突然の邂逅

 


 ※※※※


「ルカ、学園に来てもうしばらく経つんだからさ、たまにはおめかししてみなよ。せっかくもとがこんなにかわいいんだから」

「そんなことないってば!ユキこそ今日白魔術のテスト大丈夫なの?こないだ失敗してたじゃない」

「だいじょーぶだよ!ルカが教えてくれたじゃない。それよりほら、リボン結ってあげるからこっち来て」

「うん、ありがとユキ」

 ルカは鏡の前に座って、おとなしくリボンを結ってもらう。

 ユキのすすめで学園に通うようになって、そろそろ4か月が過ぎようとしていた。学園の高等部はいろんな国の人たちが編入するところらしく、勉強やら魔術やらは全くやってこなかったルカでも入ることが出来た。今は市街地の端にあるユキの実家に居候しながら、学園に通っている。

 ユキは丁寧にルカの金色の髪を梳いてくれる。毎朝のこの時間が、ルカは大好きだった。

 戦争が終わって行く当てもなく彷徨っていたルカを、家にかくまってずっと励ましてくれたのはユキだ。ルカは髪を結い始めたユキに、

「ありがとね、ユキ」

 ともう一度言った。

「もお、ルカってホントそういうとこ律儀よね、別に気にしなくていいのに」

 自分の家に招き入れてくれただけでなく学園転入の手続きまで全部こなしてくれ、おまけにずっと面倒を見てくれているのに、不満1つ言わず励ましてくれるユキには、本当に頭が上がらない。

「それよりルカ、たまに苗字間違えるの気をつけなさいよ、一応私の親戚の子ってことにしてるんだからね」

「うん、でも最近は結構慣れてきたのよ?」

「そう?でもこないだニールに名前呼ばれたときしどろもどろだったじゃない」

「そっ・・・、それはべつに違うの、急に呼ばれたからびっくりしちゃって、その・・・」

 ルカはユキが結んだ澄んだ水色のリボンを抑えながら、顔を真っ赤にして弁明した。

「ふふっ、ルカって意外とそういうとこ女の子だよね」

「あっ、今からかってたでしょ!もう!ユキ!待ちなさい!!」


 ※※※※




 千秋は茶色い枠線の原稿用紙の半分まで書いてあるその小説を読みつつ、はあ、と深くため息をつく。

 今書いているのは、ファンタジー小説だ。ファンタジー小説自体は前にもいくつか書いたことはあるし、もう少し硬派な現代小説を書いてみたこともある。でも、まだ高校生の自分にとっては現代小説に書かれているような難しい駆け引きとかはよくわからなくて、とっつきやすいファンタジーを書くようにしている。今回の小説は、前に書いた少女が戦争の英雄になる、という小説を下敷きにして、その少女が戦争の後「普通の日常の中で恋愛をする」というプロットを考えている。

 一応この後の展開は考えている。この後主人公のルカはニールという男に恋をして、過去の経験や自分の過去から色々悩んだり挫折したりしながらも最終的に結ばれる、というものだ。横に置いてあるノートに大体の流れが書きこんでおいた。

 でも毎回書いてる途中で、「やっぱこれあんまりおもしろくないんじゃないか?」と思ってしまう。プロットを書いている途中は結構調子よく書けていたのに、だんだんと書けなくなってきてしまった。まあこれ自体は毎回のことなのだが、改めて自分の原稿を客観的に眺めてみると、世界観の薄さとか文章の長さとか使っている語彙だとか、色々な部分でまだまだレベルが低いことを思い知らされる。でもとにもかくにも、まずは書き上げないと話にならない。メインの章の展開部分は朔との話し合いに持ち越すとして、導入の部分だけでも終わらせておきたかった。


