第36話

 一也は鬼のような形相でその少年の元に歩み寄ると、再び胸ぐらを掴んで彼を持ち上げる。


「――良いか? 助ける側以上に、助けられる側って言うのは複雑なんだよ! お前みてぇーに、ちょっと力を持ったからってヒーロー気取りで助けられるもんじゃねぇーぞ!!」

「……主様。自分をあまり責めるでない……」


 狐鈴はそう言い放った一也の顔を見て悲しそに俯く。


 一也は怒りに任せるように左手で少年の右頬を何度も殴り付けると、その手を止めて叫んだ。


「力を持った人間はその力を理解し、正しく使わなければ欲望のままに振る舞う悪鬼と同じなんだよ! 俺達は助けたいんじゃない! 使命である以上は、助けて当たり前なんだッ!!」

「……なら俺――いや、妹達を助けてくれるのか?」

「フッ……言うまでもなく当然だろうが、それに俺は最初からそう言ってただろ?」


 一也は今までとは対照的ににっこりと微笑みを浮かべると、少年の胸ぐらから手を放して、スマホを片手にどこかへ電話を掛ける。

 すると、一也のスマホから太い男性の声が聞こえてきた。


『ほう。お前から電話をくれるとは珍しいな。一也』

「……親父。折り入って頼みがある」

『良いぞ、何でも言ってみろ! 何が欲しい。地位か名誉かそれとも……金か?』

「わりぃー。今は冗談を言ってる場合じゃねぇーんだ。俺と同じクラスの藍本 月詠の連絡先を教えてほしい……」

『なんだ、そんなことなら儂から連絡してすぐにそっちに連絡をやるようにしよう!』

「おう。頼む」


 電話を終えると一也はもう一箇所、電話をかけ始めた。


『……はい』

「おう。やっと出たか、何度も電話やメールしたのに返事が無いから心配したんだぞ?」


 そう、一也は志穂に電話を掛けたのだ。

 だが、電話越しの志穂の声はどこか弱々しく感じる。


 学校を休んだことと、一也の連絡を無視していたのが関係しているのだろう……っと一也は思いはしたが、気にせずに用件を伝える。


「志穂、今からそっちに行っても良いか?」

『えっ!? だ、だめ! 明日か電話でとかなら多分大丈夫だと思う……』


 その慌てように一也は一瞬首を傾げる。

 しかし、これから酒呑童子との一戦を迎えるにあたり、自分もどうなるか分からない。最悪明日は迎えられないかもしれないなどという考えが頭を過ぎる。


 更に月詠からの連絡もいつくるかわからない事を考えると、あまり長電話をするわけにもいかない。  


 だが、このまま電話を切れば志穂の性格上、もし自分に何かがあった時にきっと自分のせいだと後悔しかねない。


 一也は瞼を閉じて意気消沈する志穂の顔を思い浮かべる。


「まあ、とりあえずそっちに行くわ、少しだけで良いから話ししようぜ」

『えっ!? ちょ、ちょっと! それはこま――』


 そう一方的に話をして志穂の返答を最後まで聞かずに電話を切った。

 一也はスマホをポケットに戻すと、少年の方を向いて口を開く。


「今7時だから10時に駅前に集合だ。それまでに心の準備を整えておけ!」

「……分かった」

「よし。狐鈴!」


 一也は狐鈴を呼ぶと耳元で何かを告げる。


 その言葉を狐鈴は「分かったのじゃ!」っと力強く頷くと、少年の前に出た。

 少年が警戒したように目を細めて狐鈴を見つめる。


 狐鈴は小さくため息をつくと「そう身構えるでない。大丈夫、治療してやるだけじゃ」っと手招きして少年を屈ませた。


 狐鈴は少年の体に護符を貼り、瞳を閉じて両手を前に突き出して集中すると、少年の体が緑色の光に包まれる。

 するとみるみるうちに傷が塞がり、破れた衣服が元通りに再生した。


 傷の塞がった自分の体を見て、少年は驚いたように破れた服の箇所を再度確認する。


「どうじゃ? 元通り以上の出来じゃろう! お主の式神もこれくらいはこなせるようにならねばのう!」


 自慢気に胸を張る狐鈴の頭を撫でると、一也は少年の側で告げる。


「とりあえず、この後一緒に夜襲を掛けるわけだ。名前を教えてくれないか?」

「お、おう! 俺は乃木 竜次。こっちは珠姫だ」

「……よろしく……です」


 竜次が自己紹介を終えると、珠姫は竜次の背中に隠れながら顔を少しだけ出して会釈をした。


「ほう。お前は主様を取りそうにないな……お前とは仲良くやれそうなのじゃ! 今後ともよろしくのう」


 狐鈴はそんな珠姫の側に行くと握手を求めた。

 珠姫はその手を握る事なく走り去ってしまう――それを追い掛けるように竜次も走り出した。


