図書室の淡い恋

 

 この学校は、創立して50年になる。田舎の高校ということもあり、あまり認知度は高くないが、近くに巨大な図書館があることで文教の町の高校を自任しているのか、図書館にはやたら力を入れている。そして今年はその節目の年に、図書館の大整理をしようということになっていた。

 図書館の整理は各クラスの図書委員が持ち回りで行うことになり、毎日各学年から一クラス二人、計6人が図書整理をしに夏休みに学校に行くことになっている。


「失礼しまーす・・・」

 朔と3階で分かれて、千秋は4階にある白いペンキで乱雑に塗りたくられた扉を開いた。

 返事がなかったので恐る恐る中に入る。見知っている場所でも、誰もいない部屋っていうのはなんとなく不気味だ。

 中に入って奥の受付のところに歩いていく。すると、「かち、かち」という、掛け時計の音に交じって、かすかに紙の刷れる音が聞こえる。

(誰かいるのかな)

 恐る恐る棚と棚の間をじゅんぐりに歩いていると、百科事典の棚の前の四角い机に人影が見えた。が、たくさんの本を積みあげているせいでよく見えない。

 すこしどきどきしながら横に回ると、そこには日に当たってきれいにひかる茶髪をかき上げながら、赤いカバーの本を熱心に読んでいる人がいる。

「・・・っ」

 それは、あまりにも千秋の心をとらえる美しさだった。千秋はその姿に思わず身じろぎしていると、彼女はぱっとこちらを向いた。

 はっとして思わず目をそらす。

「わっ!びっくりしたぁ。・・・あ!これはちがうの!ちょっと早く来て整理してたら面白そうなの見つけちゃって。というか早く来てたなら先始めとけってかんじだよね、ごめんね」

「あっ、いや・・・、こっちこそ声かけなくてごめん、まだ他の人来てないし読んでて」

「そお?まあでも千秋君来てくれたしいいよ。あとで借りるし。本の整理、始めちゃおっか」

 澄んだ声でそう言って、七瀬さんは髪を後ろでかきあげ、ゴムで結びながら本の目録を手渡してくれた。

 七瀬みつきは、その美貌と誰とでも仲良くできる性格から、クラスのマドンナ的な存在である。しかもそのかわいさを鼻にかけず誰とでも仲良く接するので、男子の中で「あれ、もしかして七瀬さん俺のこと好きなんじゃね?」病にかかったやつは数知れない。

 そんな七瀬さんと、特に目立つわけでもない千秋が同じクラスになったのは高校2年生になった今年からだった。文芸部ということもあり、半強制的に人気のない図書委員にされた千秋は反対することもできず流されるままにしていたが、たまたまくじで七瀬さんが図書委員になってからは、図書委員であることを他の男子から口々にうらやましがられる奇妙な現象が起こった。

 だけど千秋は、特にそれを嬉しいと感じたことはなかった。実際七瀬さんとは話したことがなかったし、たしかに美人だけどそういう人は自分にとっては雲の上の存在で、別に自分とは関係ない世界の住人だと割り切っていたからだ。

 しかし、ある日を境に千秋の七瀬さんに対する考え方は変わった。

 高2の5月、たまたま千秋と七瀬さんが司書当番になった。周りの男子や朔に「いいなあ~、俺も一緒に当番してえ~」と愚痴を言われながら、図書室に行って司書席に座った。

 すると先に隣の席に座っていた七瀬さんが、開口一番千秋にこう言った。


「千秋君、だよね?その髪地毛なの?すごい似合ってるね」


 はにかむような、人なつっこい笑顔で七瀬さんはそう言った。

 その瞬間千秋は、息切れするような激しい動悸に襲われた。それは、今まで経験したことのない感覚で、千秋は思わず声を失った。

 千秋は、自分の茶色い髪がコンプレックスだった。

 別に何のハーフとかクオーターとかでもないのに、生まれた時からなぜか千秋は髪の色が鮮やかな茶色だった。その茶髪と生まれついての童顔が合わさって、子どものころはよくばかにされた。おまけに中学になるとちょっと年上のワルにちょっとイキってるとか難癖つけられそうにもなった。そのせいで、千秋は自分の茶髪がコンプレックスだった。

