋には聞きたいことがあった。

「それよりもルカ、これからどこに向かうの?」

 さっきルカは「人が多くない所」と言っていた。でもこんな人(人外みたいなのも沢山いるが)がごった返しているのにそんなところあるのだろうか。「どこって、私の家よ」

 ルカは平然とそう答えた。

「家?!」

「そう、まあ私いま居候してるから、性格には友達の家だけど」

「でも、ルカは僕のこと何も知らないのに、家に連れていっていいの?正直素性もわからないのに、警戒とかしないの?」

 平和な国日本でも、知らない人をおうちに呼んではいけません、家にあげてはいけませんは共通のルールである。もちろん千秋自身に何かやましいことはないしするつもりもないが、少し不用心過ぎないだろうか。

 しかしルカはそれを聞いてくすくすと笑いだした。今まで笑った顔は見たことはなかったけど、やはり笑顔というものは実物がいいものらしい。千秋が小説を書きながらイメージしていた笑顔の何倍も、花のようにかわいらしい笑顔だった。

「素性もわからないって、今のところあなたは私の小説の主人公そのままなのよ。名前とか容姿だけじゃなくて、声とか性格とかもね。むしろずっと昔から知っている人みたいなんだから」

「いや、それはそうだけど・・・」

「それにね」

 ルカはずいっと顔を前に出して、腰に手をあてて誇らしげに言った。

「わたし、人を見る目だけは確かなのよ。あなたは嘘をついてない。信じるわ。だからあなたもわたしを信じてほしいの」

 芯が強く、そして人を惹きつけるような話し方と笑顔。

 まさに千秋が書きたかった『ルカ』そのものだ。千秋も初めて会ったのに、中学の時の友人に久しぶりにあったような、温かい親近感をルカに感じていた。

「うん、わかった。信じるよ。ありがとう、ルカ」

 そう言うと、ルカはちょっと照れくさそうにふいっと顔をそらして、

「じゃあ、いくわよ」

 と図書館の前で力強く叫んだ。

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