第三章【最終決戦】

第37話

 一也は慌ててその悲鳴の方へと走って行くと、1体の紫色の鬼が狐鈴の体をがっしりと掴んでいた。


 あれは……鬼零化した悪鬼か……?


 狐鈴が助けを求めるように、一也に向かってその小さな手を伸ばす。

 それを見て無意識のうちに素早く体制を整えると、勢い良く地面を蹴って悪鬼に拳を振り上げる。


「――狐鈴を放せぇぇええええッ!」


  一也が咆哮を上げながら飛び掛かった直後、悪鬼は微笑を浮かべる。

 すると、空間が歪み。紫色のその巨体がすーっとその中へ吸い込まれ消えた。


 一也の拳は悪鬼に当たることなく無情にも空を切った。


「くっそおおおおおッ!!」


 地面に着地した一也は悔しそうに叫び、そのやり場のない拳を地面に叩きつけた。

 その後、振り返った一也の瞳に路上に倒れている志穂の姿を見つけ、慌てて駆け寄った。


 一也は倒れて居る志穂を抱き起こす。


「おい! どうした志穂!」


 志穂は苦しそうに荒い息を繰り返している。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 抱いている志穂の体が震え出し、顔から血の気が引いていく。


 一也は徐ろに志穂の額に手を当てた。

 ――その額が物凄く熱い。


「――ッ!? お、お前、熱あるじゃねぇーかッ!!」 


 そう一也が慌てながら叫ぶと、志穂は微かに微笑んで掻き消えそうな声を上げる。


「……だから、今日はだめだって、言ったでしょ……?」

「風引いてるならそうと、言わないと分からないだろう!」

「一也……心配すると、思って……さっきも、伝染らないように……て」

「……ああっ! とりあえず部屋に運ぶぞ!」


 志穂の体を抱き上げると、一也は彼女を部屋へと運んだ。

 ベッドに志穂を寝かせると、机の上に置いてある体温計を掴み、志穂の前に差し出した。


 それを掴む事なく志穂は熱で潤んだ瞳を一也に向けると、小さく呟く。


「――測って……体に力が入らなくて……」

「えっ!? お、おう……」


 一也はその志穂の言葉にたじろぎながらも頷いた。

 心臓の音が自分でも聞こえるくらい大きくなる。戸惑いながらも、一也の目は自然と志穂の大きな胸に向いてしまう。


 一也はスッと目を逸らすと自分に言い聞かせるように心の中で呟く。


 ……なっ、なに緊張してんだ俺は! 熱を測るくらいで情けねぇー。子供の頃にもっと色々あっただろうがっ!


 覚悟を決めて一也は瞼を閉じている志穂の着ている白いパジャマのボタンを1つずつ外し、胸元から体温計を持った手を忍び込ませる。


「んっ……」


 志穂はその感覚にビクッと体を震わせた。


 一也も自分の手から伝わる柔らかい感覚と温もりに、思わず頬を赤く染める。

 体温計が鳴るまでの待っている間も志穂の体調は悪化しているように思えた。

 そんな彼女の耳元で一也が尋ねる。


「志穂。お前薬は飲んだのか?」

「……ううん。今日はお父さんもお母さんも出張で居なくて……」

「なら飯も食ってないのかッ!?」


 志穂は小さく頷いた。

 その言葉を聞いた一也が口を開こうとした直後、志穂の脇に挟んでいた体温計がピピピッと音を立てた。


 志穂は一也に怒られると思ったのか、目を背けている。

 そんな志穂の頭を撫でながら優しい声で言った。


「――なんでそれも早く言わないんだよ。幼馴染に隠し事しても仕方ねぇーだろ?」


 一也は志穂の脇から体温計を取り出してその数値を見る。


「38.6℃か……これは薬飲まないとまずいだろうな……。志穂少し待っててくれるか? 薬局で薬買ってくるからよ!」


 そう言って一也が椅子から徐ろに立ち上がると、志穂は驚いた様子で一也を見る。


「……えっ? でも、狐鈴ちゃんが――」

「――狐鈴は俺の式神だ、そこまで軟じゃない……それに急いでも状況が改善出来るわけじゃないしな。第一にこんなお前を放っておけるわけないだろ?」

「ごめんね。こんな大変な時に……」


 そう志穂が俯き加減に誤ると、一也は微笑んだ。  


「謝んなよ。お前は昔っから考え過ぎなんだよ。風引いたのはお前のせいじゃないだろ? どんなに体調管理しててもどうしようもない時はどうしようもないって」

「……うん。ごめん、ごめんね……」


 そう言って泣き崩れた志穂をそっと抱き寄せると、しばらくその場で泣いている志穂の頭を優しく撫でた。


 志穂は泣き疲れたのか、いつの間にか眠ってしまっていた。

 そんな志穂に布団を掛け、一也は机の上に置いてある志穂の家の鍵を手に外へ出た。


 玄関に鍵を掛け、ふと夜空を見上げると大きな満月が先程と変わらない姿のまま一也を見下ろしている。

 しかし、それを先程の優しい感じではなく、どうしようもない不安感を掻き立てるようなそんな感じがした。


「なんだよ……。俺には誰も救えないとそう言いたいんかよ……」


 その優くも不気味な光を浴びながら、どうしようもなく心がざわつくのを必死に抑えながら、そう一也は呟く。    


 一也は不安を拭い去るように突然、全力で走り出す。

 いや、少しでも早くその場所から逃げたかったのかもしれない。


 月の見えない場所へ……。

 薬局で薬と冷却シートなどを購入して志穂の家へと急いだ。


 一也がスマホを片手にその画面を見て小さくため息をつく。


「はぁ……。まだ、連絡が取れないのか? あの人を頼った俺がバカだったかもしれないな……」


 スマホを握り締めながら呟く。

 そう、一也は真神――狼である月夜の嗅覚を当てにしていた。


 しかし、月詠、月夜ペアに連絡が取れないとなると、誘拐された乃木 竜次という少年の妹も狐鈴の居場所を突き止める事が出来ない。


 一也は天を仰いで雄叫びを上げた。


「――くそおおおおおおッ!!」


 辺りの人間が一斉に一也を不審そう横目で見る。

 その場に項垂れている一也は、ふと自分の右手に握られているスマホに目をやった。


「……スマホ? ――そうだ! GPS!!」


 一也は急いでGPS検索アプリをインストールする。

 そのアプリで検索を掛けようとした直後、一也の手が止まる。

 なぜなら――。


【検索する携帯端末のID、パスワードを入力して下さい。】


 っという指示が表示されていたからだ。


 そう、一也は狐鈴のスマホのIDもパスワードも知らない。

 知るはずがないのだ――それは志穂が狐鈴に買い与えた物で、おそらくそのID、パスワードは契約者である志穂しか知り得ない情報だ。


 だが、志穂は今高熱で意識が混濁しているだろう――っとなれば志穂に尋ねたところで、志穂は自分のIDとパスワードを教えるに違いない。


 本来、人のIDとパスワードなんて覚えていない。設定した志穂がまともな状態であれば聞き出すのも可能だろうが、今の状態の志穂にそれを尋ねるのはあまりに酷だろう……。


 一也は額に指を押し付けると、打開策を思考する。


 どうする? 適当に入れて――いや、だめだ! 最悪入力自体をロックされてしまう。なら、どうする!? 今の状況で最善の手段は……ハッ!!


 その時、ふと志穂と狐鈴とのやり取りを思い出した。

 そう、それはあの林間学校の翌日、家に帰った時に狐鈴におみあげのお稲荷キツネのぬいぐるみを渡した時の事だ。

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