ふたりの主人公

 

 一瞬で背中にさあっと冷や汗が流れた。体中の産毛が逆立ち、声にならない声が口からこぼれ出る。

「・・・っ・・・、え・・・・・・?」

 千秋はくぐもった情けない声を発して、彼女の質問に答えた。


 なんで?

 なんでこの子が、自分の名前を呼ぶんだ?

 もしかして本当に『ルカ』なのか?

 でももしそうだとしても、なぜ僕の名前を知っている?

 知り合い?いや、こんな子初めて見た。

 それとも向こうも人違いか?でもそんな偶然ある?


「―――!――ぇーー、―――ねえ!・・・ねえ聞こえてる?!」


 木琴を叩いたような澄んだ声が耳元で鳴って、千秋ははっと我に返って前を見た。

 そこには、同じく動揺しているであろう少女が、椅子から立ち上がってまっすぐにこっちを見ていた。

「あっ・・・、ごめん」

「ねえ、あなた、何で私の名前を知ってるの?」

 目の前の少女は、半ば疑い、半ば興味といった目で聞いてきた。それにしても、やっぱり『ルカ』なのか。

「っていうか・・・、そっちこそ、なんで僕のこと千秋って知ってるの?」

 まさか自分の小説の主人公だなんて言えない。言ってもあまりに荒唐無稽過ぎて信じてもらえないだろう。

「えっ・・・、えと、その・・・、っていうかあなた、本当に『千秋』なの?」

 さっきの威勢とは打って変わって口ごもった『ルカ』は、目をぱちぱちとしばたたかせて聞いてきた。『千秋』のところが妙に強調されているあたり、やはり自分のことを知っているのだろうか。でも相手は自分の主人公と同じ名前の『ルカ』だという。謎は深まるばかりだ。

「うん、僕は千秋で合ってる。東条千秋。・・・僕って一度、君に会ったことあったっけ?」

 とりあえず一番現実的な路線で聞いてみる。

「ううん、会ったことはない、と思うんだけど・・・」

 向こうに見覚えがあるんだったら自分が忘れているだけなのだが、これでその線も消えた。

 となると、やはり彼女は小説の中の『ルカ』なのだろうか。でもなぜ名前を?

 やはり、自分が書いている主人公と瓜二つなんだ、と正直に言った方がいいのだろうか。信じてもらえるかはわからないが・・・。そんなことを考えて逡巡していると、机に手をついて前のめりになっていた『ルカ』は体勢を戻し、すこし迷った風に手を前に組んで、

「その・・・」

 と小さくつぶやいた。何か言ったのかと思い千秋が「え?」と聞き返すと、

「その・・・、今から言うこと、たぶん信じられないかもしれないけど、聞いてもらえるかしら」

 とごにょごにょと話し始めた。さっきまであんなに威勢がよかったのに、急にどうしたんだろう。

「うん」

「その・・・、ね。信じられないかもしれないけど」

 信じられないことなら今まさに起きている。どんな信じられないことでも受け止める自身が千秋にはあった。

「あなた、私が書いている小説の主人公と、名前も容姿もそっくりなの・・・」


 ・・・マジで?


「え?ちょっちょっと待って?いま何て」

「だから!」

『ルカ』は意味不明なことを言っていると思われて恥ずかしがっているのか、顔を赤くして、机にばん、と手をつき叫んだ。

「信じられないかもしれないけど、あなた私の書いてる小説の主人公そっくりなのよ!しかも見た目が似てる人なのかと思ったら、私の名前急に言うし、おまけに名前まで一緒で・・・?いったいどうなってるの?!」

 と一気にまくし立てた。そんなこと言われてもこっちが知りたいくらいだ。むしろさらに謎が深まってきた。一方の『ルカ』は混乱しているのか、頭を抱えて謎の独り言をつぶやいている。

「え、やっぱ私おかしくなってるのかな・・・。変なキノコとか食べてないはずなんだけど・・・それとも変な魔法にでもかけられた・・・?」

 混乱しているところ悪いのだが、こっちにも知りたいことがある。

「僕も、君みたいな人が主人公の小説、書いてるんだけど・・・」

「・・・は?」

 さっきからいったい、どうなっているのだろう。


 目の前の女の子は、見たところ明らかに自分の書いている小説の主人公『ルカ』である。名前も同じだし、見た目も朔が書いた絵の特徴の通りだ。その時点で、十分千秋は混乱していた。

 しかし目の前の当の『ルカ』は、今度は自分が主人公の小説を書いているという。全く同じ現象が、いっぺんに起きているのだ。

 いったい、何がどうなっているんだ?