 それだけに、クラスのマドンナ的な存在の、全く自分のことなんか気にしないようなこの美少女が自分の髪をほめてくれたことに、思わず胸が締め付けられるような嬉しさを覚えたのだ。


 それ以降、図書委員の仕事が楽しみになった。図書委員でまた同じ日に当番になると、なぜか昼休みまでの時間が長く感じられた。七瀬さんとは昼休みの当番の間の短い時間しか話すことは出来なかったけれど、茶髪で困った時の話とか、好きな本の話をしている時は時間がものすごく短く感じた。

 我ながらあんな一言で単純な、とか思いつつも、たまに話せる時間はやっぱり楽しかった。

 そして、夏休み前の7月に学級委員から図書整理の話をされ、現在に至るという次第である。


 このド田舎学校は全校生徒数も少なく、各学年2クラスしかない。そのうえ夏休み中に毎回変わりばんこに当番が回ってくるとなると、必然的に週3くらいで学校に来なければならなかった。おかげで今日は夏休みが始まってまだ1週間しかたっていないのに、3回目の図書整理である。

「千秋君、この本ってどこにしまうんだっけ」

「あ、それ海外文学だから奥から二番目の棚じゃないかな」

「ホントだ、ありがと」

 こういうちょっとしたやり取りもなんとなくどきっとしてしまうのはなぜだろう。千秋は胸の中に沸いた疑問をしまいこんで問いかけた。

「そういえば、他の学年の人たちはまだ来ないのかな」

「1年生の二人は前にバレー部の公式試合があるから行けないって言ってたよ」

 まあ、公式試合なら無理か。

「3年生の先輩は来ないのかな」

「今日は遅れてくるって、えと、先生が言ってたよ」

「あっそうなんだ」

「うん」

「・・・・・・」

 と、そこでしばらく沈黙が続いてしまった。急に何もしゃべらないのもなんか変だ。何か話題を出さなきゃ。

「そういえばさ・・・」

 と話しかけようとした瞬間、

「きゃあっ!」

 という悲鳴とともに、どさどさどさっという音が聞こえてきた。

 驚いて七瀬さんの棚に駆け寄ると、腕に乗っけていた本を落してしまったらしい、七瀬さんはわたわたしながら本をかき集めていた。

「ごっ、ごめんね、いっぺんにいっぱい持ったら重さに耐えきれなくって。大丈夫だからつづけて大丈夫だよ」

 と照れ笑いしていた。

(そうだよな、あんまりいっぱいやらせちゃだめだよな、女の子なんだし)

 千秋は、分厚い単行本の整理は自分がやろう、と心に決めた。



「いやあ~~、やっと終わったねえ、今日のぶん」

 う~ん、と背伸びしながら七瀬さんは笑いかけてきた。そうだね、と返そうとするが、なぜか口ごもってしまう。仕事は先輩達が途中で合流してくれたこともあり、順調に終わった。と言っても今日中にやれることは限られているので、残りは明日以降に引き継ぐ。

「今日ってほかにやることあったっけ?」

「あー・・・、いや、今日はもうないんじゃないかな、明日の人ヘの引継ぎの紙書くくらい」

「そか!じゃあ私あとこのしまっておく本たち準備室にしまってくるから、ついでにその紙も書いちゃうよ」

「あ!いいよ僕やるし」

「ううん、いいのいいの、今日千秋君に色々頼っちゃったから。これくらいやらせて」

 にこっと笑った七瀬さんは、カゴを持ってすたすたと歩いていった。確かに今日は七瀬さんの分までちょっと手伝ったけど、別にそんなお礼を言われるくらいじゃない。じゃあ何してようかな、スマホでゲームでもしてるか。

 すると七瀬さんは、突然思い出したように本を胸のあたりまで抱えながらくるっと振り返って、

「あっ千秋くん、今日もう仕事これだけだったら、先帰ってて大丈夫だよ!もう今日の仕事終わりだし。今日は私の分まで色々手伝ってくれてありがとね!」

 と嬉しそうに笑って言った。そして、本を抱えている手をご丁寧にちょこちょこと振りつつ、うんしょ、と本を持ち直して再び歩き始めた。


 あ、どうしよう。

 このまま流れで一緒に帰ろうかななんて思っていたんだけど。

 でも七瀬さんがあとはやってくれるってわざわざ言ってくれているのに、いや残るよって言うのも変な話だ。それにいくら夏休みとはいえ、学校一の美女と男子学生が二人で帰っていたらいやでも怪しまれる。その時注目を浴びて一番困るのは僕じゃなくて七瀬さんだろう。ここは素直に帰ったほうが得策だ。