 一也は声を大にして「10時に集合だぞ」っと叫ぶと、竜次は振り返らずに手を上げて答えた。


「あいつ、分かったのか?」

「……むぅぅ~。やはり仲良くなれる気がしないのじゃ」


 一也が走り去る竜次を見て頭を掻くと、狐鈴は脹れっ面になりながら目を細めて小さくなる2人の姿を見つめている。


 月明かりが降り注ぐ中を志穂の家へと狐鈴と2人で歩く。

 無言のまま淡々と歩みを進めていると、志穂の家の近くの公園で一也が不意に歩みを止めた。


「そういやここだったな。志穂の前で悪鬼を潰したのは……」


 感慨に耽る一也の横顔を見て狐鈴が不機嫌そうに呟く。


「そうじゃな。主様の浮気癖もここから始まったのじゃ」


 ツーンとした態度のまま、嫌味を口にする狐鈴に一也は苦笑いを浮かべた。

 しばらくじっと公園を見つめながら物思いに耽っていると、ふと一也が狐鈴に尋ねる。


「……なあ、狐鈴。お前は怖くないか?」

「ふん。何を言っておる。ここにきて怖気づくとは主様らしくないのじゃ」

「ははっ、そうだな」


 一也は微笑を浮かべると、しばらく間を空けて再び口を開いた。


「酒呑童子を倒しておふくろの仇を討てば終わるんだな……」

「……主様は、この戦いが終われば鬼神を辞めると言うのか?」


 そう深刻そうな表情で狐鈴が尋ねる。

 一也は夜空を見上げ小さく息を吐くと、その質問に答えた。


「……分からねぇー。でも、少し考える時間はほしいな」


 そう呟き目を瞑って少し感慨に耽る一也の横顔を見上げながら「そうか……」っと一言だけ狐鈴が言葉を返す。


 再び前を向いて歩き始めた一也の後を狐鈴も付いていく。

 志穂の家に着くと、2人は玄関のチャイムの前で立ち止まる。


 一也は狐鈴の方を向くと狐鈴に向かって告げた。


「狐鈴悪い。少し離れててくれるか? 志穂と2人だけで話がしたいんだ……」

「うむ。分かったのじゃ」


 狐鈴は一也のその声色から察したように頷くと、塀の影に隠れた。


「気を使わせて悪いな。狐鈴」


 一也は見て微笑むと呟き、玄関のチャイムを鳴らす。

 しばらくして、玄関の扉が少しだけ開き、志穂がそこから顔を覗かせる。


「ど、どうしたの? 突然……」


 そう震えた声で告げる志穂に一也は歩み寄ろうとした時、志穂が「来ないで!」っと声を上げた。

 驚いたように目を丸くさせると、一也は表情を曇らせる。


「あっ、ち、違うの。別に一也の事が嫌いになったとか……そういうのじゃないから……」


 志穂は表情を曇らせながら扉に体を隠しながら言った。

 そんな志穂に向かって一也が徐ろに口を開く。 


「……志穂。聞きたくないなら聞き流してくれて構わない。だから俺に話をさせてくれないか?」

「……うん」


 一也はそう志穂に告げると、志穂に見えないように玄関の壁に凭れ掛かり話し始めた。


「実は今日。俺のおふくろを殺した酒呑童子の居場所が掴めそうなんだ。だから俺はこの後、奴との因縁を断ち切りに行く」

「……そう」


 その志穂の返事を聞いて微笑を浮かべながら、感慨深げに空を見上げた。


「俺がどうしていつも空を見上げているか、ずっと言わなかったよな。昔、おふくろに言われてな【男の子が下を向いてたらダメよ。地面は海に遮られるけど、空には境界線はないでしょ? 境界は可能性を狭める悪い物よ。人は皆自由なのだから、あなたは誰かが決めた境界線なんて飛び越えて、自分に出来る事を全力で一生懸命やりなさい。お母さんはそんなあなたをずっと見守っているから】ってな……。小学3年くらいの時かな? あの時はよく分からなかったけど、今は何となく見えるんだ。でも、たまにそれが分からなくなる時がある。そういう時は、空を見て自分が引きそうなくだらない境界線を取っ払うんだよ。そうしてると不思議と微笑んでいる優しい母さんの顔を思い出すんだ……」

「……おばさんがそんな事を……」


 志穂がそう呟くと一也が険しい表情で告げる。


「……昨日はごめんな」

「……ううん。私の方こそ心配かけてごめんね」


 扉越しに、2人は無言のまま下を向いて、お互いの言葉を噛み締めるように、しばらく沈黙した後に、その沈黙を破るように一也が言葉を発する。


「――必ず戻ってくる。だから明日は学校に来いよ!」

「うん。分かった……」     


 一也はその返事を聞いて笑みを浮かべると凭れ掛かっていた壁から体を離した。

 その直後、一也の耳に狐鈴の悲鳴が聞こえてきた。

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