第12話

 だが、眠っている間はその制御が及ばないらしく、その凄まじい力に一也は狐鈴の手を振り解く事が出来ない。


「むにゃむにゃ……だめじゃ……主様のおいなりさんは……お前にはやらんのじゃ……妾の物じゃ……」

「……はっ?」


 一也が狐鈴の寝言を聞いて首を傾げる。その直後、狐鈴は大きく口を開けて一也の手をパクッと咥えた。


 狐鈴は一也の手を甘噛しながらもごもごと口を動かすと、渋い顔をして吐き出した。

 一也は眉をひそめながら狐鈴の唾液でべっとりと濡れた手を見つめた。


「はぁ~。洗ってくるか」


 ため息を漏らすと、徐ろに立ち上がり洗面台に向かった。

 洗面台に向かう道中、志穂とすれ違う。


「どうしたの? 準備は終わった?」

「ああ、終わったよ。わりぃーけど、狐鈴のやつを起こしてきてくれるか?」

「えっ? 良いけど……」


 志穂は不思議そうに首を傾げると、一也の部屋へと向かって歩き出した。

 一也は志穂が自分の部屋に入った事を確認して。廊下でしばらく、立ち尽くしていた。すると、程なくして一也の部屋から笑い声が聞こえてきた。


「あはははっ! ちょ、ちょっと、狐鈴ちゃん。そっ、そんなところ舐めちゃ……あはははっ!」


 一也はその声を聞いて満足そうに口元に笑みを浮かべると「計画通り」っと呟き、洗面台へと向かって再び歩き出した。


 洗面台で手を洗い終えた、一也はリビングでスマホを弄りながら待っていると、疲れた様子の志穂が入ってきた。


「うわぁ~。狐鈴ちゃん起こすのって大変……」

「おう。お疲れさん!」

「むぅぅ……」


 いい加減に手を上げてそう言った一也を志穂が恨めしそうに睨んだ。

 その直後、狐鈴が眠そうにリビングに入ってきた。 

  

「おはよ~なのじゃ~。ぬしさま……」

「おう、狐鈴。目は覚めたか?」

「うむぅ……おいなり畑が見えるのじゃ……」


 狐鈴はふらふらしながら後ろに倒れそうになる。


「ちょっと、危ない! もう。ほら、顔洗いに行こっ! そしたら少しは目が覚めるから、ねっ!」

「……うむ」


 今にも夢の世界に戻りそうな狐鈴を支えると、そう言って志穂は洗面台の方に誘導していく。

 一也はそれを見て「朝から忙しないな……」っと呟いて、再びスマホの画面を眺めた。


 洗面台に向かった2人が帰ってくると、一也は志穂に向かって尋ねた。


「おーい。そう言えば、待ち合わせって何時にどこ何だよ」

「待ち合わせ……?」


 志穂はきょとんとしながらそう繰り返すと、急に慌て出した。


「やばっ! 一也、今何時!?」

「……7時30分だけど?」


 一也はスマホの画面を見て答えると、志穂は慌てて髪を後ろで結んでエプロンを着けキッチンへと消えていった。

 そんな志穂に一也はもう一度尋ねる。


「何時から待ち合わせなんだ~?」

「8時15分!! 今、忙しいんだから話し掛けないでよねッ!!」

「……あ、あいよ」


 その怒鳴り声に怯むと小さく答えた。

 

 しばらくして、何やら甘いような香ばしい匂いが漂ってきた。

 その匂いに鼻をヒクヒクさせながら狐鈴が呟く。


「主様。何やら良い匂いがしてきたぞ? お腹が空いてきたのじゃ!」

「ああ、俺も腹減った~」


 テーブルに腰掛け。そう2人が話していると、志穂が皿の上に黄色い何かが乗っている。

 狐鈴は目を輝かせているが、一也はそれを指差して呟く。


「なんだこれ……」

「なんだこれ……って、フレンチトーストだよ? 食べたこと無いの?」

「いや、食べたことどころか見たこともないんだけど……」


 一也がそう呟くと、志穂は微笑んで一也の顔を覗き込む。


「意外と自身あるんだ。一也もきっと気に入ると思う!」

「……お、おう」


 一也は志穂の顔を見つめ、無意識に顔を逸らした。


 それは、別に顔を見られるのが嫌なわけではなく単純に照れたからである。

 何といっても志穂は学園のPRのポスターに載るほどの美少女だ。

 一也が照れるのも無理も無いだろう。


 志穂は人数分のフレンチトーストをテーブルに並べると、粉砂糖とはちみつを持ってきた。


「少し甘くしたつもりだけど、もし足りなかったら、どっちかかけて食べてね!」

「わ~い。いただきま~す!」


 狐鈴は粉砂糖とはちみつをたっぷりかけると、嬉しそうにフォークを手に握りしめ、フレンチトーストを食べ始める。


「熱いから、あまり急いで食べないでね」


 狐鈴にそう告げると、志穂はぼーっとしたまま自分の事を見つめている一也に声を上げる。


「一也は早く食べる! 急がないと置いて行かれちゃうんだから!」

「わ、わあってるよ……」


 志穂に急かされ、一也も目の前のフレンチトーストを急いで食べると、電気ケトルに水を入れ沸かし始める。


 数分でお湯が沸き、さてコップにお湯を注ごうとしたその時、食べ終わった志穂が一也の腕に手をがっしりと掴んで強引に連れ出した。


「ちょ! まだコーヒーを入れてる途中でしょうが!」

「だめ! 一也コーヒー飲むと長いんだもん。コーヒーなんて買って飲んでよ! ほら、行くよ!」

「ま、待って! 俺の食後の一時が~」


 志穂は玄関の床に置いていたバッグを一也に押し付けると、自分もバッグを肩に掛け狐鈴に向かって微笑んだ。


「それじゃ、狐鈴ちゃん。お留守番よろしくね! 明日の夕方には帰ってくるから、後。戸締まりはしっかりするんだよ?」 

「いや、ここのマンションセキュリティーばっちりだから……」

「もう、一也は。もしもがあるかもしれないでしょ!?」

「いや、もしもがあったらここの管理会社が問題に――」


 志穂はそう言おうとした一也の言葉を遮り、狐鈴の前で膝を折って告げる。


「変な人来たら絶対に扉を開けちゃだめだよ? 宅配業者を装った人が来ても、宗教の勧誘の人が来ても、ピザの配達に来た人が来てもだよ?」

「うむ。分かったのじゃ! それじゃ、お留守番を終えたあかつきには頼んだぞ?」

「うん! おみあげといなり寿司だね! OK、腕によりをかけて作ってあげる!」


 志穂はそう言ってにっこりと微笑むと、狐鈴も微笑み返した。

 その後、2人は玄関先で見送る狐鈴に手を振りながら志穂と一也は家を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る