第1章
或る日の男子高校生
※※※※
金色の髪。碧色の目。背まで伸びた長い髪。
およそ英雄と呼ぶにはふさわしくない可憐な風貌を持つその少女は、若干14歳にして「護国の英雄」となった。
ルカ=ユークリウス。
彼女の名前が王国に広まったのは、王位継承戦争が始まって十年の月日が経った頃だ。突如現れた彼女は、王位継承権を持つ王女アリスを戴いて、当時最強と謳われたルール辺境伯率いる王侯軍を破った。破竹の勢いで進軍したルカ率いる南方軍は全土を制圧し、王位継承戦は終結、王女アリスは女王となって国内を統一した。
その後並み居る優秀な諸侯に支えられ、女王アリスは安定した政権を作り上げた。あの戦争から2年、もはや戦争の爪痕は微塵もなくなった。
しかし、ただひとり、南方軍を率いて全土統一を成し遂げたルカ=ユークリウスの姿だけが、そこにはなかった。女王アリスと彼女に率いられた隊長たちは恩義に報いるため、必死になってルカの姿を探し求めるが、いくら探しても手がかり一つ見つからない。
物語は、ルカ捜索が打ち切られてから半年後、王位継承戦から2年半の月日が過ぎたある日から始まる。ルカは王位継承戦終結のあと、友人の家を頼って全く違う国に来ていた。
ルカの目的は一つ。もう一度人生をやり直すことである。
ルカは戦争で多くのことを学んだ。いや、学ばされた。戦争開始当初は、自分の才能を如何なく発揮した。作戦を考えれば勝った。軍を率いれば無敗だった。
しかしながら、戦争に勝ち、同胞を殺して、ルカの手に残ったものは何もなかった。そこにはただ血まみれの武器しかなかった。
戦争が終わると、ルカは逃げるように見知らぬ土地に逃げた。幸いかつての友人が遠い異国に住んでいたので、そこを頼って身を寄せた。
もう一度、人生をやり直したかった。普通に生きて、普通に恋愛して、小さな幸せを重ねる、そんな生活が何よりも欲しかった。
※※※※
「千秋ー。今日が学校行くのー?」
「さっき言ったじゃん、今日も本の整理があんの」
「あー、そうねー。夏休みなのに大変ねえ」
「あ、今日帰るの遅くなるわ」
「はいはい、行ってらっしゃい」
木陰にある朽ち果てた納屋から自転車を引っ張り出すと、千秋は学校指定の鞄をカゴに投げ入れた。
「そろそろ新しい自転車買ってくれないかなあ」とペンキがすすけた赤い自転車を見て思ったが、これを今言ったら晩御飯抜きとか言われそうだからやめておいた。
夏休みである。
夏休みと言えば、世の高校生はどこかのショッピングモールに遊びに行ったり、プールに遊びに行ったり、ちょっと遠出して海に行ってロマンスなんていうのが定番だろう・・・・・・、都会民は。
千秋は自転車のハンドルに両肘をついて、はあ、と小さくため息をつく。
千秋の目の前には、遮るものなど一切ない、広大な田園風景が広がっている。コンクリートでおまけ程度に舗装された砂利道は、自転車二台横に並べば隣の用水路に落下するくらいの狭さでもはや道と呼びたくない。都会のスクランブル何とかみたいに人で埋め尽くされている代わりに、たくましい野草と元気いっぱいな虫たちが闊歩している。空には巨大な入道雲が広がり、聞こえるのはコオロギやキリギリスの鳴き声と、羽虫のうっとうしい羽音だけだ。
東京都心の郊外に位置するこの村は、一応東京都の一部に組み込まれているが、東京都民がそれを否定するくらいのド田舎だ。東京なんだから田舎って言っても大したことないだろ、とか言われるが、農家のオジサンはみんな知り合い、村の子どもはみんな同じ学校、そしてうち自身も山一個所有しているという状況は、まごうかたなき田舎というべきだろう。
千秋は夏の風に稲穂と一緒に吹かれながら、「あーあー、俺も都会に行ってみてーなー」とつぶやいた。すると、
「そこの兄さん、都会の女はギャルが多いそうですぜ?」
と聞きなれたふざけた声が聞こえてきた。
「お前・・・、最近ギャルって言葉使わなくね」
ギャルなんて言葉、とっくに死語になってる。
「そういうこと気にしなくていいじゃんかよぉー」
と、神山朔は口を尖らせて言った。
「そういう意味の都会いいなーじゃないし」
「ふーん、じゃあどういう意味だったん?」
痛いところをついてくる。
「あー、それより」
「あ、話題変えようとしてね?」
「いいだろ、別に。朔、今日も学校行くのか?」
「まーな。文芸部の部誌の整理しなきゃいけないし」
「あー、ごめんな、あんまそっち手伝えなくて」
「いやあ。こんなこと苦でもなんでもありませんよ。なんたって大事な大事な千秋くんの恋のためデスカラ」
語尾がなぜか巻き舌だ。人の色恋沙汰になるとすぐこうだ。ま、別に悪いやつじゃないんだが。
「うぜえ・・・。しかもべつにそういうんじゃねえから」
この神山朔は、小学からの腐れ縁である。といっても小学校自体は一校しかないからほとんどそうなのだが、とりわけこいつとは仲が良かった。
ちょっとうざいけど。
「ホホウ・・・?」
いつの間にか朔がにやにやしながらこっちを見ている。
千秋は自転車のハンドルをすこし右に切り、朔の自転車に寄せる。