 そこまでの判断を一瞬でして、


「うん、ありがとう」


 そう言おうとした瞬間のことだった。


 声をかけようとした千秋が声を発しようとしたまさにその瞬間、急に目の前がぐらりと揺れた。

(うっ・・・)

 思わず机に手をつく。

 と、同時に七瀬さんの後ろ姿が、なぜかひどくぼやけて見える。

 すると、千秋の目の前で、一瞬その七瀬さんの後ろ姿が、まるでビデオで逆再生してもう一度再開したみたいに、ひどく不安定に再生された。

 その瞬間、千秋は何の前触れもなく、確信した。それは、特に理由のないものだった。でも同時に、まるで昨日のことを思い出すような感覚だ。


 この映像を、確かに見たことがある。


 いつ、どこで見たのか、思い出せない。だけど、今まさに、この映像、この感覚を、今までに一度感じたことがある。

 だけど同時に、この感情は、自分の感情ではないような気がしていた。自分とは違う誰か、それも自分とはひどく違う誰か。その人の感覚を、共有しているような。そんな気持ちが、千秋の心を満たしている。

(何だ・・・・・・これ・・・)

 いつ、どこでだろう。なぜこの映像を僕は知っているんだ?なぜこんなにもなつかしい気持ちになるんだろう。でも記憶の中にそういうことがあった覚えはないし、七瀬さんとも会ってまだ数回話したくらいだ。それなのになんで・・・


 バタンッ!


「うわっ!」


 千秋は、おそらく七瀬さんが閉めたのだろう準備室の扉の音で、我に返った。

 千秋はフル回転させていた思考が急に切れてしばらくあぜんとしていたが、徐々に落ち着きを取り戻した。

(何だったんだ・・・?今のは・・・)

 先ほどの目から映る画面のブレはもう収まって、いま目に見えるのは風にたなびく黄ばんだカーテンと、雑多に積まれた図書たちだけだ。

 でも確かに、さっき目に見えた映像も、そして心を埋め尽くした感覚も、ありのままの感覚としてまだ余韻が残っている。気づくと、手は汗でびっしょり濡れ、背中には冷や汗が流れていた。

 でも不思議なのは、さっきの感覚が決して悪い感覚ではなかったと感じているのだ。

(なんで、あんなに覚えてるって思ったのに何も思い出せないんだろ)

 落ち着いて冷静になった頭でもう一度考えてみるが全然あたりがつかない。七瀬さんとは何度か話したことはあるけど数回程度だし、後ろ姿はそりゃ見たことはある。でもさっきの映像は今まで見た類のかんじじゃなかった。見たことはあるけど、違う自分が見たような。そんな奇妙な・・・


「らーいん♪」


 千秋の必死の思考は、今度はスマホの着信音でかき消された。

 最近ずっと家にいるせいでマナーモードを解除していたせいで、授業中なったら恥ずかしいランキングナンバーワンのLINE着信音がメッセージの受信を知らせてきたのだ。

 制服のズボンの右ポケットに手を入れて真っ先にマナーモードのスイッチをしっかりとONにした後、ホームボタンを押す。

 ポップアップの緑色の部分には、「神山朔」と表示されている。

 しかもご丁寧に文章の最初の部分が見える機能が使えないように空いている。こんなつまらないタネ隠しのために必死にスペースを連打する朔の姿がありありと想像できて泣けてきた。

「どうせくだらないことなんだろうな・・・」

 開くと、スペースで恐ろしく改行されたあとに、

『千秋、ちゃんと一緒に帰ろうって誘えよ?今日はもう文芸部解散しちゃったからサ♡』

 と苛立たしいハートマークを付けて送ってきやがった。しかもまさにそれを断念した瞬間だっただけに、見透かされているようで余計むかつく。

『そんなことより明日、朝8時にカクタで待ちあわせの話忘れてないよな』

 話を適当にずらしてスマホをしまうと、千秋はさっき感じた感覚をあいまいに引きずりつつ、鞄を背負って図書室を出た。

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