 黒い筆箱からシャーペンを取り出して、千秋は原稿用紙に続きを書き始めた。

 外は夕暮れが佳境に入ってきたらしい。ステンドグラスから漏れてくる光が黄金色になり、少し焦げた茶色の机を優しく照らし出している。

 プロットに沿って、書き始める。この後の展開は、ユキと一緒に学園に向かうユキが、ひそかに心を寄せるニールに対し素直になれない様を描く。護国の英雄と呼ばれたルカも、こと恋愛に関しては全く素人であたふたしてしまうのだ。

(うーん、口調はどうすればいいんだろ)

 いまさらすぎる考えが、頭をよぎった。そういえば意識してルカにしゃべらせてなかった。でも素直になれない女の子っていうもののしゃべり方は大体相場が決まっている。大体「~しなさいよ!」とか「~じゃない!」とか、ちょっとお嬢様風にしておけば無難な気がする。今までのルカの発言部分もなんとなく勝気な女の子、みたいな感じだったし。

 迷った千秋はノートの一番初めのページを開いた。そこには違う紙質の紙切れがノートからはみ出ている。その紙には、金色の髪に碧色の目をした、いかにもファンタジーな感じの女の子のイラストが描かれている。これは朔がイメージがわかないと書きにくい千秋のために、千秋の次の主人公の構想を聞いて夏休み前に渡してくれたものだ。わざわざ色塗りまでしてくれているあたり、正直頭が上がらない。描かれている女の子は、目は大きくその強い眼光がなんとなく凛々しさを感じさせる。にも関わらず、それに似合わない女の子らしいフリルの服を着ているのが少し違和感がある。もっともこれは千秋の要望でこういう服にしてもらったのだが。

 千秋は朔が描いたその絵を見つつ、そのイラストの女の子が実際にそういうしゃべり方をしている姿を想像してみた。

(あ、いけるかも)

 イラストの女の子がひどく不器用そうな印象を持たせる容姿だったこともあり、結局しゃべり方は強気な感じで統一することにした。


 しばらく経って、ペンを走らせながら千秋は頭の中で別のことを考え始めていた。

 小説を書いているとよくあることである。手だけは動いているのだが、頭の中で別のことを考えてしまうのだ。千秋はルカがニールとうまく話せないシーンを書きながら、ふとこのルカという自分の小説の主人公のことを考え始めた。

 

 考え直してみると、このルカという主人公は自分と全く違う。地方の田舎に住んで平和な日常を送る自分とは違って、毎日が戦争の連続で、血みどろの闘いを繰り広げていた。一方で英雄的な素質も持っている。才能にも恵まれて、たくさんの慕う人が周りにいて、名声もある。

 なんで僕はこの子を主人公にしたんだろう。ふと思った。

 小説を書くときに、自分の経験や人生を題材にすることはよくあるという。というより、どの小説家も、どこかで自分の考え方とか、後悔とか、挫折とか、そういう何かを抱えて小説を書いているんだろう。だからこそ小説を書くときには、まず自分のことをよく知ることが大事なのだそうだ。

 ということは、おそらくこのルカという少女にも、何かの形で自分の想いが込められているのかもしれない。


 そんなことを思いながら書き進めるうちに、シーンは切り替わって、ルカがニールの誘いを断ってしまうシーンに行きついた。ここでは、ルカがニールとせっかく同じ授業になれたのに、うまくしゃべれなくてそのまま次の授業になってしまうというシーンである。



『ルカさんは次の授業、黒魔術の講義ですか?』

『うっ、うん・・・。ニール君は・・・?』

 ルカはユキが結んでくれたリボンに手を回しながら精一杯声を出す。

 言わなきゃ。次の授業一緒に行こうって。簡単でしょ、こんなこと。ちょっと誘うだけじゃない。

『僕は次兵法の授業なんですよ。ルカさんは兵法の成績トップですもんね。すごいです』

『そっ、そんなこと・・・、ない、わよ』

 言え。言え。言って。

『いえいえ。あっ、もう時間ですね。それじゃ、また』

『うん・・・。また』

 なんでここで声が出ないんだろう。一言、「私も行く」と言えば済む話。でも、なんで声が出てくれないの?