「このままぶつかって側溝に落としてもいいんだよ」
「あー千秋さま!お許しを!千秋さまー!!!!」
「ふいー、あぶねえ、危うく一回家に帰らなきゃいけなくなるところだったわ」
「お前のせいでな」
あのあと、ふらついた朔が千秋の自転車にぶつかって危うく横転しかけた。
「ま、夏休みだからいいじゃん」と朔が言う。何がいいのかよくわらないが、スルーする。
自転車を停め、昔の生徒が何年か前に書いたのだろう、「96年卒業代寄贈」と下に銘打たれた謎の巨大壁画が描かれた校舎の壁沿いを、千秋と朔は歩いている。ピカソのゲルニカみたいなこの壁画を、この作者たちはいったいどういう想いで寄贈したのか気になる。
さすがに夏休みなだけあって、すれ違う生徒は陸部くらいだ。陸部の「おーえい、おーえい」という声と、遠くのほうでかきん、という心地よい音が聞こえるくらいで、いつもの騒々しい生徒や教師の声は聞こえない。
「なあ、小石川晴彦の最新作読んだか?」朔がふいに問いかけた。
「あーあのカモメシリーズ?やーまだ」
「はやく読めよ!マジで面白いぞ。とてもお笑い芸人が書いたとは思えねーわ。1期のアニメも円盤6000枚くらい行ったらしいぞ。こりゃ2期確実だな」
「ふーん」
朔は最近海軍の司令官をモデルにした小説にハマっている。千秋も勧められているのだが、まだ読み終わっていない小説があってまだ途中までしか読めていない。小石川晴彦はお笑い芸人で、世界を飛び回って面白い出来事を紹介するかたわら、現地で様々な小説を書きあげているのだ。特に「カモメシリーズ」は、イギリス海軍を題材にとって、ヴァイキングという海賊と様々な戦いを繰り広げる海洋ファンタジーで、特に中高生から絶大な人気を得ている。
「ま、こんど読むよ」
「読んだら感想聞かせてくれ」
「おけ」
帰りに買って行こうかな、と千秋はさんさんと照り返すアスファルトを見つめながら思った。
「夏休みの学校ってさ、なんかいつもよりわくわくするよな」
唐突に朔が言う。
「あー・・・、まあ言われてみれば」
たしかに、学校はいつもの喧騒から離れて、それ自体が体を休めているような感じがする。セミの鳴き声が、生徒たちの声の代わりを細々と続ける役割を果たしているみたいだった。
昇降口の壁沿いにある所々凹んだ下駄箱に靴を入れると、出席番号が千秋より先の朔が一足先に廊下を歩いていた。
朔は歩きながら鞄をがさごそまさぐって、奥の方から制汗スプレーを取り出し、自分のシャツの中にシューっと噴射した。
「使う?千秋」
「うん、サンキュ」
朔はスプレーをしゃこしゃこ振って投げ渡す。
「そういや千秋、こないだ言ってた頭痛?あれ治ったん?」
「あー、あれね、まだ治んない」
「長くね?ひどいんなら病院行けよ」
「うーん、そんなかんじじゃないんだよなあ」
制汗スプレーをシューっと体に吹きかける。
「ま、そのうち治るよ」
「ふーん、そか」
擦り切れた緑色の床を歩きながら、千秋は朔にスプレーを投げた。
「ありがと」
「どいた」
「どいたって何?」
「どういたしましての略よ」
もはや違う日本語である。
「千秋は文芸部に顔出してく?それとも図書館に直?」
「あんま時間ないし直で行くよ。みんなにもよろしく言っといて」
「おけ、千秋がハニーに会いに行くのを止めるわけにはいかなかったって力説しといてやる」
「それやったら怒るからな」
そう言いつつも、千秋は図書館に行くのが少し待ち遠しくもあった。
階段を昇るきゅっきゅっという音が響く。
「千秋、お前そろそろちゃんと自分の気持ち考えた方がいいんじゃねえか?」
「えっ」
急にまじめなトーンになった朔に、千秋は一瞬何を聞かれたのかわからなくなってしまった。
「だからさ、七瀬のこと。千秋、七瀬のこと好きなんだろ?」
いきなりの質問に、全身の筋肉がこわばった。
千秋は手を頭の後ろに回して、
「あー、いや、でもそういうんじゃないし、別に好きっていうのもまた違う気がするし・・・」
思わず口ごもった千秋に朔は、
「いや、お前七瀬のこと好きだよ、見てりゃすぐわかる」
といつもならにやにやしながら言うところを、こういうときに鍵ってひどく真剣なまなざしで言った。
マジか。そんなわかりやすいのか。
「いや・・・まあ」
急にしどろもどろになっていると、朔はふう、と短くため息をつき、
「ま、おれは千秋のやりたいようにやればいいと思うけどさ。自分に正直になってもいいと思うぜ」
と言った。
「うん」
千秋は短く答える。なんだかんだ言っても朔は親友で、自分のことは朔が一番よく知っている。こいつには敵わないな、と思う。
「まー、千秋ちゃまは頭の中でうじうじ考えるタイプですからなあ、あんまりもじもじしてるとまた女の子ですかって言われちゃいますぞ?」
「うるさい!お前はうまい感じに締められないのかよ!」
「言われたくなかったらさっさと告れやーい」
千秋は自分の顔が真っ赤になっているのを自覚しつつ、もとのにへら顔をして階段を上る朔を追いかけた。
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