 すると、『ルカ』は「はあ・・・」と頭を押さえながらため息をついた。

「とにかく。一回状況を整理しましょう。このままじゃ埒あかないし」


 『ルカ』と千秋は、一旦椅子に座って落ち着くことにした。

 人間というのは不思議なもので、立っている時より座った時のほうが心が落ち着くらしい。千秋はやっと少し落ち着いたところで、ふと、さっきから自分がいる場所がさっきと違うことに気が付いた。

 頭が混乱しているせいで見ていなかったが、あたりを見渡すとどうもさっきまでいた図書館とは違う。窓から差しこむオレンジ色の光はさっきと変わらないが、机の位置、机の色、カーペットの色など、ところどころ違うところがある。部屋の広さもさっきとは何か違和感がある。

「それじゃ、まずお互いわかる範囲のことを話しましょうか」



『ルカ』が切り出したので、きょろきょろあたりを見渡していた千秋は足をごそごそしながら向き直った。

「とりあえず・・・、さっきも言ったけど、わたしの名前はルカ。あんまり昔のことは話せないけど、前から小説を書いているの。さっきあなたのことをとっさに『千秋』って呼んだのは、わたしがいま書いてる小説の主人公にそっくりだったからよ。『東条千秋』は今途中まで書いてる小説の主人公。髪が茶色で目も茶色、ちょっと丸い目、体は細めで顔は幼めで・・・、本当にどこからどう見ても私がイメージした千秋そっくりだわ」

 外見をここまで忠実に指摘されたことはないが、ほぼ的を得ている。顔が幼めで、は余計だけど、口ぶりからするにどうやら本当のことらしい。

「それで、あなたは?」

 ルカはやっと落ち着いてきたのか、もとの威勢の良い話し方に戻っている。

「僕の名前は千秋。君が言った通り、東条千秋。さっきまで図書館で小説を書いてたんだけど、なんか変な感覚に襲われて、気づいたら目の前に君がいたんだ。ルカ、って呼んだのは、同じだけど、僕が今書いてる小説の主人公が、君の見た目にそっくりだったからで・・・、名前まで同じ『ルカ』だとは思わなかったけど」

 説明しながら、いよいよ矛盾に気が付く。千秋は続けて言った。

「でも、全く同じ状況がそっちに起きているっていうのはどういうことなんだろ・・・」

「そう、それなのよ」

 ルカは間髪入れずに言った。

「つまり、今の状況をまとめると、私はあなたの小説の主人公と、あなたは私の小説の主人公と外見も見た目もそっくり、ってことね」

「うん」

 考えれば考えるほどおかしい状況である。もしかして夢でも見ているのだろうか。

「それにしても、あなたはいったいどこから来たの?私の記憶だと、あなたは私の目の前にいきなり現れたんだけど」

「というか・・・、そもそもここってどこ?僕はさっきまで図書館にいたはずなんだけど・・・」

「ここ?あなたの言っている通り図書館よ?」

 確かに、奥の方には図書の棚みたいなものが見える。でもどこか違和感がある。

「うん、でもなんか違うような・・・」

「あなたはどこから来たの?」

「え、僕?僕は椿川記念図書館だけど・・・」

「つばき・・・何?」。

 ルカが怪訝な顔をする。

「違う?」

「違うわね・・・。ここは王立ケルスカレッジ図書館よ」


「ケルスカレッジ?」

 聞いたこともない名前だ。ということは、もしかして自分が変な世界に迷い込んでしまったのか?千秋は急に背筋が寒くなった。

「ここってどこから出られる?!」

 思わず立ち上がって問うと、ルカは少し慌てたように、

「えっ?えと、じゃあついてきて」

 と言いながら立ち上がり、出口なのであろう方向へ向かって走った。千秋もついていく。

 もし自分の嫌な予感が幸運なことに間違っていれば、扉を開けたらもうそろそろ日が完全に暮れてしまい、周りにはうっそうとした森が茂る茫漠とした広場に、千秋の自転車が一つ置いてある風景が広がっているはずだ。

 違和感はある。でもそれ以上に、「異世界に飛ばされた」なんてラノベファンタジー丸だしな展開に巻き込まれる方がよっぽど違和感があるだろう。

 走りながら、妙に動悸が激しくなっている。背中もやけに寒い。でも、きっと勘違いだ。

「開けるわよ!手伝って!」

 ルカと出口であろう鉄扉の門を一緒に押す。

 大丈夫。もうちょうど帰ろうと思っていたんだ、ちょうどいいじゃないか、ちょっとよくわからないこともあったけどおそらく錯覚だ。目の。

 きっとすべて夢かなんかで、こういう扉を開けるイベントとかで元に・・・。



 扉の外に出た千秋の目の前にあった世界は、もはや千秋の想像を絶するものだった。


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