 書きながら、(あー、そういえば今日こんなこと自分もあったな)なんてふと千秋は思う。

 七瀬さんとせっかく二人になれたのに、あろうことか大した会話もせず、一緒に帰ることを誘うこともできなかった。

 でもあの時の判断は間違ってなかった、と思う。

 実際自分と七瀬さんでは色々と違いすぎる。片や学園のマドンナ的存在の美少女、片や普通の男子高生。このまま気にしていたって、正直あまり見込みはないだろう。自分が七瀬さんのことを好き、なのかはわからない。でも、少なくともこの気持ちを、このまましまっておいたほうが幸せな気がしていた。


 小説を書いている手を止めて、思う。

 せめて。

 せめて自分が書いてる主人公だけでも、最終的には良い終わり方で締めてあげよう。現実はそんなにうまくいかない。

 でも、せめて小説の中でくらい。


『ハッピーエンドであってほしいなあ』




 その瞬間だった。

 突然目の前が、大きくぐらついた。

 昼にあった、あのデジャヴだ。直感的に千秋は感じた。ただ、さっきとは明らかに違う。

 視界のブレが前より激しい。

 目の前の原稿がぐにゃりと曲がり、世界が同心円状にぐるぐるとまわり始めた。

 やがて画面がまとまり始めた。まだ視界のブレはやまない。

 すると、驚くべきことが起こった。 

 画面がまとまった視界は、やがて猛スピードで膨大な量の景色を映し出していった。頭の中に、次々と見たことのない景色が投影されていく。

 これが走馬灯、というのだろうか。まるで早送りしているかのようなその映像に映されているのは、見たこともない町並み、見たこともない山に、見たこともない風景だった。

 にもかかわらず、千秋の胸は、異常なまでの既視感に満たされていた。

 この景色、この山、この風景。すべて、『自分じゃない自分』が、体験してきたことのような。そんな奇妙な感覚に囚われた。

 やがて目の前の映像はスピードをあげて再生され、やがて何が映されているのかわからなくなるほど早くなる。

 それと呼応するように、千秋は様々な感情に支配され始めた。怯え、悲しみ、葛藤、恐怖、苦悩、後悔。千秋が感じたことのない、それでいて自分以外のものとは思えない感情が濁流のように心の中に流れ込んできた。

(なんだ・・・、これ・・・・・・)

 頭がおかしくなりそうだ。

 思わず大声をあげようとするが声が出ない。

 立ち上がろうとするが体の感覚がない。さっきまで座っていたのに、なぜか空中に浮かんでいる感覚だ。

 やがて映像が止まり、視界が真っ白に染まった。体は相変わらず浮いている感覚が続いていて、体の力が入らない。

(これ、死んだのかな・・・?)


 その時だった。

 キイン、という空気を切り裂いたような音とともに、視界を覆っていた光がだんだんと薄れていった。体の感覚も徐々に戻ってくる。

 やがて視界もはっきりしてきた。光が当たっているのだろうか、眩しくてあまり前が見えないが、少なくともそれは自分の感覚に戻っていた。

(何だったんだ?)

 千秋は混乱しながらも、だんだんはっきりしてきた目で前を見た。



 千秋は、ファンタジーは創作だと思っている。あり得ないことはあり得ない。小説の世界は、所詮小説の世界だと思っている。

 だから、仮に『そういうこと』に巻き込まれたとしても、ファンタジー小説の主人公みたく順応できない。

 東条千秋は、そういう普通の人間だった。


 目の前には女の子が座っている。

 その女の子は、目を真ん丸にしてこっちを見ている。

 だが、目を真ん丸にしたいのはこっちのほうだった。

 金髪に碧眼。大きな目に長いまつげ。そして何より頭の後ろの水色のリボン。


 それは、千秋の書く『ルカ』そのものだった。



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